Ex1.灰被りの少女(1)
その涙を見た時オレは、手を伸ばさずにはいられなかった────
────それは、最上級生となったばかりの頃だった。
「もー、イアおっそい!」
「わりーわりー、ちっと寝坊した!」
待ち合わせに着いた途端、出会い頭に時間ギリギリなことを叱ってきたエメラに、オレ────イアはそんな軽い謝罪を口にする。そして、エメラの元まで来てからは2人並んで学校へと歩き出した。
こうして幼馴染であるエメラと登校するのがオレ達の日常だった。ちっさい頃から家族ぐるみで付き合いがあって、お互いに気の置けない仲にある。性別はもちろんのこと、趣味も好みも正反対だったが、何かと息が合って気が付くと2人一緒にいることが多かった。
他愛のない話をしながら歩き続け、やがてオレ達が通っている学校が見えてきた。いかにも古めかしい、黒ずんだ木造のボロい建物。入学したての頃はあまりのオンボロ具合に驚いたり、走って床が抜けてしまったりなんてこともあったが、今はすっかり慣れたもんだった。
オレが少し遅れたせいで、着いたのは授業が始まる時間ギリギリだった。先生にも怒られるのは勘弁だ。さっさと用意済ませちまおうと、教室に入って自分の席へ向かおうとしたら、
「……ん、ここに机ってあったか?」
昨日までは無かった筈のそれに、オレは思わず首を傾げる。
オレの席の真後ろに設置された一つの机とイス。どの机ともくっつくことなく、その机ただ一つだけぽつんと寂しげに佇んでいる光景は、列からそれだけ追い出されているようにも見えた。
昨日何かに使った覚えもねえし、オレの机としっかり並べている辺り、片付け忘れたってわけでもなさそうだけど……。
「あれ。イアどうしたの、その机?」
「オレだって知らねえよ。なんか出してあった」
オレの席の近くに来たエメラも机の存在に気が付いたようだ。エメラも、見覚えのないその机の存在に不思議そうにしていた。
「放り出してるわけでもないっぽいし、これから使うのかなって思ってんだけどよ」
「あ、もしかして転校生とか来るんじゃない⁉︎ それだったら説明つくよ!」
「こんな微妙な時期に、こんなオンボロ学校にわざわざ転校しに来るやつとかいるのか?」
「う、うーん……いないことはないんじゃない? ここ、居心地はいいし」
「まあ、そうなんだけどよ」
ここは生徒数が少ない分、他学年の生徒とも交流しやすくて学校全体で仲が良く、空き地みたいな校庭も自然と一体化してるような感じで過ごしやすい。今はオレもこの学校で良かったと思えてるんだが、外観はあの通り廃墟一歩手前みたいなもの。オレとエメラも家から一番近いって理由でここに通うことになったくらいだし、好きでこの学校に通いたいと思う奴なんて滅多にいないだろう。転校生なんて言わずもがな、ってやつだ。
まあ先生ももうすぐ来るし、この机の理由もそれでわかるだろうけど。
「みんな、おはよう。席に着いてくれ」
噂をすれば、挨拶と共にアルス先生が教室に入ってきた。オレと話していたエメラも、先生の指示を聞いて慌てて自分の席へと戻る。
先生はそのまま教卓まで移動して、それからいつものように授業が始まるのかと思ったら……違った。「あー……」と曖昧な声を漏らして、何やら言いにくそうにそわそわしている。
「授業を始める前に、みんなにお知らせだ。今日からこのクラスに来ることになった転校生を紹介する」
「えっ、ホントに?」
先生からそれを聞いた途端、エメラは反射的にびっくりした声を出して、オレも目を見開いた。予想していたとはいえ、まさか本当に転校生が来るとは思わなかった。
ただでさえこのクラスどころか、学校全体で見ても人数が少ないこの状況で新しく仲間が加わるのは嬉しいことに違いないんだが、気になったのは先生の態度だ。普通ならクラスをあげて歓迎するところのはずなのに、なんでだか困ったような表情を浮かべて、手放しで喜べなさそうな雰囲気を漂わせていた。
「その子なんだが……ちょっと事情があってこの学校に通うことが急遽決まったんだ。どうか仲良くしてあげてほしい」
「……っ」
……何か、良くないことがあったんだ。ワケアリって言葉だけでは片付けられないくらいの、先生でも言葉にしたくないような悪いことが。馬鹿なオレでも先生のその言葉ですぐにそれを察せた。
机が一つだけ離してあるのも、もしかしたら────
「それじゃあ、入ってきてくれ」
先生の声を合図に教室の扉が開かれ、転校生が入ってきた。
袖と裾にピンク色のベールのような布が付いた、金で縁取りされている黒いローブと黒いブーツ姿。おまけにフードを目深にかぶっているものだから、人相が全くと言っていいほどわからない。
全身真っ黒だし、顔隠してるし、なんだか怪しい奴だな。そう思っていたら、教卓の傍までやって来るとそいつはおもむろにフードを脱いだ。
「あ────」
その瞬間、思わず声が漏れた。
ようやく露わになった転校生の顔……それは薄いピンク色で、ふわふわな長い耳が垂れたウサギのようなものだった。だが、それ以上に目を引いたのはそいつの瞳。妖精には滅多に見られないルビーみたいな紅色をしていて、右耳に付けられた三日月の髪飾りと一緒にキラキラと輝いていた。
パッと見は明るそうなんだが……そいつの目に宿る光が、まるで睨みつけているように鋭いのがちょっとばかし気になった。
「……ルジェリア、です。よろしく」
最初の挨拶は5秒も経たない内に終わった。名前を告げただけの本当に必要最低限な自己紹介。……先生も事情があるとは言ってたが、確かにこれはなかなか一筋縄ではいかなさそうだ。
そして転校生……ルジェリアの席は、予想通りオレの真後ろの机だった。先生からその席に座るよう指示されると、ルジェリアは素直にすたすたと素早くその席まで歩いていった。
「ええっと……よろしくな」
近くにいるんだからせめて何か言っておこうとそう声をかけると、ルジェリアは小さくコクリとうなずいて見せてから、おずおずと椅子に腰を下ろした。
あ……なんだ、さっきの態度からして取っ付きにくいやつかと思ったけど、割とそうでもなかったらしい。まあ転校初日だし、緊張してても仕方ないか。これならしばらくすれば馴染めるだろ。
「よし、じゃあ授業を始めるぞ。ルジェリアも、わからないことがあれば気軽に聞いてくれ」
その言葉と共に、いつものように授業が始まった。クラスメート達も普段と同じく、しかしどこかそわそわしながら準備を始めていく。
これがルジェリア────オレ達の大切な友達となるやつとの出会いだった。




