第191話 アフタヌーン・デュエット(2)
レオンから言い渡されたノルマを無事達成した私達4人は涼しい木陰へと移動して、水を飲みながら休憩していた。
カラカラになった喉に冷たい水が染み渡ることで、荒み切っていた呼吸もやがて落ち着いていった。日照った頰をそよ風が私達を労わるように優しく撫でて、ほっと息をつく。走り込みの最中は辛かったけど、完走した達成感に浸りながらリラックスするこの時間はなかなか悪くないものだった。
「や、やり遂げたぜ……」
「あ、お疲れ様ー」
そうして、私達が走り終えて30分くらい経った頃だろうか。レオンから課されたペナルティをようやくこなせたらしいイアも、ヘロヘロになりながら木陰へとやってきた。
運動好きで元から体力がそれなりにあるイアも、ノルマの半分以上の距離を追加されたのは流石に堪えたらしい。ゼエゼエと激しく息切れしながら額のあちこちに玉の汗を浮かべて、誰が見ても満身創痍という表現がピッタリの状態になっていた。
「フン。これに懲りたのなら不敬な口は慎むのだな」
「へーいす……」
それだけ言うと、今日の訓練はお終いとばかりにスタスタと去っていくレオン。さっきので学習したのか、はたまた疲れ果てて突っかかる気力もないのか。そんなレオンにイアは特に文句を言うこともなく、その場にへたり込んだ。
「イア君。これ、水とタオルで包んだ氷です。良かったらどうぞ」
「助かるぜ……。サンキュな、フリード」
余程暑かったらしい、イアはフリードから手渡された氷を首筋に当てながら、身体に溜まりに溜まった熱を発散させるべく、水を頭から被る。それから残った水を喉に流し込んで、ようやく呼吸も普段通りの早さへと戻っていった。
「にしてもよぉ。いくら口滑らせたからって、オレだけ8周走らされるなんてあんまりだろ……。筋肉痛だってやっと治ってきたってのに、これじゃ帰ってくる前に逆戻りだぜ」
「聞こえるところで悪口言うのがいけないんじゃない。止めようとしたのに」
「そうかなぁ。わたしは私怨も絡んでると思うけど」
「え。あ、そゆこと……?」
「私怨って……なんで?」
「うーん、そのうちわかるんじゃない?」
「……?」
エメラが言うレオンの私怨についてはよくわからなかったけど、みんなでこうしてお喋りするのはやはり楽しいもの。先日まで、カルディアのことで色々ドタバタしていただけに、この和やかな時間の有り難みが余計に身に染みる。
みんなも訓練を終えられた解放感からか、いつもより会話が弾んでいた。
「そういや何人かいないけどよ、他はどこいったんだ?」
「オスクは何か用事があるから、って出かけてる。カーミラさんは日射しの下に出られないから、個別に特別訓練するとかで、走り込み始める前に私達から引き離されちゃって」
「ああ、うん……。こう言っちゃなんだけど、レオンさんのカーミラさんへの扱いは今に始まったことじゃないからね……」
「だ、だね。それでルーザは?」
「ルーザは一人で個人的に鍛錬するからって。ほらあそこ」
私が指差した方向へとみんなは一斉に視線を向ける。その先にあるのは激しくぶつかり合う2つの人影。
「おやおや。打ち合いを始めてからしばらく経つとはいえ、前の喧嘩より一撃が軽い気がするねぇ。まさかもうバテたのかい?」
「ほざけ。細々としたものでも積み重ねれば脅威になるだろうが。ここからが本番だ!」
「ククク、そうこなくちゃね。それでこそ私が好敵手と認めた喧嘩相手だと言うものさ!」
ルーザの鍛錬相手となっているのは、シノノメ公国の鬼の頭領・酒呑童子。一瞬でも気を抜けば傷を負うであろう状況下で、酒呑みの鬼はさも楽しげな笑い声を上げながら、手にした薙刀を舞を舞うように振るっていく。
本来ならこんなところにいる筈がない人物なのだけど、以前シノノメ公国を訪れた時、ルーザは酒呑童子からオーブを受け取っていたらしい。おおよそ、喧嘩相手……もとい鍛錬に付き合うことを名目に渡されて、それを使用したことでここに喚ばれたのだろうけど。
前回2人が戦ったのは殺し合いにも近い決闘だったけど、今回はただの互いの力を伸ばすためのトレーニング。程よい緊張感を保ちながら、少しでも相手より優位に立つべく刃を交える2人は本当に楽しそうだった。
けれど、鍛錬だからといって互いに一切手を抜かない武器の打ち合いはそれなりに激しいもの。斬撃を相殺する度に火花が飛び散り、2人はお互いに魔法も妖術も使ってないのに見ているだけで鳥肌が立つ。
「ひぇぇ……鍛錬の範疇超えてんだろ、あれ」
「間に割って入ったら、ものの数秒もしない内に切り刻まれちゃいそうだね……。しないけど」
「でもルーザさ、ちょっと押されてない?」
「そうですね……互角に見えますが、少々酒呑童子さんの攻撃を捌き切れてないような」
エメラとフリードの言う通り、ルーザは徐々に劣勢になっていった。打ち合いを長く続けたことで疲労も溜まってきたのか、鎌を振るう速度がだんだん落ちてきて、酒呑童子の攻撃にされるがままなってしまっていた。
でも、それも仕方ないことなのかも。酒呑童子は以前の決闘でもルーザが「絶対に負けられない」という強い意志と、己の命すら天秤にかける覚悟を持って挑んで、やっと相打ちに持ち込めた強敵だ。単純な力量ではまだまだ敵わないのかもしれない。
「あっ……!」
やがて限界が来てしまったらしい。一瞬の隙を突かれて鎌が弾き飛ばされ、攻撃手段を失ったところを薙刀の柄で勢いよく叩きのめされて、ルーザは地面に倒れ込む。……確認するまでもなく、勝負ありだ。
そんなルーザに、含み笑いを漏らしながら手を差し伸べる酒呑童子。ルーザは痛みに顔をしかめつつ、その手を取って立ち上がる。
「ああくそっ、こうも綺麗に打ちのめされるとはな……」
「太刀筋はなかなか悪くないじゃないか。やはりお前との喧嘩は退屈凌ぎにはもってこいだね」
「よく言うよ。アンタ今回完全に遊んでたじゃねえか。オレの攻撃、全部片手でいなしやがって」
「先の喧嘩は火事場の馬鹿力もあったようだからねぇ、刃の重みが随分と違った。あれでは私に両手を使わせるには程遠いね」
「うっせ、わかってるよ。まだまだ未熟だってことは」
互いに小突き合いながら、涼むために2人も木陰にやってきた。さっきのイアほどではないけど、炎天下で長いこと打ち合いをしていたために、2人もかなり汗をかいていた。
「お2人もお疲れ様です。水はいかがですか?」
「ほほう、気が利くじゃないか。しかし私としては酒がいいのだけどね」
「飲める歳でもないのにせびるんじゃねえよ。とにかくありがとな、フリード」
ワガママを言いつつもやはり喉は渇いていたらしい。酒呑童子はルーザと一緒にフリードから水を受け取ると、すぐさま飲み干してしまった。フリードにコップを返す最中、何か話があるようでふとその口を開く。
「ルーザに聞いたが、また災いと一戦交えたそうじゃないか。まだまだ滅するには時間がかかりそうかい」
「はい……。それに、『滅び』が存在する理由がさらに分からなくなってきてしまって」
「そうかい。シノノメも懐に忍び寄っていた影は退けたが、どうにも膿全てを取り除けた気はしないからね。呑気な妖精どもはまだ気付いてないようだが、自分らが置かれている状況を嫌でも思い知る時が来る、そんな気配がしているよ」
「……っ、そうですか」
やっぱり、『滅び』は確実に侵食を進めているようだ。それはきっと、今こうしている間にもじわじわと……目立たずとも、その脅威はゆっくりと日に日に増してきている。私達の行動が、少しでも足止めになっていればいいのだけど。
「お前達は確かに未熟なことこの上ないが、裏を返せば伸び代があるということ。これから伸びる余地は充分にあるのだから、くれぐれも逃げるんじゃないよ。私としてもいい喧嘩相手を失うのは非常に惜しいのでね」
「ふん、言われるまでもねぇよ」
「ククク。いつか宣言通り、お前が私に敗北の味をたっぷり堪能させてくれるのが実に楽しみだ。それじゃ、ここいらで私はおいとまさせてもらうよ。いつまでも現世にいるのは居心地悪い。暇があればまた喚んでおくれ」
酒呑童子はそれだけ言うと、薙刀を担いで私達の元を離れる。しばらく歩いたところで、突如その身体が蒼い焔に包まれ……やがてその姿を消した。恐らく自分の住処、シノノメの霊峰・フジへと戻ったのだろう。
今日の訓練はお終いだけど、「世界を救う」なんて大層な結果を出すにはまだまだこれからだ。今までにもレオンや、さっき酒呑童子に言われた通り、私達は未熟な身。さらに力を伸ばさなければ、『滅び』には勝てない。
次も頑張らなくちゃ。そう決意を固めて、私達は顔を見合わせて頷いた。




