第219話 深淵より来たる(2)
『それでは準々決勝第三試合、開始です!』
2人の準備が整ったことを確認した実況担当がそう宣言すると、アリーナ内を包む声はたちまち2人への声援で塗り替えられた。そのまま両者はぶつかっていくのだろうと思っていたのだけれど、少女精霊は突如何かを思い出したようで「あっ」と声を上げた。
「そうそう。トドメ刺しに行く時まで避け続けるだけっていうのも無しよ!」
「えー? なんでさ」
「ちゃんと戦ってるって気がしないからよ! 実力差があったとしても多少は本気を出してかからなきゃ相手に失礼でしょうが! 最初から最後までしっかりぶつかって来なさい!」
「はいはい、わかりましたよーっと」
少女精霊のそんな指図にオスクは最初の内は面倒くさそうな顔をしたものの、その後の言い分には一理あると思ったのか珍しく素直に受け入れていた。
オスクが他人の、ましてや今日が初対面の相手の指示を聞くなんて普通なら有り得ないことなんだけど、気怠そうにしつつもうなずいたのは昔から色々と関わりの深い光の精霊相手だったからだろうか。とにかく、今のやり取りで一旦下ろしていた武器をお互いに構え直し、改めて2人の試合が始まった。
「『ブラッドアビス』!」
先に動いたのはオスクだった。まずは様子見なのか、振り上げた大剣から赤黒い閃光を放つ。
今使った魔法はオスクが使用する魔法の中でも基礎的なもので、その分威力も低い。それに放ったのが正面からだったということもあって、少女精霊は難なくかわした。
「舐めないでよね。このくらいじゃかすりもしないわ。本当に噂されてるくらい強いのかしら?」
「一発避けた程度で威張られてもなぁ。よっぽど鈍臭いヤツでもない限り、難しいことでもないっしょ」
「ふん! そんな口利いていられるのも今の内よ!」
オスクに向かって強気に言い返した少女精霊は双剣を逆手に持ち直して走り出した。それも、狙いを定められないようにするためかジグザグと不規則にフィールド上を動き回る。そして、突然間合いを一気に詰めてきたかと思えば、目にも留まらぬ速さで斬りつけてきた。
けれど、それで惑わされるオスクではなく。動きを見切りつつ、大剣で斬撃を受け止めて弾き返す。さらに攻撃を防がれたことで体勢を少し崩したところに、オスクはお返しとばかりに大剣を思い切り横に振るって少女精霊を突き放した。
「きゃあっ⁉︎」
体格差もあってか、吹っ飛ばされていく少女精霊。でも、やはり一度勝ち上がっているだけのことはあり、その最中に素早く体勢を立て直して腕も使いながらなんとか着地した。
「くぅ……力じゃ敵いそうにないわね。それなら!」
真っ向勝負は不利だと判断したのだろう。少女精霊は立ち上がってすぐにオスクからさらに距離を取って走り出すと、そこから双剣を振るって光の刃を次々に飛ばしてくる。
オスクは大剣を駆使して刃を防いだり、弾き返したりしていたけれど、少女精霊の攻撃はそれだけでは終わらなかった。しばらく走り回って刃を飛ばし続けてた後に、それに紛れてオスクの懐に飛び込んでくる。
「これでっ……!」
このまま渾身の一撃をお見舞いできると思ったのか、しめたと言わんばかりの表情を浮かべる少女精霊。だけど、
「……ふーん。ちんちくりんな割には腕が立つみたいだけど、コテンパンにしたいって気持ちを前に出し過ぎだな。攻め方は悪くないけど、僕っていう標的を叩き潰すことに囚われてばっかでどーすんのさ」
「へあっ⁉︎ あ、あんた、いつの間に後ろに……!」
その攻撃が届くことはなく。正面にいた筈のオスクが、気付かぬ内に背後に回ってきていたことに、少女精霊は驚きのあまり肩が跳ね上がっていた。
どうやってオスクが少女精霊の背後を取ったのかというと。攻撃が当たる直前、オスクは『ゲート』の術で少女精霊の足元に落ちていた影を利用して移動したんだ。一回戦での最初の攻撃を避けた時とは違って、術を展開するまでに僅かとはいえ明らかな隙を見せていたのだけど……攻撃することに執着するあまり、少女精霊はその決定的な瞬間を見逃していた。
「飛び道具で姿をくらますまではいいとして、退路を断たなきゃすーぐ逃げ出せちゃうじゃん。これなら連れの方がまだ手こずるな」
「ぐぬぬ……。ま、まだ負けたわけじゃないもの!」
攻撃が届かないことに悔しさを露わにするものの、勝負はこれからだと言わんばかりに少女精霊は再びオスクから距離を取って攻撃のチャンスを窺おうとする。優勢とは言えない状況が続いても、その闘志は全く収まる気配がない様子に、オスクは小さくため息をついた。
「やれやれ。諦めないっていうその心意気はいいけど、ちょっとは冷静に周り見渡してみなっての」
「ふん! そうやって注意を逸らそうとしても無駄よ。あたしがあんたを見逃してあげるわけがないじゃない!」
「まあ、僕としてはお前が言葉に耳を貸そうが貸すまいがどっちでもいいけど。……だからこうして罠張り巡らせるのもあっさり許しちゃうんじゃん」
「な、ちょっ。何これ⁉︎」
ニヤッと怪しい笑みを見せつけながら放たれたその言葉と同時に、少女精霊は慌てふためく。それも当然。少女精霊は今、地面から這い出してきている闇の塊に囚われていたのだから。
少女精霊はもがいてなんとか抜け出そうとするものの、彼女の足はいつまで経っても上がることはなく。底なし沼にはまってしまったかのように、一部だけだとしても身体が沈んでいくという光景はさぞかし恐怖を煽ることだろう。さっきまでの威勢の良さがすっかり消えて、その顔は若干青褪めているのが観客席からでもわかった。
「お前は素早さが自慢なわけじゃん? そのせいで下手な攻撃じゃあっさりかわされる。でもこっちからわざわざ追いかけにいくのも面倒だし疲れるし。なら追いつくよりも、絡め取った方が楽だしより確実だ。お前が走り回ってくれたおかげで助かったなぁ。あっちこっちに影落としてくれたおかげで、仕掛けるのも苦労しなかった」
「あ、あんた、最初からこれが狙いだったってこと……⁉︎ で、でも攻撃しないんじゃ勝てないわよ! 動けないにしても相殺することは容易いし、向かってくるんだったら返り討ちにしてやるまでよ!」
「ハッ。最早いい的でしかないお前が、ここからどこまで足掻けるか見ものだな」
ここぞとばかりに正面から走って向かってくるオスクに、そうはさせまいと少女精霊はまたしても光の刃を連続で放つ。オスクはそれを大剣の剣身で防御したかと思えば、次の瞬間、身体をその場で大きく回転させて大剣を少女精霊に向かって投擲した。
「……っ! こんなのもの、当たらないわよ!」
オスクの動きの勢いを乗せた大剣は、少女精霊に向かって猛スピードで飛んでいく。
そんなオスクの予想外の行動に少女精霊は少したじろぐものの、それも一瞬。動けないのは相変わらずだけど、身体を大きく捻って背中を反ることで飛んできた大剣を回避した。標的を失った大剣は、そのまま地面のほとんどを占領していた闇の中へと突っ込み、沈んでいって見えなくなった。
「バッカじゃないの? 自ら武器を手放すような真似するなんて。こんなの、あたしにやられるのを黙って待つようなものじゃない。余裕見せつけた割に、そんなに負かされたいわけ?」
「だーから、目の前の事象にだけ目を向けてないで、周りにも気を配れっての。今のが考え無しにただ放り投げただけだとでも?」
「何よ。それは違うとでも?」
「闇は深淵。深みにハマって捕らえられたが最後、堕ちるところまで堕ち続けるのみ。底が無いから、あらゆるものを呑み込んでいく。光が強ければ強いほど、闇もまた広がっていく」
オスクの言葉に同調するように、地面の闇はまたじわりじわりとその濃さを増していく。一体これから何が起きようとしているのか、高まっていく危機感と緊張感から少女精霊の顔もより一層強張っていた。
「僕にとって闇は身体の一部、手足みたいに動かせる。武器も、普通に振るうのもいいけど、こうして取り込んだ方がより馴染むってもんだし。それを応用した技……せっかくだから、お前に実験台になってもらおうと思ってさ」
「じ、実験台って何のよ!」
「攻撃手段が、目に見えるものだけじゃないってこと身を持って知りなよ。『ホロウエッジ』!」
オスクがそう唱えた瞬間、少女精霊の足元を覆う闇の塊はさらに大きく広がる。そしてボコリと膨張したかと思えば、巨大な大剣の刃の形を成して少女精霊に襲いかかる。
「きゃあああーーーっ⁉︎」
その衝撃で、甲高い悲鳴を上げながら吹っ飛ばされる少女精霊。その勢いで闇の沼からも弾き飛ばされたものの、突然のことに理解が追いつかず、受け身も取れないまま地面に叩きつけられた。
「ぐ……こ、この。でもこれで闇からは抜け出せたわ! 何でも思い通りになると思わないことね!」
受けたダメージが大きく、足もふらふらと覚束ないのに少女精霊は尚も諦めていなかった。ここからが本番と言葉にする代わりに双剣を強く握り締め、魔力を滾らせていく。
戦意喪失するでもなく、最後まで全力を尽くそうと踏ん張る彼女に、流石のオスクも少し感心した様子でフッと笑みを浮かべる。
「確かに、お前自身は闇から逃れられた。けど、闇は消えたわけじゃない。寧ろ、お前っていう標的を縛り付ける必要無くなったから、動きやすくなったわけでさぁ……」
塊だった闇が、辺りに散らばっていく。その一つ一つから、闇の刃が生成されていき。それらが全て、その切っ先を少女精霊がいる方向へと向いて。
「ギリギリなお前が果たしてこれを避け切れるか、精々試させてもらおうか」
ニタリと笑みを深めたオスクに応えるようにして、無数の刃が少女精霊に迫っていく。少女精霊は恐怖に顔を引きつらせながらも、その場から決して逃げようとしなかった。
そして────




