Ex0.Dans les coulisses(3)
とにかくその場から逃げ出したい感情に身を任せるまま、私は教室を飛び出した。その直後、私の心を反映したかのように雨が降り始める。
最初はしとしとと地面と肌を濡らすだけだったそれは、やがて打ち付けるように強いものへと移り変わり。冷たい雫は、じわじわと体温を奪っていった。
このまま私も雨と一緒に流れて消えてしまえば楽になれるだろうか。初めから外に出ようとしなければ、こんなに苦しむこともなかったんだろうか。辿り着いた雑木林の中で、膝を抱えながらそんなありもしない可能性を夢想する。
「……何の、用」
「な、気付いてたのか」
「そんなに荒れた息で近くにいたら、すぐわかる」
そんなことをしている内に、追いかけてきたらしいあの男子生徒の気配を感じ取る。あの男子生徒は木陰でうずくまる私に当たり前のように手を差し伸べてきたけど、私はそれを払い除けた。
もう何もしたくなかった。ほんの一カケラの希望でもすぐに砕けてしまうなら、なんにも欲しくない。掴む理由も、あの全て壊れた日に消え失せていたんだ……
「────だったら。だったらなんで転校なんかしたんだよ!」
「……は、」
唐突に発された力強い抗議。訳がわからず、呆けた声が漏れる。
転校したのはあの地獄から逃げ出すためで、身を隠すためであって。それ以外に意味なんてない。ない筈、なんだ。
「最初から何も見たくないってんなら、閉じこもってりゃ良かったんだ! お前を傷付けるやつなんていない、安全な家の中で夢だけ見てれば良かったんだ! なのになんでお前は転校してまでまた外に出ようと思った⁉︎ ありもしない希望を捨てようと思わなかった⁉︎」
「それ、は」
「それをしなかったのはまだどっかで信じたかったんだろ? 自分の夢を託せられる相手が何処かにいるって! 酷ぇこといっぱいされて、ズタボロになっても引き下がろうとしなかったのは、誰かに助けてほしかったからじゃないのか⁉︎」
次々と浴びせられる、胸に突き刺さるような鋭い言葉。だけどそれは決して私を傷付けるようなものではなかった。
私を見据えながらぶつけられるのは、どこまでも真っ直ぐな言葉。心から私のことを想っていることがすぐにわかる、限りなく澄み切ったもの。違うと、そんな筈ないと否定したかったのに、できない。それを切り捨てられる言葉を見つけられなかった。見つけようとも、思えなかった。
「今も、わかんないことだらけだよ。お前が転校前にどんな目に遭ってきたのかも、お前が今何を思っているのかも、オレには何にもわかんねえ。でも、それを知るために動いてんだ。みんなそうだろ? 生きるために、どうしたらいいのかその方法を探るために毎日せかせか動いてる。知りたいから、わかりたいから、近づきたいから、手を伸ばして、走って、踏ん張るんだろ!」
「そんなの、一時的なものでしかない……! みんなそう言って、最後は裏切った! 綺麗事なんてもう聞き飽きた……!」
「綺麗事かもしれねえよ! でも、だったらなんでオレはこんなことしてんだよ! 中途半端な気持ちで追いかけてきたように見えんのか⁉︎ お前のこと知りたいから手を伸ばすんだ! お前のこと助けたいから正面からぶつかってんだ! オレは馬鹿だ、だから後先考えずにここまで来ちまった。成果得られるまでてこでも帰りゃしねえぞ、舐めんじゃねぇ‼︎」
それでも受け入れられない私がいくら突き放そうとも、男子生徒は引き下がろうとしない。絶対に掴んでみせるという確固たる意志がそこにはあった。
「一人で抱え込んで、壊れそうになってるのに放っておけるかよ。オレは馬鹿だ、自分の弱点だってお前に指摘してもらわねえと気付けないくらいに鈍いヤローだ。でも、言葉にしなくても、行動に移せなくても、お前の気持ちがほんのちょっとだけでも理解できた。それに、腕っ節はクラス一だってことは唯一胸張って言える。それでお前が背負って抱えきれない重たいもん、全部オレが引き受けてやるから」
────ああ。
「支え合うんだよ。オレとお前、出来ること出来ないことをお互いに補い合って、2人でお前の夢掴むんだ。誰だって、できることには限界がある。どんなにすごい天才でも、この国の女王様でも、みんな誰かに力を貸してもらいながらでっけぇこと成し遂げてんだ。迷惑なんてかけて当たり前なんだ、お互い様なんだ。それをまず、わかれ」
────どうして。
「疲れたら、おぶってやる。つまずきそうになったら、受け止めてやる。いつだって寄りかかってきていい。もたれかかってきたって全然構わない。オレが頼りなくて不安だったら、たまにでいいから。オレも、そうなれるよう努力するから」
────出会って間もないあなたが、一番欲しかった言葉をくれるのだろう。
いくら否定しても、顔を背けても、傷の痛みは誤魔化せなかった。以前のものまで癒えないまま引きずっていたから尚更。
本当は苦しくて仕方なかった。"あの子"と話していても、それは結局『内側』だけのことで。姉さんに縋るのも、やっと外に出たというのに自分が何も進歩していないように感じて。ドロドロと積もり積もった感情を閉じ込め続けるのは、とても息苦しいものだった。
全くもって、その通りだ。理想が叶わなかったことに絶望しながらも心のどこかでは諦めきれずにいたから、転校という道を選択した。見切りを付けていたら、とっくに城の中に戻っていたことだろう。胸がズキズキと痛んでいるのをわかっていながら、閉じこもったままでいるのはもっと嫌だった。
影の王女と、自分がそう呼ばれていることは知っていた。存在しているかもわからない。もしいたとしても、表に出てこようとしない上に、女王の足元にも及ばない日陰者と。そんな自分が嫌で姉さんの学校に通うという提案に乗ったのに。気付けば楽な方へと逃げようとしていた。
縋ってもいいのだろうか。頼ってもいいのだろうか。足元にばかり視線を落として、彼の顔さえまともに見ていなかったのに。
「嘘は、ない?」
「……っ。ああ、全部本心だ」
「支えてくれる?」
「当然だ」
「……裏切ら、ない?」
「そんな姑息な真似、できるほど賢そうに見えるか?」
そうして、彼は改めて私の方へ手を伸ばしてくる。
そんなことは聞かなくてもわかることだった。裏切るつもりがあるなら、ここまでしてくれる筈がない。雨に打たれながら、泥に塗れて学校からここまで全速力で駆け抜けるのは相当な体力を使うこと。でも疲労を一切感じさせないよう、笑いながら手を差し出してくれて。相手のことを真剣に考えてここまで追いかけて、叱って、引っ張り上げようとしてくれる相手をどうして疑えるだろうか。
内側で「やめろ」と声が響いてきたけど、聞こえないふりをした。私は初めて、"あの子"の言葉に耳を塞いだ。
ひとりぼっちは、寂しい。辛い。彼が助けてくれるというなら、私は────
顔を上げて立ち上がり、手を伸ばす。指先が触れ合った瞬間、彼は乱暴にならない程度に私の身体を力強く引き寄せてくれた。もう暗闇に閉じこもる必要はないと、独りで膝を抱えて全てを塞ぎ込まなくてもいいと、そう伝えるかのように。
「やっと、オレのこと見てくれたな」
茂みから出てきた私に、彼は途切れてきた雨雲の隙間から顔を覗かせた太陽に負けないくらい、屈託のない眩しい笑顔を浮かべて見せた。




