第211話 見上げた星に(2)
「すごいすごい! どこまでも星が見える!」
「わわっ。アレウスさん、そう飛び跳ねては落ちてしまいますよ!」
「あっ、はーい」
「特等席って、屋根の上ってことだったんですね。共犯になってほしいと言われて警戒しちゃってましたが」
「うん。バルコニーでも見られないことはないけど、どうせなら遮るものがないところで見たいなと思って。説明足らずでごめん」
喜びからその場でぴょんぴょん跳ねるアレウスを止めるニニアンさんの横で、私は無理に付き合わせてしまったことをフリードに謝った。
そう、私が『特等席』と言ったのは宿屋の屋根の上のこと。本来なら立ち入るべき場所ではないから、内緒で上がらせてもらうことにしたのだけど。それでもやっぱり、なかなか自由に外に出られないアレウスの要望を存分に叶えられる場所に行きたかった。かつては似たような環境にいたからこそ、外の開放感に触れた時の嬉しさは私も痛いほどわかるから。
アレウスも、いけないことだとはわかっていても遮るものがなく、視界の端から端まで目一杯に星空を見渡せるこの場所に目を輝かせていた。存分に楽しむためにも楽な姿勢を取ろうと、私達はとりあえずその場に座り込むことに。寒さを凌ぐために、借りてきていた毛布を膝掛けにしながら。
「アレウスさんは、星を見るのが好きなんですか?」
「うん。キラキラ光ってきれいだから。よく見てみると赤とか青とか、色んな色してるお星さまもあって、ちがいがわかっておもしろいんだ。ならびかたをなぞってみるのも楽しいし……あと、それにね」
「うん?」
「あのキラキラの中に、お父さんもいるのかなって思うんだ」
「……っ、そっか」
理由を話してくれた後にぽつりとこぼされた、アレウスの本心。レクトさんやオンラードさんが傍にいるから寂しくないと言葉にしていて、態度も明るく振る舞ってはいるけど、やはり完全にはその心を忘れることができないようだ。母親が早くに亡くなってしまっていたこともあって、余計に父親へ向ける感情も大きくなっていることだろう。
「本当はいないこともちゃんとわかってるよ。死んじゃったらいなくなっちゃうって、知ってる。でも、もしそうだったらいいなって思うんだ」
「……はい。姿は見えなくても、きっとどこかで見守ってくれています。記憶に残り続けている限り、完全に消えてしまっているわけではないですから」
「うん! あ、あとね。ちょっとでも見えやすいようにって、いつもこうしてるんだ」
バランスを崩さないよう、アレウスはおもむろに立ち上がると背負っていた剣を鞘から引き抜く。そしてそれを切っ先を上に向けるように両手で持ち、星空に向かって天高く掲げ……やがて自分の胸元まで下ろして、目の前にある剣身の前で祈るように目を閉じる。
見た感じ、何かの儀式みたいな動作だったけど……何か意味があったのかな。
「アレウス君、今のは?」
「ん、お父さんにぼくのいばしょがわかるようにって始めたことなんだ。お父さんが使ってたこの剣が目印になるかなって思って」
そう言いながら、アレウスはその剣を私達に見せてくれた。
虹色にも見える艶を持つ白い大きな剣身に、その中央を金で細かい装飾を施してある立派な両手剣。翼を模したような鍔の中心には添えられた青い宝石が輝いていて、煌びやかではあるけど派手過ぎず、どこか荘厳な雰囲気を感じる剣だった。
「ぼくの血すじって、この剣に宿る妖精なんだって。この剣も元々はお父さんのものだったんだけど、ぼくが持つことになって……。だから、これを見せたらお父さんもすぐにわかってくれるんじゃないかなって、そう思うんだ」
「へえ……。確かに普通の剣とは何か違うかも」
「はい。まるで生きているみたいです、その剣。魔力……でしょうか、何らかの力が血が巡っているかのように剣身に行き渡っています」
「えっ。ニニアンさん、わかるの?」
ニニアンさんがふと漏らした言葉に驚いた様子でそう尋ねるアレウス。どうやら、誰にでもわかるものではないらしい。ニニアンさんは「は、はい」と少しばかりおずおずと、それでもはっきりとうなずいた。
「水も流れるものなので、少しだけそういったものは感じ取れるんです。逆らえはしないので、風の大精霊のベアトリクスさんよりは劣っちゃいますけど……。その剣に流れる力と同じ力が、アレウスさんにも流れてるようです。それが繋げられれば、恐らくアレウスさんはその剣を自分の身体の一部のように扱えるんでしょう。剣に宿る妖精というのは、そういうことなのかと」
「……うん。レクトにもおんなじこと言われた。ぼくの血すじだけが、この剣の力を全部引き出せるんだって。その力のつなぎ方をお父さんに教えてもらうはずだったんだけど」
「けど?」
「教えてもらうことになってた日の前に、本当に明日教えてもらうっていう時に、お父さんは……」
「そんな……」
話している内に溢れ出てくる感情を抑えきれなくなったらしい。アレウスの黄金色の瞳に宿る光がゆらゆらと揺れて……やがて頬を伝ってぽたりとこぼれ落ちる。
本来なら、皇帝という地位と同時に剣の扱い方も継承される筈だったんだろう。でも、剣との力の繋ぎ方を教わる直前になって前代皇帝は帰らぬヒトとなってしまった。だからアレウスは繋ぎ方を自力で模索し、さらに身に付けなければならない……。
わかってはいた。レクトさんから聞いてもいた。まだ幼き身でありながら既に天涯孤独となり、さらには皇帝の座も背負わなければならなくなってしまったという厳しい状況下を少しは理解できていた気になっていたけど……現実はさらに過酷なものだった。
「練習もがんばってるんだけど、今まで一回も上手くいったことがないの。お父さんが使っているところはいっぱい見てたのに。おどってるみたいでカッコよくて……たくさんまねしても、お父さんみたいに使えたことないんだ」
「アレウス……」
「剣がぼくじゃいやだって言ってるのかもって思っちゃうんだ。お父さんみたいな皇帝になれないのかな……」
アレウスは剣を鞘に収めてから、落ち込んだように膝を抱えて座り込む。皇帝としての在り方や立ち振る舞い、剣が秘める力を行使するための技も満足に教われないまま一人になってしまったことで、将来に不安を感じてしまうのも無理はないけど……。




