Ex0.Dans les coulisses(2)
……迷いの森を抜けた先にある、屋敷に入って私は素早く扉を閉めた。
魔法の効果によって、ガチャンとひとりでに鍵がかかる。すぐにリビングへ向かって課題やら食事やら、色々用事を片付けるべきなのだけど……私はそのまま、扉にズルズルともたれかかった。
腕の中には、一冊の本。単純に趣味である読書を楽しむため、それと『外』へ注意を向けないために学校に持ち込んでいたものだ。王城の書庫で見つけて、私が興味深そうに眺めていたのを見た姉さんが譲ってくれた大切な品。それを、私はあろうことか学校の机の上に放り出したまま教室を後にしてしまっていたんだ。
昼間の護身術の授業でのことで動揺していたにしても情け無さすぎる。つい先日まで、私物は懐に収めてなければすぐにでも隠されるか、ズタズタに引き裂かれるか、そんなことは日常茶飯事の環境にいたにもかかわらず。目の前に差し出されるまで、忘れていることさえ気が付かなかった。間抜けにも程がある話だ。
「……何を、してるんだろう」
手元の本に視線を落とし、思わずため息をつく。
転校したのは身を隠すため。それ以上でもそれ以下でもない。希望なんて、見出すだけ無駄だと知ってしまった。わかってしまった。いくら手を伸ばしても振り解かれて、跳ね除けられて、踏みにじられるだけだったから。
なのに、彼らは違うのかもしれないと思ってしまった。この本を届けてくれた2人……昼間の護身術の模擬戦でも当たったイアという男子生徒と、その友人らしい────昨日殺気を飛ばしてしまった相手でもある────黄緑色の女子生徒。2人は置きっぱなしにして盗まれたらまずいからと、私の向かった先を尋ねながらわざわざ追いかけてきてくれた。
その厚意が、言葉が、笑顔が偽りだとは到底思えなかった。興味があるだけではこんな手間がかかることなんてできないだろう。これが信用を得るためだけで、あとで陥れるための策なのだとしたらとんだ演技派だ。そんな卑劣な真似をするようには見えない……考えてすらいなさそうな2人だった。
傷付いて、心に決めた筈なのに。たった2日で揺らいでしまっている事実に、自分で自分が嫌になってくる。
「わかってるよ……『あそこ』から離れられただけで、気を緩めすぎだってことは。次は、もうしないから」
そんな私を叱りつけるような言葉をかけてくる"あの子"に反省していることを伝える。昼間に注意されたというのに、この体たらくだ。"あの子"もかなり怒っていることがすぐにわかる。
でも、悲しいとは思わない。私を責めるのは、"あの子"がそれだけ私のことを真剣に考えてくれていることを知っているから。言葉こそ少しトゲがあるものだけど、隠し切れない想いはちゃんと伝わっている。
「……うん。こんな失態は、これっきりにするよう努める。これ以上は近づかない、近づけさせない。もう、何もかも触れさせない」
たとえ、あの2人が予想通り敵意も悪意も一切持ってなかったとしても、これより先に踏み入らせたくはない。一定の距離を保ち、最初から深入りしなければ傷付くことだってなくなるのだから。
もし手を出してくるようなことがあれば、その時は────
それからは誰とも一切接点を持たないよう、クラスメートと関わることも避けるようにした。無視は無駄に印象を悪くするから、問いかけられたことに最低限の答えを返して、あとは目を合わせないために外を眺める。読書以外での暇つぶしのつもりだったけど、学校の周りを囲うのどかな自然を眺めるのはなかなか落ち着くものだった。
そんな態度で過ごしていたら、私の意思が伝わっているのかいないのか、クラスメート達は授業などやむを得ない時以外は話しかけてくることもあまりしなくなっていった。あの2人だけは諦めてないようでやたら積極的に関わろうとしてきたけど、改めるつもりはなかった。きっとよく思われないだろうと自覚していても、距離を詰めたくはない。こちらが歩み寄ろうとしても嘲笑われるばかりか、利用される世界を散々見てきたせいでそういうものなんだという考えが根付いてしまった。
本の中の理想通りにならなくても、私には姉さんと"あの子"がいれば充分。夢に見切りを付ける覚悟もしていたけれど……
「なあ、ルジェリア。調合室、一緒に行くか?」
「……必要ない。廊下を真っ直ぐ進むだけでしょう」
「でも席まではどこ座るか知らねーだろ? 教室の席を基準にしてるけどよ、初めてなんだし正確な位置はわからねぇじゃん」
「……」
調合術の実習授業になった時、あのイアという男子生徒に一緒に調合室へ行こうと誘われた。もちろん断るつもりだったけれど、席がわからないのは事実。反論できなかった私は結局その誘いに仕方なく乗ることにした。
移動中の間も当たり前のように付いてきた黄緑色の女子生徒にしつこく話しかけられるものの、曖昧な返事だけしてその場をやり過ごす。そもそも、話題をふられたところでどう反応すればわからなかった。
実技の授業は基本的にクラスメートと協力して進めていくものだ。調合術もその例に漏れず。男子は薬の加熱と混ぜる作業を、私達女子は薬草など使う材料の下準備を任された。
転校してきたばかりで道具の収納場所も知らない私は、同じグループとなった女子生徒に教わりながら作業を進めていく。会話も授業中ということでそれに関係したものばかりだからそれほど苦痛ではない。
このまま平穏に終われば。そう思っていたら……
「これ、ルジェリアの魔法書だよな? 向こう置いとくぞ」
材料を全て投入し終えてすぐに、ふとあの男子生徒が声をかけてきた。その手には言葉通り私が使っている魔法書があった。
……その瞬間、記憶が蘇る。あの場所で……名門とは名ばかりの、醜悪としか表現のしようがない所業が繰り返され、にもかかわらず誰もが目を逸らし、黙認するばかりの学校での体験が。所持品は奪われたら最後、隠されるか、捨てられるか……最悪、原形が思い出せないくらいに破壊されるか。
それがまた、繰り返される。その可能性が頭をよぎった瞬間、考える前に身体は衝動に突き動かされていて。
「────触るなッ‼︎」
反射的に男子生徒から魔法書を引ったくるようにして取り返す。思ったよりも鋭い声が出てしまい、手の中に魔法書が戻った瞬間、ハッと我に返る。
みんな、何事かと私と男子生徒を見ていた。様々な色の、20もの一対の瞳から発される光が、私の身体を貫き、その場に磔にされるかのような錯覚に陥る。授業中だとはわかっていたけれど、もう参加する気にはなれなかった。
逃げ出すように調合室から出て行っても、あの男子生徒は追いかけてくる。なんでもないと、突き放しても諦めずに離れようとしない。
「なあ、全部話してくれとは言わねえけどさ。胸の中にしまったまんまじゃずっと苦しいだけだろ。どっかで外に出さねえと、いつか壊れちまうぞ」
「……」
何故、そこまで転校してきたばかりで、ロクに交流を深めようともしない相手を気遣えるのか理解できなかった。不思議に思うと同時に、恐怖も感じていた。
何を思って、私に関わろうとしてくるのか。私に近づいてくるものは悪意を持った者ばかりだった。時折、そうでない者もいたけれど、結局最後は離れて、いなくなった。離れなかったのは姉さんだけ、いつもそばにいてくれたのは"あの子"だけ。
「やめ、て。小さい希望なんてもう持ちたくない、理想を追い求めても掴めない、掴まれない。背けられて、裏切られて、その度に傷んで……壊れた。みんな、みんな、みんなみんなみんなみんなみんな……」
「る、ルジェリア?」
焦がれた筈だった。大きなアーチ状の窓の向こうに広がる世界に。実物よりずっと小さく、四角く切り取られたもので、上から見下ろすしかできなくても輝いているように見えていた。
……なのに、違った。奥底には自分さえ良ければいいのだと、そのためには誰かを蹴落とすことさえ厭わない事実が隠されていて。夢はあっという間に悪夢に塗り替えられた。そして、
「────手を伸ばすのは、もう疲れた」
……『現実』に私の居場所はないのだと、思い知った。




