第19話 彼方への探求(1)
カーテンの隙間から漏れる朝日が顔に当たったことが目覚ましになり、私……ルージュはベッドから身体を起こす。
光の世界の私の、正確には姉さんの別荘である屋敷でのベッドルーム。いつも通りの朝。昨日、みんなで氷河山に行ったことが嘘のように感じるくらい、穏やかな時間だ。
「いたた……」
立ち上がってみると、予想通り筋肉痛だ。身体がビキビキと軽く悲鳴を上げている上に、戦いもかなり激しかったせいかまだズキズキと鈍い痛みもある。それもそうか、一日であんな高い山を登り下りしたんだから。
考えたら、登山自体が初めての経験だった。このミラーアイランド王国にも、廃坑があった山の他にいくつか山はあるけど、わざわざ登りに行こうとは思わなかったから。
あれはあれでいい経験だったのかな。……そんなことを考えながら、いつも着ているワンピースに着替えて身支度を整えていく。
今日は学校に行く時のイアとエメラとの待ち合わせも無し。お互い疲れているだろうから、各々のペースで行こうということだ。
「これでよし、と……」
身支度を整えた後は朝食を済ませ、カバンを肩から下げて、登校する準備は完了。
学校に行くのはいつもと変わらないけれど、放課後には王城に行くつもりだ。もちろん目的は昨日の『滅び』のことについて。
大精霊でもよくわからないことだから情報は少ないだろうけど、昔にも似た例があれば参考にはなる筈。何か少しでも、ほんの僅かでも情報を掴んで、敵を知りたいと、そう思って。
王城の書庫には古文書もたくさんある。貴重な資料だから、私も王女といえどそう簡単には閲覧出来ないものも沢山あるけど……女王である姉さんはその点大丈夫な筈。それに、姉さんは影の世界の存在と行き方も知っていた。何か手がかりになることを聞けるかもしれない。
駄目元だけど、学校の先生にも一応聞いておこう。情報量が少ない今はとにかく色々なところを当たってみるのが一番いいだろうから。
朝食と支度を済ませた後、今日は羽で飛んで学校に向かった。
「……よっと!」
足になるべく負担をかけないよう、充分に高度を下げてから着地する。
早めに屋敷を出たから、まだ来ている生徒も少ない。校舎内もまだ静かそうなのが見て取れる。イアとエメラもまだ来ていないようだった。
「……あっ⁉︎」
……が、校舎を見渡していたら嫌でも異変に気付いてしまった。
校舎の壁の一角にスプレーと思われる塗料でべったりと落書きがされている。赤、青、黄……様々な色が使われているけど、乱雑に描かれたそれはお世辞にも綺麗とは言えないもの。
休日になる前にはこんなもの無かったから、やられたのは確実にその間だ。
「はあ、またか……」
私はそれを前にして、思わずため息を一つ。
この学校が古いのをいいことに、こうしてイタズラされることが今までも何度かあった。どうせオンボロなのだからと、犯人達は理由にもならない言い訳を並べて何回も何回も。
イタズラされるのはこちらも馬鹿にされているようで腹が立つけど、やられちゃったことを今更文句を言っても仕方ない。これ以上インクが染みない内に早く落としてしまおう。そう思った私は学校に入って一番近い教室からモップと雑巾、水を汲んだバケツを持って来た。
「あ。おはよう、ルージュ!」
「おう、もう来てたんだな」
落書きを落とそうとした時、丁度エメラとイアも来た。2人も、普段よりぎこちない動きから昨日の疲れが抜け切ってないのが見て取れるけれど、昨日ほどじゃないことから少しは回復したようだ。
「あ、2人共おはよう」
「あれ? その掃除道具って……」
「うわ、ひっで。まーたやられてるぜ」
エメラが不思議そうに見ている横で、覗き込んで来たイアも落書きを見て顔をしかめた。
やがて落書きのことを気付いたらしいエメラも、私が何か言わずともすぐにバケツのフチにかけていた雑巾を手に取ってくれた。
「もうやんなっちゃうね〜。3人で協力して、早いとこ落としちゃお!」
「おう! このまんまじゃ気分ワリーしな」
「ありがとう、エメラ、イア。よし、授業が始まる前に済ませよう!」
そうして意気込んだ私達は3人で力を合わせて落書きを落としていく。
水でインクをかけられたところを濡らして、雑巾で拭き取り、塗料が残らないようゴシゴシ丁寧に磨いていって……目立つところから、見えにくい角まで満遍なく。あまり日が経っていないおかげで落ちるのに苦労はしなさそうだ。
「なあ、そもそもイタズラされないように警備システムとかあったほうがいいんじゃねえか?」
「だよね〜。それだけでも減ると思うんだけど。……置き場所がないんだよね」
エメラの言う通りだった。
学校はかなり古いから教室も他の部屋も、もう使い道が全て決まってしまっているし、学校の備品も置いておく場所だって限られている。そこに大きな魔法具を置くなんてまず無理だ。
「ねえ、ルージュ。思い切って学校ごと立て直すことって出来ない?」
「姉さんにも何回か相談したんだけどね……。安全性にも問題あるからって姉さんもその気になってはくれたんだけど、貴族階級がうるさくて」
貴族階級の妖精達はこんな古い学校は放っておけ、生徒数も少ない学校に費用をかけても仕方ないとか言ってきたらしく。あろうことか、いっそ廃校にしてしまえとか言い出す始末。もちろん、姉さんは止めてくれたけど。
貴族達はその裕福さ故にこの学校のようなこじんまりした場所でも良さがある、ってことを全然わかっていない。その態度は自分達良ければそれでいい……そう言われているようで悔しかった。
「ったく、貴族だからって勝手だよな。ここが無くなったらその後どうすんだよ。壊すだけ壊しといて、後のこと全部自分達でなんとかしろつって知らん顔とか、無責任すぎるだろ」
「ほんとだよね〜」
「廃校になんかさせないよ。私だって受け入れてくれた恩があるこの学校を失いたくないし」
この学校は私が王女だからって特別扱いや差別もしなかった。優しく受け入れてくれて、学校にも不慣れだった私を快く仲間に入れてくれたから。そんな学校を無くすなんて絶対にさせるものか。
……っと、こんなこと話している内に落書きもだんだん落ちてきた。
「おはよう、みんな!」
「あっ、先生!」
私達のクラス担任の先生、アルス先生が声をかけてきた。私達も手を動かしつつ、軽く挨拶した。
先生もそんな私達の様子を見て、イタズラに気がついたようだ。
「うわ、またやられたのか」
「でも大分落ちましたよ!」
「ああ。案外落ちやすいインクで助かったぜ」
「そもそもイタズラ自体、駄目だけどね……」
イタズラの後始末なんて、やっぱり気分としては良くない。もうこれっきりイタズラが無くなるといいんだけど……やっぱりそう簡単には無くならないかもしれない。
その後も履き続けてなんとか落書きをすっかり消すことが出来た。一仕事を終えて私達はふう、と息をつく。
「ありがとうな。お疲れ様」
「ふい〜。朝っぱらから腕が疲れちまったぜ」
イアがくたびれたと言うように腕をぐるんと回す。私もエメラも、決して軽くはなかったお仕事にくたくたになってしまい、その場でしゃがみ込む。
そんな時、学校から授業開始時刻を知らせる鐘の音が鳴り響いた。
「げっ、もう始まる時間じゃんか!」
「わわわっ、急いで戻らないと!」
「綺麗にしてくれたんだ、遅刻扱いにはしないから安心してくれ。その代わり廊下を走ったりなんかするなよー」
「「「はーい」」」
慌てて立ち上がった私達はそれぞれ掃除道具を抱えて、校舎の中に入った。
ああは言われたけど、老朽化も激しいこの校舎で走ったりなんかしたら、冗談抜きで床が抜けることもあるんだから走れたものじゃない。私は試しがないけど、そのことを知らない新入生なんかは知らずにやってしまったことが度々あるらしい。私達はそのことを思い出して顔を見合わせて苦笑した。
私達が戻ってすぐにホームルームが始まる。昨日、あんな出来事があったせいかそんな何でもないことですら久々に感じた。私達は走ったせいで荒れた息を整えて、暫く振りの学校生活へと戻っていった。




