第210話 玉座を降りて(3)
「すみません、これください!」
やがて見つけた、店の奥に設置されていたカウンターにアレウスは懐中時計を置いて声をかける。その向こう側で店主らしき年配の男妖精が難しい顔で作業していたけれど、アレウスが近寄ってきたのに気付いて顔を上げた。
「ん、いらっしゃい。……おお! これに目を付けるとは坊ちゃん、まだ小さいのにいい目してるねぇ。こいつはうちの自慢の一つで、儂が腕によりをかけた一点ものなんだ」
「そうなの? よかった、見つけられて!」
店主にそう褒められてアレウスはフードの中で顔を綻ばせる。ここまで近づいているというのに店主が皇帝であるアレウスに気付いていないとなると、フードにかけられている阻害の魔法は本当に強力なもののようだ。
高性能な上に、一点ものというだけあって値段もそれなりに張るものだったけど、レクトさんはそれも想定済みだったのかアレウスに充分な量のお金を持たせてくれていたらしい。アレウスが提示された金額を支払うと、店主は時計を純白の箱に入れてからリボンで綺麗にラッピングしてくれて、アレウスはそれを大事そうに受け取った。
「お買い上げありがとうな。そんで話は変わってしまうんだが……坊ちゃん達、ルビーなんか持ってねぇかな?」
「え、ルビー? なんで?」
突然、店主からそんなことを尋ねられて私達は揃って首を傾げる。どうしてルビーを持ってるかなんて聞いてきたのか、そう疑問に思っているのが表情に出ていたようで、「いやな、」と店主は話を続ける。
「時計に組み込むルビーをうっかり切らしちまってな。それがないと今手を付けているものが仕上げられないんだよ。注文されたもんだから急いで完成させなきゃいけねぇって時に、儂としたことが在庫の確認を怠っちまってねぇ……。宝石店にも頼んでみたんだが、そっちも残り少ないって断られてしまったんだ。だからこうして立ち寄ってくれたお客さんに訊ねてるんだがなぁ」
「あ、そっか。時計って軸受けにルビーを使うから」
時計と宝石……一見関係なさそうに見えるけど、歯車の軸に摩擦が起きて動作に不具合が起こったりするなんてことにならないよう、回転した時に擦れを受け止める石が必要だということをずっと前に本で読んだことがある。そして、その石の素材には硬度もあり壊れにくく、熱にも強いルビーがよく選ばれているということも。
そのルビーを使い切ってしまったから、私達が持ってないか尋ねてきたのか。さっきの、作業中難しい顔をしていたのもルビーをどこから調達するか悩んでいたからのようだ。理由がわかったことでみんなも納得したようにうなずいた。
「……やっぱりそんな希少なもの、持ち歩いているわけがないか。すまんね、急に変なこと聞いちまって」
「あ、いや。持ってるぞ。原石のままだから加工は別で必要だと思うが」
落ち込む店主を見て、ルーザは懐から麻の袋を取り出してカウンターの上に置いた。
……あ、あれって前にロバーツさんの船に乗せてもらうために用意した、フレアの住処である廃坑から採ってきたルビーの欠けらが詰まっている袋だ。結局帰る時に必要ないからと返してもらって、いつか困った時に活用しようとルーザが預かったままでいたもの。
ルーザの言葉に店主は最初信じられないという顔をしていたけど、袋の中身を確認してそれが真実だとわかると表情がたちまち驚きと喜びで塗り替えられていく。
「お、おお⁉︎ これだけあれば注文の分は当然だが、しばらくは仕入れなくても困らないぞ! ありがとうな、お嬢ちゃん!」
ルビーの袋を受け取った店主は、カウンターのさらに奥に置いてある金庫からそれとは別のパンパンに膨れた袋を取り出してきて、「こいつは代金と謝礼だ」と笑顔で再度お礼を言いながらルーザに差し出した。そしてそれをルーザが受け取ったのを確認してすぐに注文の品を完成させるためか、店主はそのまま店の奥へと入っていってしまった。
あっという間の出来事に呆気に取られていた私達だったけど、まあ店主の悩み事が解決できたのは普通に喜ばしいことだ。それより問題は今謝礼にと渡された袋。そのあまりの袋の膨れように、流石のルーザも恐る恐るといった様子で袋の口を開き、その中身を目にした途端「げっ」と声を漏らす。
「おい。軽く100万は超えてそうな金額が入ってるんだが……」
「ええっ⁉︎」
それを聞いて私達もルーザの手元を覗き込んでみると、そこには見たこともないくらいの大量の金貨が。ルビーの代金と、謝礼も含まれているからといっても大金としか言いようがないそれに、どうしたらいいかわからずその場で固まってしまう。
「わ、お金が本当にたくさんある。すごいやルーザさん、一気にお金持ちになっちゃった!」
「へえ、これでお前もその金持ちってヤツの仲間入りってわけ。よかったじゃん、これでしばらくは困る心配なくなって」
「いや、こんな大金いきなり持たせられても怖いだろ……」
「で、でもでも、ここの商業の仕組みを考えると妥当な金額なのでは?」
「ああ。原石とはいえ元々希少な宝石と、品薄の状態を考えるとそれくらい支払われてもおかしくないだろうね。謝礼も入っているようだから少々多いとは思うけれど。でもまあ、君が持っていたルビーにそれくらい出すべきだと店主が判断したということだ。受け取っても問題ないんじゃないかな」
「う……確かに、貝殻があの金額になったことを考えるとこれで丁度いいくらいなのか……?」
持ったことのない金額にいつになく動揺していたルーザだけど、ニニアンさんとフユキにそう言われて少しばかり落ち着きを取り戻した様子だった。それでもやっぱり多すぎると思うのか、いくらか返そうとしているものの、生憎店主は店の奥で作業中。カウンターに置きっぱなしにしておくわけにもいかないし……と、ルーザは唸って考え込んでしまう。
「まあまあ、ルーザさん。向かう先がカジノだから、これくらいの量があれば安心できるんじゃないかな。火の大精霊に会うことが目的ではあるけど、そういう場所だから多少は必要になると思うし」
「……まあ、そうだな。とはいえそのまま持ち歩くわけにもいかないし、お前のカバンにでも入れといてくれ」
「う、うん」
納得してもよっぽど自分では持ちたくないらしい、カジノでなくても無防備な状態は避けたいからと、ルーザから袋を半ば押し付けられるようにして手渡された。
金貨が大量に詰められた、ずっしりと重い袋。本来ならこのカバンに入れてしまえば重量なんて感じないというのに、しまった後も手に持った時の感覚が消えていない気がするのは緊張のせいなのか……。でも、有難いことも確かだし、学生の身であるために金銭面は潤っているとは言い難いから、何かあった時は活用させてもらおう。
そんな思わぬ収穫を得て、用事を果たした私達は時計店を後にすることに。外に出てみると空は端の方がもう既に群青色に染められていて、日没の時間が迫っているのを予感させた。お土産も買えたことだし、私達はここで買い物を切り上げて宿へと向かうことにした。
買い物を通して、アレウスも外出することに対しての不安も綺麗さっぱり消えたようで一安心だ。まだまだアレウスと一緒にいれる時間はある。私達の目的を達成するまでに、さらに友好を深められればいいな。そう思いながら、宿までの道をみんなと並んで歩いて行った。




