第202話 Unembellished Princess(3)
「なんつーか……ものの見事にいつも通りだなぁ」
「ほんと。昨日大変な試験があったなんて信じられないくらいに普通」
合同実技試験の翌日の朝、私達はいつも通りに登校していた。イアとエメラの言う通り、プラエステンティアとの激闘を乗り越えたとは思えないくらいにいたって穏やかな雰囲気で。
「ま、この平穏もあと数秒しか味わえないと思うけどねぇ。真っ赤に彩られた建物見たら、嫌でも現実に引き戻されんじゃない?」
「────あ゛〜、そうだった〜〜〜! また大掃除しなきゃなんねえんだった〜……。試験で色々あってすっかり忘れてたぜ……」
「しかも今回は落書き程度じゃなくて、バケツ一杯の塗料をまるごとぶちまけたってくらいにベットリだったよな。雑巾とモップでこすって落ちるレベルなのか、あれ?」
「ま、まあでも塗料を薄めるくらいは効果あるんじゃないかしら。それに、イタズラの主犯は捕まったんだし、これでお掃除も最後だと思えば、ね?」
オスクの言葉によって登校してからすぐに掃除に取り掛からないといけないことを思い出して、さっきまでの平和な空気が一変、みんな揃ってげんなりした表情を浮かべる。それを見たカーミラさんがすかさず励まそうとしてくれるものの、大掛かりな掃除することには変わらないから、どうしても気分が落ち込んでしまうのだけど……。
……試験の後、どうなったかといえば。女王直々に逮捕されたベルメールは試験の後、衛兵から取り調べを受けることになり、昨日のも含めて今までにあった校舎の落書きはやはりベルメールが犯人であったことが発覚した。
そして蛙の子は蛙というべきか……取り調べによって廃校を特に強く進言していたのはベルメールの親だということも分かり、嫌がらせもその親からの指示だったらしい。合同実技試験という外部からも注目を集める機会を利用して、娘を使って私達を負かすことで廃校にするための計画を無理にでも通そうとしたのが、今回の対戦カードの真相。
でもそれも私達の抵抗の前に粉砕され、事態を重く見た姉さんによって親子共々捕まることとなった。
そんな親だから、ベルメールもあんなに歪んでしまったのかもしれない。真っ当な親の元に生まれれば、もっと違う生き方ができていたのかもしれない。でも、そんなたらればの話をしたところで意味はないし、そこは哀れに思うけどやってきた所業が所業だ。反省したところで私は一生許すつもりはない。
ちなみに、ベルメールに加担していたゼラとシアを始めとする取り巻き達も命令されていたとはいえ、やったことが悪質とされて相応の罰を、そしてそれらを黙認していた学園も厳しい処分を受けることとなった。財産も地位も取り上げられて、今までの自分達の豊かな生活は見下していた平民の努力によって成り立っていることと、ずっと見逃してくれるほど社会は甘くないことを、これで嫌でも思い知ることとなるだろう。
でもこれで、私も本当の意味で胸を撫で下ろすことができた。為す術なく、泣き寝入りするしかなかった被害者も多い中、廃校にするための計画の一部だったとはいえ、直接ベルメール達を見返す機会を与えられただけでも私は幸運なんだろう。
……今回私達が掴み取った成果が、他の被害者達の助けにもなるといいな。
「おっ、やってるやってる」
学校に着くと、校舎を取り囲む人影が。私達より早く登校していた生徒が、もう掃除に取り掛かっていた。
手を一生懸命動かして、壁やら窓やらに付着している塗料を少しでも落とすために手にした雑巾やモップなどで汚れをひたすらこすり続ける。全体を見渡すと校舎の壁の大半はまだ真っ赤なままなものの、こすった箇所は大分色が薄くなっているのが見えて、掃除の効果がちゃんと発揮されていることを認識した。
「完全には難しいかもしれないけど、落ちないことはなさそうだね」
「それが分かったら頑張るのみだよね! わたし達も行こ!」
「そうね。ほら、レオンも手伝いなさいよ!」
「なんで僕まで……」
「あら、付いて来たんだから当然でしょ? それに、黙ってここで立っててもやることないんだし、怠け者扱いされちゃうわよ?」
「……」
怠け者扱いは屈辱なのか、渋々ながらもカーミラさんに従うレオン。オスクも逃げ出す前にルーザに首の根っこを掴まれて連行されていき、私はそんないつも通りの光景にくすっと笑みをこぼしつつみんなの後に続く。後からフリードとドラクも加わって、ホームルームが始まるまで私達は掃除に精を出していった。
「ふう、疲れたぁ〜」
「でも、塗料も最初に比べてかなり落ちましたね。続ければ目立たない程度にはできそうです」
「やっぱり完全には無理かな、あれだと」
「今の具合見れば分かるだろ? 手だけじゃ限界があるし、木目に染み込んでるとどうしようもないだろうが。壁も斬り付けられたせいで傷だらけだし、ガラスは交換できるにしても、いっそ上から新しい板で補強するしかないんじゃないか?」
「要は本格的な修繕だよね。昨日ので貴族が静かになったなら、姉さんに頼めば費用も融通してくれるかもだけど」
それから30分くらい経過した後。ホームルームの時間が近づいたことで私達や他のクラスメート達も掃除を一旦切り上げ、教室で休息を取っていた。汚れを落とすために精一杯頑張ったものの、手作業では薄めるくらいが限界だった。ルーザの言う通り、上から傷や塗料を新しい木材で覆い隠して、窓も取り替えるしか完全に綺麗にする方法がないかもしれない。
なんにせよ、昨日の試験の結果で貴族がどんな反応をするのか確かめるまで動けそうにないか。そう思っていると、教室の扉がガチャッと開かれた。
「おはよう、みんな。昨日はよく休めたか?」
挨拶と共にアルス先生が入ってくる。何故だかその腕に分厚い紙の束を抱えながら。
かなりの枚数だったようで、それを教卓の上に乗せた途端にドスンと重量のある音を立てた。
「先生、その紙なーに?」
「ま、まさか抜き打ちテストとかじゃねえよな⁉︎」
「それを怖がるくらいなら普段から真面目に勉強しろ、イア。そもそもテストじゃないから大丈夫だ。これがなんなのかは見てもらった方が早いと思うぞ」
「うーん……?」
一体何なんだろうと気になった私達は、そう促されて一斉に教卓の周りに集まり、早速一枚ずつ手に取って確認してみることに。
その紙には、びっしりと文字が書かれていた。よく見てみれば、それら全ては誰かの名前のようで……
「こ、これ全部署名……⁉︎」
「ああ。今朝届いてな、7300人分はあるらしいぞ」
「お、おい。てことは……!」
「目標、達成したんだ……」
これまでに集まっていた署名は5836人分。だから合計で13000人以上は集まったということになり、目標である万単位の到達が叶ったんだ。
そうはいっても、みんな実感が湧かずにその場で呆然とするばかり。無茶な目標を掲げていたという自覚があった分、余計に。名門・プラエステンティア学園に勝利したとはいっても、たった一晩でこんなに集まるなんて信じられなくて。
王女として公の場でお願いしたから? だけど……それでも。
「この署名に限ればの話だが、実はルジェリアの話の効果では無さそうなんだ。ルジェリアは署名については触れていなかったんだし」
「あっ!」
そうだった。廃校の話を進めないでほしいというお願いはしたけど、それだけ。署名については一切口にしていなかったのに……どうして。
「どうやら署名に協力してくれていた妖精達が呼びかけてくれたようでな。昨日の試験の結果を受けて、協力したいって妖精も大勢いたらしくて、この量になったというわけなんだ。ルジェリアの話もだけど、お前達生徒があちこち奔走していたからこその結果だろうな」
「そっか。オレらの行動、無駄じゃなかったんだな!」
「それと、ここには次の入学希望者の入学願書もあるんだが、昨日と今日で50枚以上来てしまってな……。まだどんどん来てるみたいだし、プラエステンティアに勝利したというのは相当大きかったみたいだ」
「え、ええっ⁉︎ は、入りきるんですか? そんな大勢、今の教室の数じゃ足りませんよ!」
「あはは。だから次から入学試験も行わなくちゃいけないかもしれないって教師陣でも話が上がっててな。こんなこと初めてだから、対応が分からなくて大慌てだよ」
そうは言いつつも、アルス先生は笑顔を浮かべていた。毎年20人いけばいい方だというギリギリのラインを通っていただけに、喜びも倍増なのだろう。処理が大変ではあるだろうけど、それも嬉しい悲鳴というやつだ。
「なんか……夢みたいだな。良いことが立て続けに起こって、現実でも信じられない」
「……良いこと尽くしでもなかっただろうに。ここに辿り着くまで、かなりかかったのではなかったのか? 敵の慢心もあったとはいえ、打ち倒すのは容易くはなかったからこそ、今回の勝利が周りにも多大な影響を与えることとなったんだろう」
「いじめから始まって、イア君とエメラさんの努力で立ち直れて、試験に至る前も落書きなどのイタズラの数々、そして今回の試験と、この結果を掴み取るのにもかなりの期間を要したんですよ? 大勢で、相応の努力があったからこその結果だと思います」
「とにかく、お前がやってきたことへの充分な報酬ってことじゃん。素直に受け入れなよ」
「……うん」
現実味がなくて、全てが幻なのではないかという考えがよぎってしまったけど……レオンとフリード、オスクの言葉でようやく事実なんだと思えた。それを事実だと受け止めた途端、目尻がじんわりと熱くなる。
そうだ、3年前にプラエステンティアに通うことになってから、今日やっと理想に手が届いたんだ。思い返してみても長かった、本当に、長かった……。
「────ならこいつは、もう必要ないな」
「……あ」
ふと、私のカバンに手を伸ばし、その中にしまってあった剣を取り出すルーザ。そして私の目の前に剣柄を突き付けて見せる。すると、そこに巻き付けてあるルーザからもらった包帯がふわりと揺れた。
そもそもこれを未だに捨てないまま結んであるのは、自分に自信が持てなくて、ルーザに諭された時の言葉を忘れないようにお守りとして残したためだった。そしていつかそれに頼らなくてもいいと思ったその時に、ちゃんと手放すとルーザと約束した証でもあった。
私を縛るものは、もう何もない。だから、
「────うん。もう私は大丈夫。ちゃんと前に歩いていける」
今こそ、約束を果たさなくちゃ。
私は包帯を手に取って結びをほどく。しゅるりと柔らかな音を立てて解放されたそれを一度強く握りしめてから、
目元を拭ってみんなににっこりと微笑んで見せた。




