第203話 躓き、溺れ、藻掻こうとも(2)
その後、僕はすぐ近くにあった切り株に半ば強制的に座らされ、ティアもその隣にある倒木に腰を下ろして僕と向かい合う体勢を取る。
お喋りする、と言われてもいきなりの提案に戸惑うしかないし、そもそも友人どころか気を許せる相手もいない僕に振れるような話題もなく。一体どうしろと、と首を傾げるしかないのが本音だ。
心の休憩って言っても、ストレスだらけではあるけどそれがもう当たり前と化してしまっていて、今更不満を吐き出したところで無駄になるだけだろうに。発散できたとしても、数時間後にはまた突っかかられるか、わざと聞こえるように陰口を叩かれるのが僕の日常なんだから。
「もう、不満そうな顔してる。誰だって日々の生活にストレスは付き物よ。でも、オスクは周りの倍以上のストレスを抱え込んじゃってるのよ? だからどこかで外に追い出さなきゃ、いつか壊れちゃうわ。すぐ積み重なっちゃうからこそ、今抱え込んでるものを空っぽにしてスッキリしないと」
「スッキリ、つったって」
「じゃあ……未来のために頑張り続けるオスクに質問。オスクは何か、いつか大精霊になるって目標以外に、何かなりたいものってないの?」
「はあ?」
「ね、答えて。何か一つ、ほんのちょっとでもない? そういう自分の理想の姿って」
「……考えたことなかった」
少し迷って、その答えを口にした。
これは本当だ。誤魔化しようのない事実、いくら思考を巡らせたところでそう告げるしかなかった。その日を無事に生き抜くことばかりに必死で、理想を追いかける暇など無に等しかったから。そんなことをしてる余裕があるなら、食料や寝床の確保、鍛錬している方がずっといい。
「うーん、じゃあどんな大精霊になりたい? オスクも、今の世界の在り方が不満だから私の考えに賛同してくれたんでしょ? どこをどんな風に変えたいか、教えてくれない?」
「なんでそんなに僕の理想像にこだわるのさ。聞いたところで何のためになる」
「とっても大事なことよ。だって、それを共有できたら私もオスクの目標実現のために協力できるかもしれないじゃない。自分の考えを理解してくれる協力者がいるっていうのは心強いことだし、後にも先にも損にはならないわ。一人でやれることには限界があるんだもの。たとえ大精霊であっても、でしょう?」
「……」
まあ確かに、と思わずコクリと頷く。大精霊のような強大な存在だって、万物に干渉できるわけじゃない。僕らのような下の存在が固まって支えることで大精霊も最大限の力を発揮し、初めて務めを果たすことができる。
もっとも、今は大精霊サマ本人はまだしも、その側近が下の存在の有り難みを理解しようともせずにふんぞり返ってばかりいるのが現状なんだが。そんな上の怠慢さが下にも影響して、近い将来降りかかるらしい災いにも全くと言っていいほど危機感を持ってない始末。だから、
「……同族どもを全員正しい道筋へ導けるような存在でありたい。暇さえあれば他人のことを罵って、蔑んで、嘲笑うような奴らなんざ大嫌いだし、これから先もその認識が変わることはないけど、このままじゃ災いが来た時に消し飛ぶことは確実だ。努力して、真っ向から立ち向かって消し飛んだなら、そこまでの実力しかなかったって切り捨てられるけど、今はその前提に至れるまでの段階にすら進めてない」
「うん」
「やることなすこと全てにリスクも犠牲も付き物だ。それこそ、この世に存在しているだけで何かしら潰しながら今ここにいる。災いに抗うにしても、どれだけ対策しようが被害は必ず出るだろうよ。けどそれが分かってて何もしないんじゃ無責任にも程がある。そのせいで傷付いて、倒れて……いくら嫌いでもそいつらの亡骸を踏みしめてまで進まなきゃいけない世界とか、こっちから願い下げだ」
端的に言えば、犠牲を出すことなく災いを乗り越えるということだ。綺麗事だと思うかもしれない。僕自身もそう思うのだから。でも、犠牲は当然だからと現実から目を逸らして、救えた筈のものまで慢心のせいで失うなんて冗談でも笑えない。
死なない程度の力を付けなきゃならない、付けさせなきゃいけない。そのためには上にのし上がるしかないんだが……こんな僕じゃ、力ずくでしか言うことを聞かせられないだろう。
「ふふっ」
「何笑ってんのさ。気持ち悪い」
「オスクって、やっぱり優しいのね。いつだって自分のことより周りのことばかり考えてる。オスクの在り方ってまるで、えっと……うーん」
「ん?」
「……そうだ。王子様なのよ、オスクって!」
「悩んだ挙句に出した答えがそれかよ⁉︎ 大体なんなのさ、そのふざけた例えは!」
「えー、素敵でしょ? 王子様。みんなの憧れの的、だけど普段は畏れ多くて近づけない、そんな存在。いつもみんなより高い場所で、ずっと先に立ってみんなを守らなくてはいけないから」
……要するに、孤独だと言いたいのだろうか。全く当てはまりそうにない憧れの的という点はともかく、それは自分がよく分かってることを今更指摘されるのはなかなかにイラっとくる。
それがなんで王子様とか間抜けな答えに行き着くのか、未だにさっぱり分からないんだが。そう思っていたところに、すかさずティアが「だけどね」と続ける。
「自分が大切に思う存在は何があっても守るの。もしも奪われたり、失ってしまったりしたその時は全力で取り戻しにいく。その道がどんなに遠くて、すごく時間がかかって、茨の道だとしても、それを承知の上で。周りはそんな姿を見て思わず応援したくなってしまうの。きっと成し遂げられるからって。だからいつだって憧れの的になるのよ」
「……そんな大層なものになれるわけないじゃん。異端だって言われてばかりの嫌われ者が。第一、そこまで大切に思う存在がいないってのに」
「いつかきっと現れるわ。命を賭けてでも守りたいって思う存在が、オスクにも必ず」
「よくもまあ、何の根拠もなしに断言できるもんだ」
「こんなにも頑張ってるんだもの、見てくれる相手がどこかにいる筈よ。今は私だけしかいないかもだけど……今一番近くにいるからこそ、私だけにしかできないことを、あなたにしてあげたいの」
ティアはふと、僕に向かって手を伸ばし、僕の頭に触れる。小さく、だけどしっかりと温もりを感じる手が、脳天を優しく上下する。そこでようやく、自分が撫でられていることに気が付いた。
────小っ恥ずかしくて堪らない筈なのに。何故だか僕はその手を振り払うことができず、されるがままに大人しくティアの手を受け入れていた。




