Ex0.Dans les coulisses(5)
私の声に答えてくれなくなった"あの子"に対しての不安が徐々に高まっていく一方で、それとは対照的に2人との仲は日に日に深まっていった。あの地獄では口を開けば口答えしたとみなされて、殴る蹴るなどの暴力を振るわれてたせいで姉さんと"あの子"以外と喋ることさえも何処かで恐怖していたけれど、2人のおかげでやがて薄れていき。今では言葉もするりと出てくるようになっていた。
2人と同じようにとまではいかないものの、授業を通しながら他のクラスメート達とも話すように努力した。あんな態度を取っていたにもかかわらず、クラスメート達はそんな私を責めないで気にしてないとばかりに普通に接してくれて。もし嫌われていたら……という不安が拭えきれずにいたから、それが本当に有り難かった。
「ねえねえ2人とも。新しいメニュー考えたから、今からカフェに行って味見してくれない?」
「もちろん。今回はどんなものを考えたの?」
「オレンジとチョコのムースケーキだよ。デコレーションは上手くいったと思うんだけど、オレンジの酸味とチョコの甘味の加減が難しくて。イアと2人で感想聞かせてほしいの」
「おう、いいぜ。んじゃ、支度したら早速行くか」
誰かと一緒に行動することに対して抵抗が無くなってから、2人とさらに様々なことをするようになった。エメラの趣味であるらしい買い物に付き合わされることを始め、料理を教わったり、イアの家でもあるスポーツジムに連れて行ってもらったりした。
露天商で意外な掘り出し物に巡り合えたこと、イアが手を滑らせてものすごい量の塩が投入されてしまったとても飲めたものじゃないスープが出来上がったこと、ジムでのトレーニングの体験で力加減を間違えてイアの腹部に思い切り蹴りを食らわせてしまったこと……少々失敗がありつつも、今となってはどれも良い思い出だ。そのお礼にと、先日は私の屋敷に案内してあげたのだけど、2人は驚きつつもすごく喜んでくれた。
そして今日も、エメラが新作の菓子を作ったようで感想を聞きたいとのこと。甘味の暴力としか言いようがない砂糖菓子はともかく、エメラの作る菓子は絶品だということは先日2人が開いてくれた私の歓迎会を通して知った。
甘いものは好きだし、努力してさらに腕を磨こうとしているその心意気を応援するべきだろう。すぐに引き受けることを決めた私達は帰り支度を手早く済ませてカフェに向かった。
エメラが今回作ったというオレンジとチョコのムースケーキを2人で試食し、感想を伝えて、お喋りしながら残りも最後まで堪能して……と穏やかな時をゆったりと過ごす。今いるのがテラス席で、そこからの景色と頬を撫でるそよ風も相まって、今日一日の疲れも和らいでいくような気がした。
「あっ、そうだ! ルジェリアの呼び名を決めないか?」
「うん? どしたの、突然」
「いやさ、仲良くなった証みたいなのほしくてよ。これだけ一緒にいる時間が増えたんだから、なんか友達らしいこともっとしてみたいし。ルジェリアって名前もちょっと長いから、短くして呼べねえかなってさ」
ケーキを食べ終えてから、突然イアからそんな提案を持ちかけられた。
意図と、そう考えるに至った経緯はわからないけど、きっと私のことを想ってくれた上での提案なんだろう。私の態度に、何かまだ引っかかる部分があったのかもしれない。さらに距離を縮めようとしてくれていることは、素直に嬉しかった。
まずエメラが2つ案を出してくれたものの、どちらもピンと来ない。次にイアが目がそれっぽいからと、「ルビー」という案を出したけど……ルビーの妖精どころか、自分が何に宿る妖精かもわかっていない身としては、それに頷くことができなかった。
それを打ち明けると、当然ながら2人には驚かれた。自分が何に宿るのか、何を護るのか、それが本能的にわかる筈の妖精の身で、私だけまだわかっていないなんてあり得ないことだから。
何故私だけ、と思うことは何度もあった。周りでは当たり前のことが、自分はそうでなくて。2人はそれで除け者にしたり、嘲るようなことはしないとはもうわかっているけど、やはり気にせずにはいられなかった。
「……っ、とりあえず呼び名の件は保留にしとくか。何も今すぐ決めなくてもいいしな。ルジェリア、どっか行きたいとこあるか?」
「えっ、なんで」
「いや、なんか気分悪くさせちまったみたいだからさ。ルジェリアが好きなところにみんなで行けば、リフレッシュできるんじゃないか?」
「あっ、そうだね! 腹ごなしにも丁度いいし。あんまりパクパク食べてばかりじゃ太っちゃうもん」
それが表情にも出ていたのだろう。イアがそう気遣ってくれて、エメラも賛成したことで私も乗ることにした。
そして私が選んだ場所は、鏡の泉。人気がなく静かで、迷いの森からそう離れてないこともあって、最近になって日課にするほど訪れるようになった私のお気に入りの場所だ。
2人も、当初の腹ごなしという目的を忘れて丘の上で寝そべって、リラックスしてる様子だ。そうしてしばらくは3人でのんびりとお喋りを楽しんでいたのだけど……
────ガサッ。
「ん……?」
水を差すかのように聞こえてきた、茂みが揺れる音。風じゃない……明らかに、そこに潜む『何か』によって動かされ、立った音だ。警戒しつつその茂みを真っ直ぐ見据えていると、やがて原因である存在がその中から飛び出してきた。
「えっ……な、なんだよ、コイツ⁉︎」
音の正体……茂みに潜んでいた魔物の姿を見て、イアはあからさまに動揺する。それも無理はない。その魔物は、ミラーアイランドでは絶対にいるはずがない種類だったのだから。
図鑑で見たことがある。全身が影に染まったかのように黒い、狼の姿をした魔物────確か、ダークハウンドという名前だった筈。でもどうして。本来なら、寒冷地に生息する種類なのに。
この場所が普通とは異なる点……それはやはり、聖なる鏡と唄われる、ダイヤモンドミラーの存在だ。近づくな、触れるな、危険だと前々から言われる理由ってまさか────
「……いや、」
巡らせようとする思考を、頭を振ることで押し止める。あの魔物がどこから来たのか、今はどうでもいいこと。このままあの魔物を放っておいたら、周辺にどんな被害がでるかわからない。既に標的とみなされてる上に、こうして近くにいるのが自分達だけ……となれば、やることはただ一つ。
無茶なのは承知だ。それでも、見て見ぬふりはできない。いつも姉さんがそうしているように……私も、私をどん底から引き上げてくれた『外』に対して、精一杯のことをしなければ。
私はもう、逃げたりしない。
「……2人は、どうするの?」
鞘から剣を引き抜いた後、2人の意志を確かめる。
我ながら、卑怯な問い方だと思った。2人がどうするのか……聞かなくても、わかっていることだったから。必ずこの場に残って、一緒に立ち向かってくれる。その確信が、最初からあった。
「……っ、そうだよな。何のために護身術の授業受けてるってんだ。一人だけならともかく、3人一緒ならなんとかなるかもしれねえし!」
「う、うう〜……! もう、わかったよ! 友達見捨てられるわけないじゃん! その代わり、わたし攻撃はからっきしだからね!」
「わーってるよ。そっちにいかないようなんとかルジェリアと頑張るから!」
「うん。いこう……!」
私の問いにイアはすぐさまうなずき、実技が苦手らしいエメラも最初は渋っていたけれど、最終的には留まることを決意してくれた。
学生には出過ぎた真似なのかもしれない。だけど、目を背けていい理由にはならない。見て見ぬふりをするのはもうお終い。この程度の困難なんて、乗り越えられないことはないのだから。
2人が一緒なら。私の友達が一緒ならば……!




