Ex5.それはとても温かな(2)
待ち始めてから5分も経たない内に、厨房に引っ込んでいたエメラが戻ってきた。
手にした銀色のトレーの上にはポットとカップなど、ティーセット一式が乗せられている。メインのクレープの前に、もう一つの注文である紅茶を先に用意したらしい。
「お待ちどおさま! ご注文の紅茶。クレープができるまでの間、これ飲んでゆっくりしててね」
エメラは早速、ルジェリアの前にソーサーの上にカップを乗せて、その中に紅茶を注いでいく。みるみるうちに、綺麗な飴色の紅茶で満たされたティーカップ。紅茶からふわっと湯気が立ち上るのと一緒に、個室の中が紅茶のいい香りで包まれた。
「これが砂糖とミルクね、お好みでどうぞ。はいこれ、イアには水」
「うわぁ、扱いすげぇ雑」
「何にも注文してなかったんだから当然でしょ。出してあげただけありがたく思ってよ」
「へいへい、感謝してますって」
今日はルジェリアの歓迎会ってことで、オレは別に何か食べるつもりじゃなかったから仕方ないんだが。まあ、喉が渇いているのも確かだし、もらっておこう。
オレが水を飲んでいる最中、お茶の準備が済んだエメラはクレープを作るためにまた厨房に戻っていったが、ルジェリアはまだどこか遠慮しているのかまだカップに手をつけていないままだった。
「ん、飲まないのか? 冷めちまうぞ」
「あ……うん」
オレに指摘されたことで、ルジェリアはようやくティーカップを手に取る。香りを少し嗅いでから一口飲んで……カップをソーサーの上に一旦戻すと、砂糖の容器に手を伸ばす。それから角砂糖を一粒取り、ティースプーンでゆっくりと混ぜた。
その間、ルジェリアは一切音を立てずに静かに紅茶を飲んでいた。オレだったら絶対スプーンをカップにぶつけてカチャカチャ鳴らしちまうところだってのに。なんかやたら手慣れてるっていうか……オレは知らないけど、作法に則っているかのような動きだ。
紅茶が好きってだけじゃこんなやり方はできないよな。もしかして、ルジェリアって結構いいとこの家だったりすんのかな。
ルジェリアに対する疑問がまた一つ出てきたところで、再びエメラが個室に戻ってきた。もちろん、その手にはお待ちかねの苺のクレープを手にして。
「はい、ご注文の苺のクレープ! サービスで苺増し増しにしてきちゃった!」
「え。それママさんに怒られねぇか?」
「許可は取ったし、だいじょぶだいじょぶ。自分のためじゃないからってあっさりオッケーしてくれたもん」
オレの隣の席に腰を下ろしつつ、エメラは銀の輪っかのスタンドに立てかけられた苺たっぷりのクレープをルジェリアの前に置いた。
真ん中にある丸ごとの苺の周りを半分に切られた苺が花びらのようにぐるりと囲んで、その間をたっぷりのホイップクリームとキラキラ光っているような赤いシロップが彩っている、見た目だけでも綺麗なクレープだ。メニューに載せてあった中身を見せるために広げられている状態の絵とは違って、生地でくるまれている今はその飾り付けもあって小さな花束のようだった。
そんな美味そうな出来立てのクレープなんだが……ルジェリアはなんでだかクレープを凝視したまま食べようとしない。
「あれ、どうしたの? これはルジェリアのだから遠慮せず食べていいんだよ?」
「あ……その」
「なんだ、まだ金がどうこうっての気にしてんのか?」
「そうじゃなくて……ナイフとかフォークは……?」
「え、あ。それって食べ方がわからないってこと? もしかしてクレープ初めて?」
エメラがそう尋ねると、ルジェリアは恥ずかしそうにうつむきながらうなずいた。
その質問への答えでルジェリアが何に困っているのかやっとわかった。てっきりケーキみたくフォークとかで食べるかと思っていたのに、それらが一切用意されていないことに戸惑っていたんだろう。
「そっか。それ、手で持って直接食べればいいの。パンと似た感覚かな」
「えっ」
「心配すんな、それが正しい食べ方だから。行儀悪くもなんともねえぞ。思い切ってやってみろ」
「……うん」
そうは言っても、すぐには違和感が拭えないんだろう。スタンドに立てられたクレープをおずおずと手に取り、しばらくそれと睨めっこしていたがやがて決心したようではくりとひとかじり。
「……っ!」
「どうかな? 口に合う?」
「……美味しい」
「ホント⁉︎ 良かった!」
ルジェリアに自分が作ったスイーツの味が認められて、エメラはパァッと顔を輝かせる。
一回食べてしまえば抵抗も薄れたんだろう。ルジェリアは一口目をもぐもぐとしっかり味わってから飲み込んですぐに、もう一口、また一口とどんどんクレープを食べ進めていく。さっきまでの遠慮がちだった態度はどこへやら。ルジェリアはすっかりクレープに夢中になっていた。
今までの、怯えから警戒心が消えなかった表情もすっかり和らいで。リラックスした中で美味いものを食べたことによるものなのか……ふと、ルジェリアの口角がゆるりと持ち上がった。
「えっ。い、今笑ったか?」
「……っ、笑ってない」
「いや、確かに」
「笑ってない」
「いやいや、今ぜってぇ……あでっ⁉︎」
「……しつこい」
それが夢じゃないかと思ってついムキになって確認しようとしたら、繰り返し尋ねたのがムカついたようで、スネに一発蹴りを入れられてしまった。素早い上に、硬いブーツのつま先で、しかも急所に入ったそれは痛みが直接受けたスネだけに収まらず全身にジーンと響き、オレは反射的にうずくまる。
前の模擬戦でなんとなくわかってたことだけど、ルジェリアって結構容赦ねぇのな……。
「あーあ。イアってたまにデリカシー無いよねぇ」
「いちち、だってよぉ」
エメラはそんなオレに呆れているが、それも仕方ないだろう。説得する前はともかく、今までの練習でもくすりともしなかったルジェリアがようやく微笑んでくれたんだ。今はもうオレから顔を背けてツンと拗ねてしまっているけど、ルジェリアの心を凍りつかせていた氷が、やっと溶け始めていることが証明されたんだ。
いつかこれが、当たり前になれれば。まだ辿り着くには遠いかもしれないけど……積み重ねていけば、きっと不可能じゃない。こうして、一瞬だけでも成果を出せていることがわかったんだから。
「スイーツのメニューは他にもあるし、料理もたくさん揃っているから気に入ったらまたいつでも来てくれて大丈夫だからね。今日は個室だけど、テラス席で外を眺めながら食事するのも楽しいよ!」
エメラの言葉に、ルジェリアはクレープを食べながらこくりとうなずく。見た感じカフェの雰囲気もそう嫌には思ってなさそうだから、今回の練習は成功と見ていいだろう。
「あ、そだ。甘いものが好きなら、これも一つ食べてみる?」
「これって……キャンディ?」
「あー、そいつは……」
エメラは席についてから、ついでに作ったのであろうキャンディをパクパク食べていた。
白に赤や黄緑、黄色など様々な色が渦を描いて混ざる、マーブル模様のカラフルなキャンディ。エメラに勧められる形ではあったが、その本人があまりにも美味そうに食べていることに興味が湧いたのか、言われるままルジェリアはキャンディを一粒受け取った。
ただのキャンディなら良いんだが、生憎それを作ったのは砂糖菓子が大好物のエメラだ。しかも自分用に作っていたものならただのキャンディで済むハズがなく。
咄嗟にルジェリアを止めようとしたんだが時すでに遅し。ルジェリアは受け取ったばかりのキャンディをパクリと口にして……
その数秒後、盛大にむせた。




