第211話 見上げた星に(3)
一度込み上げてきてしまったものがなかなか収まってくれないようで、涙をうっすら浮かべたアレウスは縮こまった姿勢のまま黙り込んでしまう。あれほどまでに見たがっていた星空も、今は視線を下に向けてしまっていて見ること自体拒んでいる有り様で。色々我慢していた事実を、その態度が物語っていた。
そんなアレウスを見兼ねてか、フリードは星が煌めく空を見上げつつふと口を開いた。
「アレウス君のお父上も、最初から完璧だったわけではないと思いますよ。アレウス君が憧れている姿になるまでに、たくさんの努力があったことでしょうから」
「え〜、そうかなぁ……」
「努力されているところは、周りに見せていなかったんでしょうね。アレウス君がそれだけすごいと感じるくらいですから、高い才能もあったことでしょうけど、それに甘んじて怠けていては他の方に追いつかれてしまいます。必ず実るとは限らないとしても、積み重ねることは無駄にならない。アレウス君も、そう信じていつも頑張っているんじゃないですか?」
「うん」
「一人でできることには限界があります。いくら誰もが褒め称える強い方でも、なんでもかんでもとはいきません。アレウス君だって、勉強している最中に悪者の知らせがあったらすぐにその場に飛んでいって、やっつけた後に次も負けてしまうことがないよう直後に訓練して、それが終わったらそんな悪者がまた出てこないように国の法律、ルールの見直しをしなければならないといったら……できますか?」
フリードの質問に、アレウスはすぐさま「無理無理無理」と言いたげに首を高速で横に振る。素直なその反応にフリードはくすりと笑みをこぼしつつ、話を続けた。
「皇帝だからといっても、全てを背負う必要はないんです。皇帝を助けるために大勢の兵士達や、レクトさんやオンラードさんが付いてくださっているんですから。全部果たそうとするのも立派ですけど、それではいつか潰れてしまいます。押し付けられたものなら尚更、次も頑張ろうという気持ちも無くしてしまいますから」
「フリードさんは、そういうこと前にあったの?」
例え話にしてはやけにはっきりとした言葉……まるで経験したことがあるような物言いにアレウスも気が付いたらしい。アレウスが漏らした疑問に、恥ずかしそうにフリードはゆっくり「はい」とうなずいた。
「僕は、この見た目通りあまり男らしく見られなくて……性格もあって、前は馬鹿にされることが多かったんです。女みたいだ、と」
「え。でも、フリードさんって男の子だってよく見たらすぐわかるのに。最初見た時きれいだなって思ったけど」
「…… アレウス君のような方ばかりだったらよかったんですけどね。でも不運なことに、僕の周りでは馬鹿にする妖精が多かったんです。強気に出られないのをいいことに、雑用を押しつけられることも多くて。それはまだいい方で、嫌がらせされることも少なくありませんでした」
「そんなの、ひどいや!」
フリードの過去を聞いて、アレウスは頬を膨らませてプンスカと怒る。自分がされたこと、ましてやその場を見ていないにもかかわらず、まるで自分のことのように……自分や、自分の周りでそうなった時を想像して怒っていることがすぐにわかった。
純粋で、どこまでも真っ直ぐな正義感からくるその反応。フリードも自分の気持ちを理解してくれようとしているアレウスを見て、柔らかく微笑んだ。
「でも、そんな僕にも手を差し伸べてくれたのがルーザさんでした。女の子なのに、僕に嫌がらせをしていた男子の集団に全く臆することなく立ち向かってくれて。彼女がいなかったら、恐らく僕はここにいなかったと思います」
「そうなんだ! ルーザさん、すごいなぁ。カッコいい!」
「……まあ、頼もしいことは確かなんですが、ちょっと体が先に動いてしまう点が悩みどころではありますけどね……。春先の出来事も、危うく停学になりかねなかったですし」
正義のヒーローみたいだと少し興奮気味にルーザを褒め称えているアレウスの横で、ぼそっと付け足されるようにして呟かれたその言葉。その話に一つ心当たりがあった私は、フリードにこそっと耳打ちする。
「ねえ、その春先の出来事ってもしかして……」
「はい……あの『グーパン騒動』です。ですが、ここは黙っておいた方がいいかと」
「だ、だね」
『グーパン騒動』というのは、今年の春に影の世界の学校であったらしい出来事。ルーザが不良に絡まれていたフリードを助けるべく、不良を止めに入ったまではよかったものの……その内の一人が殴りかかってきたものだから、ルーザは反射的にその不良の顔面にグーのパンチで返り討ちにしてしまったという事件だ。
咄嗟の行動ということもあったのだろう。ルーザが力加減ができていなかったことと、当たりどころが悪かったのも重なったことで、殴られた不良は冗談みたいな量の鼻血を出してしまい。
結果的に不良を撃退できたし、女子でありながら不良以上に容赦のないルーザにすっかり恐れをなしたことで、それ以降はフリードも絡まれることもめっきり減ったようだけど……流石にやりすぎだと生徒指導の先生に睨まれるきっかけともなってしまった出来事だった。
それを当然知らないアレウスは、ルーザの強さにすっかり憧れてしまっている様子だ。知らない方が幸せなこともあるからと、私とフリードはうなずき合ってこれ以上は口をつぐむことに。
同じく事情を知らないニニアンさんは、気まずさでアレウスから目を逸らす私達に不思議そうに首を傾げていたけれど。
「えとえと……その、責任ある立場に不安を感じてしまうのは仕方ないと思います。一応、水の大精霊なので……その気持ちはすごくわかります」
「えっ、ニニアンさんも大精霊さまだったの⁉︎」
「あっ、そういえば言ってませんでした。ごめんなさい……。その……私も、今の役割を授かった時は私なんかが果たせるのか悩んでばかりでしたから。今もちゃんとできているか自信ないんですけど……」
「ニニアンさんもおんなじなの?」
「はい。私よりもっと相応しい方がいるんじゃないかと思ってしまって……すぐにはうなずけませんでした」
ニニアンさんが大精霊を任される前、その話が自分の耳に届いた時はもちろん嬉しかったらしい。役割を担うに相応しいと、周囲が実力を認めてくれた何よりの証拠だったから。
だけど、今も昔も変わらず自分になかなか自信が持てないニニアンさんは、本当に自分でいいのかという気持ちの方が大きかったとのことで。
「それでも私なら大丈夫だと、大勢の方が励ましてくれました。私にしかできないからと、背中を押してくれたんです。最後は私を選んでくれたことを、応援してくれた方々の気持ちを無駄にしてはいけないと考えられるようになりました。本当に、私は恵まれていたと思います」
「そっかぁ。ニニアンさんのお友達、みんなすっごくやさしかったんだ!」
「はい。本当に、助けられてばかりです。みなさんにその時の恩返しをするためにも、今の役目を全うしたいんです」
「おんがえしのために……」
「リーダーは強くあるもの、それは正しいでしょうね。それでも、その『強さ』の答えは一つとは限らないです。力はもちろんですが、幅広い知識だったり、屈しない心だったり……色々あります」
「全部なくていいのかな。どれも必要そうだけど……」
「もちろん、手に入れるために努力することはとてもいいことです。ですがフリードさんの言っていた通り、一人では限界があります。手にできなかったものは、誰かがきっと支えてくれます。そうして手を取り合って、助け合うことで大きなことを成し遂げられるんです。何か一つでも自慢できることがあれば、とても立派なことです。それでアレウスさんは何をしたいか……何を成すべきか、一度考えてみるのもいいんじゃないでしょうか?」
「……」
「あっ⁉︎ ご、ごめんなさい! 偉そうに色々言ってしまって……!」
「……ニニアンさんは、もうちょっと胸を張っててもいいと思いますよ?」
「あうう……それができるなら苦労しないですよぅ……」
ふと、下を向いて考え込むアレウスを見たニニアンさんは慌ててぺこぺこと何度も頭を下げる。せっかくニニアンさんにしては珍しく大精霊らしい毅然とした態度と言葉だったというのに、ハッと我に返ったことでいつもの雰囲気に逆戻り。
周りからそれだけ高い評価を得るくらいなのだから、もっと自信を持ってもいいと思うんだけど……本人の性格上、なかなかそう上手くはいかないようだ。
アレウスがどんな皇帝になるのかはまだ本人にもわからないだろうけど、きっと先頭に立ってぐいぐい引っ張っていくのではなくて、みんなの気持ちに寄り添ってあげられる優しい皇帝になるんじゃないかと思う。今だって、他人の痛みを自分のもののように理解して、分かち合える澄んだ心の持ち主であることが言動にも表れているから。
「私も最近まで国に王女であること自体隠していたからお手本にはなれそうにないけど……皇帝になって、強くなって、自分が何をしたいか目標をはっきり決めておくことがいいんじゃないかな」
「目標?」
「うん。アレウスは剣との力の繋ぎ方がわかって使いこなせるようになっても、それは敵を大勢倒すためじゃないでしょ?」
そう尋ねると、アレウスはこくりとうなずく。私の勝手な想像だったけど、やはり予想は間違ってなかったみたいだ。
「……本当は、武器は無いに越したことはないよね。相手を簡単に傷つけてしまうものを向けるのは、やっぱり怖いもの」
「……うん」
「でも、それが無いと自分はもちろん、友達が傷付いてしまう。私は私の大切なものを……姉さんを、友達を失いたくない。それに、みんなと出会えた場所も消えてほしくない。だから、私達は今も戦っているの」
私の言葉にフリードもニニアンさんも力強くうなずいた。私達の敵である『滅び』は本当に容赦がない。恐怖がないから、どこまでも私達を追ってきて、隙あらば真っ暗な『無』に引きずり込もうとしてくる。そして、この世界すらも消し去ろうと迫ってきている。得体の知れない敵ではあるけど、それでも黙って呑み込まれるのを待つだけなんて真っ平御免だ。
私達だけじゃない。他のみんなも、私達に協力してくれている大勢の仲間も、きっと同じ気持ちだろう。
「アレウスがその剣を使おうとするのは、私達と同じできっと何か大切なものを守りたい時なんじゃないかって思う。なんとなく想像はしているんだろうけど、それがはっきりと定まった時に剣もアレウスに力を貸してくれるんじゃないかな」
「ぼくの守りたいもの……」
「今すぐに答えを出す必要はないよ。じっくり考えて、アレウスが納得できる正解をこれから見つけていけばいいんだから。そのためなら、私達も喜んで協力する」
「はい。僕達はアレウス君の友達です。断る理由がありませんよ」
「わ、私もっ。できることがあればなんでもしますから!」
「……うん、ありがとう。ぼくこれからがんばる!」
そこまで言って、アレウスはようやくにっこりと笑ってくれた。不安は確かにあるだろうけど、アレウスの理想のために腕を引いて支えてあげられれば。
……かつてイアが、ルーザが、みんなが私にしてくれたのと同じように。
「さて、そろそろ部屋に戻りましょうか。これ以上夜更かししていては、身長が伸びなくなってしまうかもしれません」
「あっ、それやだ! 早くねなきゃ!」
「いつか、私がいる場所の星空もお見せしたいです。星の種類と、並び方もここから見えるものとは全く違って面白いんですよ」
「そうなんだ! 見てみたいなぁ」
フリードにそう促されたことで、私達は足音を立てないようこっそりと屋根を降りていく。そんな私達を見守るように、空に輝く星々はより一層キラキラと強く輝いていた……。




