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幻精鏡界録  作者: 月夜瑠璃
番外編 灰まみれの王女と出来損ないの勇者
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Ex3.泥だらけの勇者(3)

 

 やっとのことで見つけられたルジェリアは、すごく小さく見えた。膝を抱えて、顔を埋めて、身体を縮こまらせながらカタカタと小さく震えている。それが雨に打たれたことによる寒さからなのか、置き去りにされた寂しさからなのか、もしくはその両方から来るものなのか……今はまだわからなかった。

 必要最低限にしか口を開かない、表情も滅多に動かさない、誰とも距離を縮めようともしない。最初は機械のような冷たい印象を感じさせてしまうものの、相手のことを考えてくれる優しさもあって。言葉にはしにくい、不思議な雰囲気を纏っているけど……エメラとかと変わらない、普通の女の子なんだということが今やっと理解できた気がする。そんなの、考えなくてもすぐわかるくらい当たり前だというのに。


 どう声を、どんな言葉をかけてやるべきか。直前になって不安が押し寄せ、あと一歩をなかなか踏み出せないでいたら……


「……何の、用」


「な、気付いてたのか」


「そんなに荒れた息で近くにいたら、すぐわかる」


「……」


 それもそうか、とため息をつく。どしゃ降りの雨の音で大半は掻き消されているとしても、すぐ傍でゼェゼェ息を切らしていたら嫌でも気配を感じ取れるか。

 いや、それよりもルジェリアのことをなんとかしねえと。


「そこ、寒くないのか?」


「……別に」


「一人で泣いてても、苦しいだけだろ」


「泣いて、ない」


「……そうか。でも、このままじゃ風邪引いちまうぞ。とりあえずそこから出て、」


「────やめて」


 ここに来て初めてはっきりとした言葉で拒絶される。改めて突き放されたことで、ルジェリアに駆け寄ろうとした足がピタッと止まってしまった。


「自分の理想のために、助けを求めるために、ずっと手を伸ばし続けていたのに、何も掴めなかった。掴まれなかった。途中で振り払われるのはまだいい。顔を背けられて、足蹴にされて……目の前で何が起ころうと、見て見ぬふりばかり」


「それって……」


「私の存在なんて、鬱憤うっぷんをぶつける対象でしかなかった。いないものとして扱ってくれる方がマシだった。励ましの言葉をかけられても……結局、最後は反故ほごにされた。全て嘘だった。全て妄言だった。紡がれた言葉全て、偽善だった。見出した僅かばかりの希望も消えて、胸が張り裂ける思いをするくらいなら……最初から、無い方がずっと良かった!」


 オレから魔法書を取り返した時のように声を荒げるルジェリア。それと同時に、今まで抱えた膝の間に埋めていた顔をガバッと上げる。

 ……びしょ濡れの顔は酷く歪んで、血のような色を宿す瞳は涙で潤みながらもオレを鋭く睨みつけていて。怒りからか、悲しみからか……口はわなわなと小刻みに震えて、それらで写す感情の全てが今までルジェリアが抱え込んでいたものによって暗く塗り潰されていた。


 今の……多分ってか確実に、ルジェリアが前に通っていた学校で受けた仕打ちなんだろう。どんな内容かまではわからないけど、かなり酷いものだってことはわかる。サンドバッグみたいな扱いをされて、耐え切れなくなって助けを求めても無視されて、励ましてくれたやつもいたようだが、最後には見捨てられてしまった……そういうことなんだと思う。

 今までのルジェリアの反応と行動……恐怖で身体を震わせて、全てを拒絶してしまうのも、当然の結果だったのかもしれない。もうそんな目に遭うのも、そんな思いをするのも御免だからと。


 裏切られるのが嫌だから、そこから逃げたいから転校してきたってのか? でも、だったら……


「口ではどうとでも言える。上辺を取り繕うことなど容易くできてしまう。一瞬でも心を許せば、つけ込まれる。それまでの行動を否定され、あざける対象と成り果てる。世界の醜さを、まざまざと見せつけられるばかりの毎日だった」


「……」


「環境が変わろうとも、そうはならないという保証がどこにある? ふとした弾みで壊れることも、今は見えない歪みが大きく裂けることも、どうして無いと言い切れる? 信用を、信頼を、潰されて踏みにじられて、再び手を取る道理はとっくに消え失せた!」


 自分を裏切り、傷付けるばかりの『現実』へ恨みを……呪いを吐き続ける。先に壊したのだから、自分だってもう信じようとしないということを。先に振り落とされたのだから、最初から遠ざけていようと。

 さっきの────手を伸ばすのはもう疲れた、ってそういうことか。だけど、


「すぐに潰える儚い希望に踊らされるのはもうたくさん。私が夢見た理想など、所詮夢。ありもしない幻想。消えるなら、もう何も見なければいい……」


「────だったら。だったらなんで転校なんかしたんだよ!」


「……は、」


 言わずにはいられなかった。ルジェリアの主張に対して、今までの行動との大きな食い違いに気付いてしまったから。

 ルジェリア本人もそれに気付いてないんだろう。今まで怒りで、悲しみでぐちゃぐちゃになっていた顔が、訳がわからないとばかりにぽかんとしている。こんなオレでもわかったというのに、ルジェリア自身は気付けてないなんて……よっぽど周りが見えてないんだろう。壁が分厚すぎて、目の前に見通しの悪いフィルターがかけまくられて。足元すらちゃんと確認できていないときた。

 なら、わからせてやるまでだ。今すべきなのはすごく単純、テストに出されるまでもない簡単な問題の答え合わせ。


「最初から何も見たくないってんなら、閉じこもってりゃ良かったんだ! お前を傷付けるやつなんていない、安全な家の中で夢だけ見てれば良かったんだ! なのになんでお前は転校してまでまた外に出ようと思った⁉︎ ありもしない希望を捨てようと思わなかった⁉︎」


「それ、は」


「それをしなかったのはまだどっかで信じたかったんだろ? 自分の夢を託せられる相手が何処かにいるって! 酷ぇこといっぱいされて、ズタボロになっても引き下がろうとしなかったのは、誰かに助けてほしかったからじゃないのか⁉︎」


「知ったような、口を……!」


「ああ、そうだよ。こんなのオレが立てた勝手な憶測だ。出会って一週間のお前ことなんて一から十までわかるもんか。自分のことだって全部はわかんないってのに。でもな、詳しく知らねえからこそ偏見無しに見られることもあるし、そんな状態でもわかっちまうほどお前の言葉と行動はあべこべなんだよ」


 オレの言葉に、ルジェリアの顔が再び怒りで歪んでいく。

 何もかも貫いてしまいそうなほど鋭い眼差し。でも、ここで退くわけにはいかない。否定していても動揺しているということは、オレの指摘が少しでも当たっていたからこそだろう。

 引きずり出してやらねえと。ルジェリアの本心も、ルジェリア自身も、暗闇から。


「今も、わかんないことだらけだよ。お前が転校前にどんな目に遭ってきたのかも、お前が今何を思っているのかも、オレには何にもわかんねえ。でも、それを知るために動いてんだ。みんなそうだろ? 生きるために、どうしたらいいのかその方法を探るために毎日せかせか動いてる。知りたいから、わかりたいから、近づきたいから、手を伸ばして、走って、踏ん張るんだろ!」


「そんなの、一時的なものでしかない……! みんなそう言って、最後は裏切った! 綺麗事なんてもう聞き飽きた……!」


「綺麗事かもしれねえよ! でも、だったらなんでオレはこんなことしてんだよ! 中途半端な気持ちで追いかけてきたように見えんのか⁉︎ お前のこと知りたいから手を伸ばすんだ! お前のこと助けたいから正面からぶつかってんだ! オレは馬鹿だ、だから後先考えずにここまで来ちまった。成果得られるまでてこでも帰りゃしねえぞ、舐めんじゃねぇ‼︎」


 怒鳴りつけるように語気を強めると、流石にビビったのかルジェリアは肩をビクッと震わせる。

 その言葉に嘘はない。どう言われようと、もう止まってやるもんか。


「一人で抱え込んで、壊れそうになってるのに放っておけるかよ。オレは馬鹿だ、自分の弱点だってお前に指摘してもらわねえと気付けないくらいに鈍いヤローだ。でも、言葉にしなくても、行動に移せなくても、お前の気持ちがほんのちょっとだけでも理解できた。それに、腕っ節はクラス一だってことは唯一胸張って言える。それでお前が背負って抱えきれない重たいもん、全部オレが引き受けてやるから」


「……ぁ」


「支え合うんだよ。オレとお前、出来ること出来ないことをお互いに補い合って、2人でお前の夢掴むんだ。誰だって、できることには限界がある。どんなにすごい天才でも、この国の女王様でも、みんな誰かに力を貸してもらいながらでっけぇこと成し遂げてんだ。迷惑なんてかけて当たり前なんだ、お互い様なんだ。それをまず、わかれ」


「……っ、」


「疲れたら、おぶってやる。つまずきそうになったら、受け止めてやる。いつだって寄りかかってきていい。もたれかかってきたって全然構わない。オレが頼りなくて不安だったら、たまにでいいから。オレも、そうなれるよう努力するから」


 だから、あと一歩だけ踏み出してくれ。そう頼みながら、オレは手を真っ直ぐに差し出した。

 こればっかりはルジェリアにしてもらわなきゃいけない。それができるだけの勇気を出すのは、本人でなくてはならないから。オレができるのはここまでだ。


 ルジェリアは呆けたような表情でオレをじっと見つめていた。怒りも悲しみも引っ込んだその顔からは、今のでどう思っているのか読み取れない。もしかしたら、このまま逃げてしまうかもしれない……

 そんな不安が一瞬よぎったが、ルジェリアはその場から立ち去ろうとはせず、ゆっくり口を開く。


「嘘は、ない?」


「……っ。ああ、全部本心だ」


「支えてくれる?」


「当然だ」


「……裏切ら、ない?」


「そんな姑息な真似、できるほど賢そうに見えるか?」


 それを聞いたルジェリアはゆっくりと立ち上がり、今まで懐に引っ込めていた手をオレに向かって伸ばし……オレの指先と触れ合った瞬間、その手を掴んでルジェリアの身体を思い切り引き寄せる。

 もう、二度と暗闇に落ちていかないように。絶対に、この手を離さないために。



 ────気が付けば、いつの間にか雨は上がっていた。

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