第202話 Unembellished Princess(1)
周囲に広がる景色が星の瞬く夜空から、日光の降り注ぐ青空へと一気に塗り替えられる。カーミラさんが慌てて日傘をさそうとしているのと一緒に、今まで戦っていた標的の姿もよりはっきりと露わになった。
目を回しながら、気絶して地面に横たわるベルメールのペット。誰が見てもボロボロで、暴れ回る体力はもう一切残っていないようだった。ベルメール本人はといえば、そんな魔物の姿を見て半べそをかいていたけれど。
「勝負あり、だな。これだけコテンパンにされりゃ、もう疑いようもないだろ」
「……そうだね」
ルーザの言葉に頷き、流石のベルメールもこれ以上は何もできないだろうと判断して私達は武器を収めた。
……ぐったりと倒れ込んでいる魔物に縋り付きながら身体を縮こまらせているベルメールの背は、さっきよりもさらに小さく見えた。本人には誇るべき才能も能力も、それを手にするための努力もしてこなかった、親の力ばかり借りてそれを自分のもののように振るうだけだった存在は、誰からも見下げられるばかりで。
一年前までは、怖くて堪らなかったのに。あの見た目だけは煌びやかな校舎の中で出くわしたらどんな仕打ちを受けるか、いつもビクビクしながら歩く毎日だった。そこから逃げ出しても、記憶にこびりついてそんな日々を思い出しては息を詰まらせていたにもかかわらず。どうしてこんなちっぽけな存在に怯えていたのか、今ではその理由すら分からなくなってくる。
もう怖がる必要もない、それは喜ばしいことだと思う。でも……
「ルージュ、大丈夫ですか⁉︎」
「わっ、ちょっ、姉さん⁉︎」
そんな時、どこから飛び出して来たのか姉さんが私に抱きついてくる。
……そっか。『月光招来』の中にいる時、外から私達の姿は見えていないんだった。いつかのカグヤさんと戦ってた時とまったく同じ。妹達の姿が見えないまま、巨大な魔物と戦ってるところを結界の外から見守るしかできないなんて状況下で、心配性の姉さんが不安にならないわけが無かった。
姉さんの気持ちは分からなくもないし、それ自体は嬉しいのだけど……ただでさえ目立つ校庭のど真ん中で、周りの視線なんてお構いなしにそんなことをされるのは、流石に恥ずかしくてたまらないというか……。
「は、あっ? へ、陛下、何故その貧乏貴族にそんな友好的に……? そ、それに姉さん、って」
「ああ……」
そう言えば、正体を明かしていなかった。ベルメールのあの反応からして、予想通り国の動きには一切耳を傾けていなかったらしい。
「ミラーアイランド王国第二王女ルジェリア、とでも名乗れば満足?」
「え、ええっ⁉︎ だ、第二王女って、じゃあ陛下とは……!」
「そう、姉妹ってこと」
……義理だから血の繋がりはないんだけど、ということは今は黙っておこう。だけど、周りからの「やっぱり」とか「通りで聞き覚えが……」という声が私の身分を証明してくれたおかげで、ベルメールもそれが真実だと嫌でも思い知ったらしい。今までの蔑みの視線はどこへやら、私に向けるその顔がみるみる内に青ざめていく。
でも、それも一瞬。何をどう思ったのか、ベルメールは私に対して媚びるようにへらりと笑みを向けてくる。その態度の変わり様が、心底気持ち悪いと感じた。
「た、大変失礼致しましたわ。存じ上げなかったとはいえ、王女様に今まで無礼な態度を取ってしまい……。心よりお詫び申し上げます」
「……」
「罰金ならいくらでもお支払いしますわ。ですから、これまでのことはどうか不問に……」
「────ふざけるなッ‼︎」
自分でも驚くくらいに、低く鋭い怒鳴り声が出た。ベルメールはもちろん、まだ私に引っ付いていた姉さんも反射的に手を離し、みんなも驚愕でビクッと肩を震わせる。
「お金だけ払って、今までの所業は全て見逃せと? お前から受けた傷に目をつぶってそれらを帳消しにできるとでも? 戯言も大概にしろ!」
言わずにはいられなかった。ベルメールの提案は自分の保身しか考えていない、ものすごく身勝手なものだったから。被害者の気持ちを無視して、お金を身代わりにまんまと逃げおおせようという思惑が見え見えの愚策。そんなものがまかり通ると思ったら大間違いだ。
私はベルメールに向かってつかつかと詰め寄り、胸ぐらを掴む。背後から「お、おい」というルーザの戸惑う声と、それを制止するオスクの「やめとけ」という声が聞こえたけれど、気にしてる余裕は無かった。
「お前のせいで、今まで私がどんな想いをしてきたと思っている⁉︎ 自分の思い通りにいかないからと、ただ気に入らないという理由だけで私物を取り上げては隠し、破壊し、捨てた! その挙句、返してという当然の訴えにも耳を貸さないどころか、殴り、足蹴にして! しかもお前は、周りにそうするよう命じるだけで自分の手は決して汚さず、離れた場所で嘲笑うだけ! これ以上最悪なことがあるか!」
「や、や……めて」
「……私だって何度もそう言った。でもお前はそれを無視して、さらに私達のような立場が弱い者を痛ぶっただろう! それをお前はお金を払う代わりに水に流せと? 冗談じゃない、それは加害者が言っていい言葉じゃないんだよ!」
ベルメールの瞳からボロボロ涙がこぼれ落ちるけれど、私にはそれに対して何の感情も湧かなかった。哀れだとか、やりすぎたとも思わない。ベルメール達はこれ以上のことを、何度も何度も繰り返していたんだから。
「いじめなんて言葉で片付けられることじゃない。お前達がやってきたことは、暴行、傷害、脅迫、強要、名誉毀損、器物損壊。法で裁かれるべき犯罪以外の何物でもない!」
「……っ」
「言っておくけど、親の力でどうにか揉み消すことができると思うな。お前は逃げられない、逃がさない。それは他の被害者だって同じ気持ちでしょう。親の権力を振りかざして好き勝手やってたお前を、心から慕う存在なんてどこにいる? 今だって、お前が駒のように動かしていたクラスメートの誰一人駆け寄って来てくれないのに」
「ぁ……」
そう言われて、ベルメールは周囲に視線を向ける。
ここで初めて、ベルメールは自分の置かれている状況の悲惨さに気が付いたらしい。周りにはベルメールを心配する声も、駆け寄って庇おうとする存在も一切無かった。あれだけベルメールに粘着していたゼラとシアでさえ、その場でオロオロするだけで微動だにせず。
みんな、ベルメールの親の権力の強さからその足元に擦り寄っていただけだった。庶民や下級貴族に向けられていた矛先を自分に向けさせないためだけの。そんなベルメールへの、正確にはその親への恐怖から繋がっていた薄っぺらな関係だった。
「ルージュ、そこまでに。ここから先は私の仕事です」
「……姉さん」
姉さんにストップをかけられ、私はベルメールから手を離す。姉さんはそんな私に頷いて見せると、毅然とした態度で呆然としているベルメールと向き合う。
「私達王族にも、つい先日までルジェリアが妹であることを公表せず、身分を偽り続けていた落ち度はあるでしょう。しかし、下級だからと踏み付けにしてはいい理由になりません。それとこれとは別問題です。ルジェリアは王女としての立場を利用する気などありませんでしたし、実際していませんでした。そして、今回の魔物を用いての騒動。試験の規定を無視するだけならまだしも、見学者の方々まで危険に晒したという事実は、女王として看過できません」
「ぅ……」
「あなたの所業は家にも伝えます。妹も含めて、多くの学生やその関係者を蔑み、弄んだことに対して、然るべき罰を受けてもらいますよ。……エルト、ベルメール様をお連れしなさい」
「御意」
姉さんの命令でベルメールはそのまま、避難誘導から戻って来ていたエルトさんに拘束されていった。私はその様子を見届けてから、みんなの方へと振り向く。
「……行こう。試験をちゃんと終わらせないと」
「ああ。だが……あれで良かったのか?」
「僕としちゃ、一発くらい殴っても良かったと思うけどねぇ。別に咎めるヤツもいないだろうし、かえってせいせいするんじゃない? 復讐は何も生まないっていうの、あれ結局部外者だから言える戯言じゃん。やられた方は一生忘れないってのにさ」
「……いいよ。同じところにまで成り下がってまで復讐する価値もない。これから法で裁かれるんだから、それで満足。それに、私以外にも被害者はたくさんいるんだし、私自身が手を下さなくても無事ではいられないよ」
「ふーん、そう」
だからこれでいいんだと、私はみんなにそう伝えた。もうアイツの影に怯える必要もない、それで充分だった。
そうして私達はこれから行われる閉会式に参加するため、一度も振り返ることなく歩いて行った。




