Ex0.Dans les coulisses(1)
────その言葉に、どれだけ救われたことか。
────『外』から裏切られたあの日から、もう何も信じないと、そう心に誓った。
とにかく、逃げ出したかった。名門という輝かしい肩書きなんて見せかけばかりの、あの悪夢のような場所で過ごす日々から。だからこそ、そことは正反対の辺鄙な学校へ向かったのは身を隠すためだけであり。
「……ルジェリア、です。よろしく」
……誰にも近づくまいと、決めていたのに。
「ええっと……よろしくな」
……前の席に座っているというだけで、他と大差ないと思っていたのに。
私……ルジェリアがこの学校に来て初めて抱いた印象は、古いということだった。
校門と敷地内を囲う塀は私の身長より少し高い程度しかなく、周りには雑草が伸び放題。校舎も、建物を形作る木材はすっかり黒ずんでいる上に、あちこち補強の痕跡が見られた。
転校前との落差に少し唖然とするものの、身を隠すのには最適かとすぐに気持ちを切り替える。あの地獄とは真逆の雰囲気と環境、私が望んだ通りの場所だ。一人で静かに過ごせればそれで充分。恐怖に身を縮こまらせる必要がないなら、見た目なんて然程気にならない。
担任の教師から紹介された後すぐに、私は今日からクラスメートとなる妖精達に囲まれた。転校生という存在は嫌でも注目を集めるらしい。今は純粋に興味を持っているだけだとしても、いつかこれが敵意に変わるかもしれないという恐怖から、返答は最低限に留めておく。
少しでも心を許したら、一瞬でも懐に入られたら、厚意は悪意へと転じて寝首を掻かれる。それが以前までの生活だった。全てが同じではないとはわかっていても、遠ざけずにはいられない。だからその時の記憶を蒸し返されるような質問をされた時、ただ単に興味本位で聞いてきたことでも、触れてほしくないがために必要以上に殺気を飛ばしてしまった。
……質問をしてきた黄緑色の女子生徒に、少し悪いことをしたと反省した。
「よし。次は護身術だから、各自武器を持って外に出てくれ」
誰かと接する時間もできる限り少ない方がいいのだけど、学校に通っている以上、そうも言ってられない。授業の中にはどうしてもそれが避けられないものもある。護身術など、クラスメートと相対したり協力したりする必要がある実技科目はその筆頭だ。
護身術は割と得意科目ではあるけど、模擬戦をする可能性があると思うと少し憂鬱だ。転校してきて2日目にいきなりあるとは運がない。できれば一人で素振りをして済ませられればいいのだけど……。
「今日も前回と同じく一対一での模擬戦を行う予定だったが、ルジェリアが来たからな。せっかくだし、ルジェリアの実力をこの機会に測っておこう。イア、いきなりで悪いがルジェリアの相手を頼めるか?」
「えっ、オレ?」
……現実はそう上手くいかないものだ。いつの間にか、私の実力測定を行うことが決まってしまった。
イアという、護身術でトップの成績を収めている男子生徒が相手になるらしい。2人だけでクラスメートの前に出る上に、測定ということで目立つことは回避できず。視線という視線に晒され、思わずその場で縮こまる。
乗り気はしないけど、成績にも関わることだろうからやらないわけにはいかない。相手の実力にもよるけど……なんとか早く終わらせてしまおうと、私は指示された位置に着いてすぐに剣を引き抜く。
「来ないんならこっちからいくぜ!」
相手となる生徒は積極的に攻め込むタイプらしい。出方をうかがっていると、じれったいとばかりに正面から突っ込んでくる。わかりやすい動きに加えて、狙いも目線でバレバレだ。焦らずに、こちらの動きが悟られないようギリギリまで間合いを詰めてサッと横に避ける。
「うわっ、ととと!」
攻撃は外れ、勢い余ってよろける男子生徒。当たりこそしなかったものの、かなりのスピードで走っていたようで私の横を通り過ぎると同時にヒュッと風を切る音が耳を掠める。
その後も男子生徒は何度か攻撃を仕掛けてくるけど、変わり映えのしない単調なもので見切るのは難しくなかった。勢いと、斧を振るうスピードから一撃だけでもかなりの威力はあるのはわかるのに。
……なんだか、もったいない。ふと、そんな考えが浮かんだ。
「……動きが」
「へっ?」
「斧の動きが、正直すぎる。振るい方も含めて、目線でもどこを狙っているのかすぐにわかる。パワーはあるのに、それで損してる。相手の目が届かないところを狙うか、魔法を織り交ぜてでもしないと」
「お、おう?」
気付いたら、その男子生徒に対してアドバイスを口にしていた。相手もいきなりのことにきょとんとしていたけれど、私自身も何故そんなことをしたのか少し驚いていた。
まさか、彼に対して前の席にいるからと多少興味を持ったのか。……そんな考えが一瞬よぎったものの、すぐそんな筈ないと否定する。測定という名目だったために、手加減されているように感じたのが嫌だったからだろう。そうに違いない。僅かでも希望を抱くことが、『あそこ』でどれだけ無駄だと思い知らされたことか。
でも、もしかしたらという考えも何故か捨て切れずにいて……そんなぐちゃぐちゃな思考を振り払うべく、目の前のことだけに集中する。
「まだ終わんねぇぞ!」
「なっ……」
助言をしてから、男子生徒の動きは目に見えて変わっていた。魔法で視界を遮ってから直接攻撃を仕掛けてきたり、私が光弾で弾幕を張ったからか、遠距離は不利だと思ったようで距離を詰めてこようとしたり。単純な力では勝っていることと、相手の行動で有利な距離感を見つける判断力。戦略を組み立てるまではいかないものの、戦いの才能は本物だ。流石はトップの成績を収めているだけはある。
測定自体は担任に途中で止められてしまったけれど、一筋縄ではいかない相手との勝負を私は少しばかり楽しんでいた。
「ありがとな、ルジェリア」
「……?」
担任に休憩するよう指示を出され、涼しい木陰に移動しようとした時、不意に男子生徒から礼を告げられた。
何に対しての感謝なのか、理由がわからずに首を傾げている私を見て、すかさず男子生徒は続けた。
「アドバイスしてくれただろ? 狙いが正直すぎるって。確かにその通りだって思ったよ。おかげで存分に戦えたからさ、その礼」
そう真っ直ぐ言われて、その場で固まる。蒼い瞳を細めて、ニカッと敵意などカケラもないような眩しい笑顔で。
どこまでも澄み切った、疑うことを知らないようなまさに純粋という言葉が当てはまるそんな表情。私はもうずっとこんな顔をできてないように思う。『外』の汚らわしい真実を知ってから、心は冷え切り、顔は強張って。いつしか奥底へ閉じ込めるようになっていた。
それは感情を表に出せば相手はつけ上がり、受ける仕打ちがさらに酷いものになることを身をもって理解してしまったが故に。
「……才能があるのに、もったいないと思っただけ」
「ん?」
「やるからには、ちゃんと全力を尽くしてほしかったから。役に立ったのなら、良かった」
測定だからといって手を抜いてほしくなかっただけで、他意はない。そう自分に言い聞かせつつ、すぐにその場を去った。これ以上あの笑顔に当てられたら、決心が鈍ってしまうような気がして。
「……大丈夫。ただあのまま終わってしまうのが嫌だっただけだから。他に意味なんてない、心を許したわけじゃない。敵意を向けられないようにするため、ただそれだけのことだから」
────私の行動を咎めてきた、唯一のトモダチである"あの子"へそう言い訳しながら。




