第190話 流れる日々の中へ(2)
「善と悪、か。その二つの境界ってはっきりしているようで、結構曖昧に思えてくるね。今回のギデオンさんのことだって、蓋を開けてみれば実はそっちが被害者で、本当に悪かったのは被害を受けていると思っていた他国の妖精達だったし」
「うん。誰かを傷つけることは絶対にやっちゃいけないことだと思うけど、だからって今回みたいなことだったら全く関係ないところからずっと責め続けるのが正しいだなんて、わたしは思わない。ギデオンさんが謝ってる時みたいな、強い言葉を浴びせるのが正義だなんて、それはちょっと違うよね」
ドラク、エメラと続けて述べられた意見にみんなもうなずく。
正反対であるようで、状況次第でどちらにも転ぶ可能性がある近しいもの。それぞれの意見を持つのは自由だし、胸の内で留めておくのは結構だけど、それを口に出すというのなら話が変わってくる。
状況にもよるだろうけど……先日のギデオンさんが謝罪して回っている時みたいな、言い返せないのをいいことに罵詈雑言を浴びせ続ける場面は、傍から見ていた私達にとっても気持ちがいいものではなかった。ギデオンさんを狂わせたのは、確かに周囲の欲望という名の悪意だったのだから。
全てが全て、今回のようなことに当てはまるわけではないことは充分承知している。だけど、今回ばかりは被害者だからといって、周囲の妖精達の行いが正義だとはとてもじゃないけど思えない。
傷つけるのは確かに悪いこと。でも、傷は目に見える肉体的なものだとは限らない。ギデオンさんは心に深く傷を負っていた……それが目に見えないものだからって、知らん顔してていいなんてそんなのおかしい。
外傷とは違って気付きにくいものだと、それは分かってる。でも、ギデオンさんはアンブラの遣いの男性が心配するほどにまで追い詰められていた。それを無視して、自分の利益だけ優先して……『滅び』はそんな隠れていた真実を表出させるきっかけにもなったんだ。
私がこうもギデオンさんを庇う理由は、私も過去に似たような思いをしていたというのもあるのだけど。
「オスク、お前はどう思ってんだ? 何が正義なのか、何が悪なのか……『闇』であるお前の視点から、どう感じてるんだ?」
「んー、僕としてもそれをはっきり区別するってのは難しいと思うけど。そんな対比だって、もう片方があるからこそ初めて区別が成立するわけだしさ。物事を真剣に考えているからこそ、自分から汚れ役引き受けてるヤツもいるにはいるし、逆に善行を働いているように見せかけて、裏でロクでもないことしてるヤツも存在する。立場上、そういうのは嫌ってほど見てきたんでね」
「そうか……」
「まあ、一番不愉快なのは光だから正義、闇だから悪って決めつけられることだな。誰がそんな指針を定めた? それが当たり前だと言う根拠は? 上辺だけ見て全部把握したような顔して、先入観に囚われた見当違いな単語並べられても説得力無いし、腹立つだけ。結局のとこ、行き過ぎた自称正義なんざ迷惑以外の何者でもないわけでさ」
「それって、光と闇の確執に関係してる?」
「まあね。それのせいで僕とティアは随分遠回りさせられたし。周りの奴らみーんな、そんな偏見を信じるだけで自分の頭で考えようともしない馬鹿ばっか。それにストップをかけようとすれば、ヒトのことを異端者、異常者ってさ。枠から外れてんのがそんなに気に入らないのかなぁ?」
あーやだやだ、とため息をつくオスク。
自身の過去をあまり大っぴらに話したがらないオスクだけど、500年という歳月をかけて、ティアさんが行方不明になった後も2人分の想いを背負いながら、一人であちこち奔走していた頃の苦労は計り知れないものだと、私達もそれはよく分かってる。
私達の保護者は一見面倒くさがりでも、誰よりも真面目で、引き受けた役割を果たすまで放り出したりしない、人一倍責任感がある性格だから。
「話を戻すけど。善か悪か、すぐに見極めるってのはぶっちゃけ不可能さ。今回みたく、深いとこまで潜ってようやく掴める事実ってのはあるわけだし。結論言うなら、与えられたものだけで判断するな、まずは疑ってかかれ、ってとこ。特にルージュ」
「う……わかってるってば」
不意にビシッと名指しされて、しゅんと項垂れる。
多分、というか確実に、オスクはプラエステンティア学園のことを言ってる。それまで本の中の理想ばかり信じ込むばかりで、いざ厳しい現実を突き付けられたら耐えきれなくなって全てを壊し、その後は逃げ出すばかりで……。と、周囲を言い訳にして情け無いことをしていた自覚はある。
そろそろ完全に決別しなきゃ、とは思ってるんだけど。
「ま……そうだな。さっきの問いかけに一つの解を示すとすれば、僕の経験上、真の悪ってのは己が正義だと信じて疑わず、周囲の事情、心情を一切顧みようともしないようなヤツだと思うね。自分が世界の中心であるかのように振る舞って、それが誰かにとっての加害者となってると露ほども考えない。挙句、手遅れになった時ですら現実を受け入れようとしないのなら、尚更ね」
「……」
「もっと最悪なのは、それが多数派だからってそういうヤツに同調して塊になって攻め立てようとする部外者どもだ。安全なところから傍観してるだけの、口だけは達者な赤の他人ほど厄介なヤツなんていないっしょ。今も昔も、結局最後は数に潰される。そうなったら正義も形無し。善悪の境界すらぶっ壊れて、周りに流されるだけの機械の人形よか空っぽの存在に成り果てるだろうさ」
「……そう、だね」
「ふむ、非常に参考になる意見だった。流石は数々の修羅場を乗り越え、大業を成し遂げた英雄の言葉だ。そう思わないか、アルヴィス?」
「はい。多数派の意見に押しつぶされることなく、自らの主観を貫く、実にオスク殿らしい主張であります」
「そういうのやめてくんない? かゆいったらありゃしない」
「褒め言葉は素直に受け取るべきものだ、オスク殿。ともかく……災いの真意、存在理由はどうあれ、滅するべき敵という認識は揺るがぬ。断ち切れていた繋がりを修復させることとなったきっかけとなったとしても、災いが卿やギデオン殿の心を弄び、世界を蹂躙しているのは事実」
「ああ。『滅び』がやってきたことは、絶対に許容できるものでもないしな」
「知れたことを。元凶から受けた屈辱を、忘れた日などないのだからな」
「うむ、我らが突き進むことは変わらぬ。災いがもたらした機会だとしても、貴女らが結んだ絆が偽りであるものか。貴女らのこれまで積み重ねてきた努力、無下にする選択だけはしてくれるな」
「わかってます。今まで出会ってきたヒト達の想いも無駄にしないためにも」
私の返事にベアトリクスさんは頷きながら微笑んだ。
『滅び』がなんなのか……それはまだわからないし、真実を知ることができるのはずっと先なんだろう。原初目録を受け取った時にオスクにも、物事には順序があると言われていた。
時が来たら創造主も原初目録を通して手掛かりを与えてくれるかもしれないけど、いつかは自力で掴み取るしかないんだ。
「カルディアには親書を送っておくとしよう。災いに立ち向かう同志として、援助するという意思をギデオン殿に伝えておく。加えて、一日も早く在るべき姿を取り戻せるよう、良き風を吹かせることを約束する」
「僕も。城に帰還したらすぐに先程の意向を父上にお伝えします」
「しばらく離れることとなるが、心が繋がっていることに変わりはない。必要であればいつでも呼んでほしい。同志として、すぐに駆け付けよう」
「はい、ありがとうございます」
それを伝えると、ベアトリクスさんとアルヴィスさんは帰る前にエリック王に挨拶していくとのことで、私達と、扉を開いて待っていたシュヴェルさんに見送られながら家を出て行った。
ロウェンさんも、2人を案内するために帰り支度をし始めるけど、その最中にふと私達の方へと振り返る。
「忘れるところだった。ルジェリアさん、これ約束していたシャドーラル王城の兵士と、使用人の署名になります。463人分、集まりましたよ」
「そんなに⁉︎ 助かります……!」
「あの学校の話となれば、僕にとっても他人事ではありませんから。前線に立てないのは悔しいですが……陰ながら僕も最後まで応援してますので。目標を成し遂げるまで、どうか諦めないでください!」
ロウェンさんの言葉に、もちろん大きく頷く。それでは、という挨拶と共にロウェンさんもこの場を後にして、その背中を見送りながら私は受け取ったばかりの署名用紙をギュッと握りしめる。
そうだ……私達の戦いは『滅び』だけに限ったことじゃない。それが一旦片付いたのだから、私達の学校に現在進行形で振り返っている危機をなんとかしなくてはいけないんだ。
集まった署名はこれで2089人分。目標は1万人分……この5倍の数になるまで走り回らないと。
「じゃあ……こっちも頑張らないとね!」
「ああ。絶対に自分勝手な貴族連中を黙らせてやるさ」
拳を突き出し、それを天へと掲げて意気込む私達。
こうして平凡とは言い難い、それでもどこか和やかな日常へと戻っていく……




