第18話 幻想の氷河山・後(2)
……酷く淀んだ空気。この空気に晒されるだけで吐き気がしてくるし、まだ何もしていないというのに頭がクラクラしてくるようで。その空気が身体に纏わり付いてくるようで余計に気持ちが悪い。
なんなんだよ……これ。闇の魔法ともまた質が違う……!
「な、なんだアレ⁉︎」
イアが驚きの声を上げる。
オレもつられて見ると結晶から出たらしいドス黒い闇の塊が正面に『存在』していた。
……その塊は徐々に何かを形作っていく。
闇の塊は四つん這いの獣のような、口からからでかい牙を二本生やしているという、形からいえばイノシシに近い魔物へと変化した。しかし、身体のあちこちからあの黒い結晶に似たものが飛び出していて生き物にしては異形過ぎるその姿と、赤く光るその眼光からは全く生気を感じさせないのもあって、ソレには嫌悪感しか湧かなかった。
「魔物……か、アレ?」
「わかんない。けど……なんか怖い……」
エメラはもう既に腰が引けている。
他の奴らも得体の知れないソイツを警戒した様子で出方を見ていた。
「魔物とは断定も否定も出来ないね。落ち着いているのに、気持ちが全く伝わってこない……」
「逆にそれで良かっただろ。あんな奴のが読めたら気持ち悪いし、変に感情移入することもないからな」
ルージュに対してオレは当たり前のように返した。あんなのの気持ちが伝わってくるなんて不快でしかない。
だが、そのおかげでやることは決まった。感情も無いんじゃ、どれだけ痛めつけようが構わないってことだ。それなら痛がろうが知ったことじゃない、鎌で遠慮なく引き裂いてやる……!
「くらえっ‼︎」
オレはソイツに向かって思い切り鎌を振って切り裂いた。
呻き声も何も上げなかったが、ソイツは身体を大きく仰け反らして痛みに表情を歪ませる。魔物に似ても似つかないバケモノではあるが、とりあえずは効いているようだ。
「全く、あの少女は血気盛んだな。若気の至りというやつか」
「元からあんなだ。鬼畜妖精め……」
「うるさい。口動かしてる暇があるなら、先に手を動かせよ。じゃなきゃヤバいんだろうが!」
「はいはい。だけど僕はお前の従者になったつもりないから。命令とかするなよ!」
「ふっ……。色々聞きたいことはあるが、それどころではないか」
オスクは大剣を、シルヴァートは氷でできた剣をそれぞれ構え、ソイツを見据える。
「私の役目である霧をここまで乱しておいて黙っている訳がない。お前に剣を向けることに、一切の躊躇はせん」
シルヴァートは剣をソイツに向けた後、一気に間合いを詰めて斬りかかる。
ザシュッ! と鋭い斬撃音を響かせ、ソイツは体勢を崩す。その直後にオスクもここぞとばかりに間髪入れず斬撃を浴びせる。
流石は大精霊の二連撃といったところか。オレが攻撃を与えた時とは比べ物にならないくらいにソイツの身体は大きく吹っ飛ばされ、氷の壁に背を打ち付けた。
「ふーん、刃が通るんなら恐れる程じゃないか。ちょっと拍子抜けなんだけど」
「油断するな。あの結晶の脅威は前から聞いているだろう」
「はいはい。自分への鼓舞だって」
シルヴァートはオスクの言葉にやれやれと言うように首を振ると、オレらの方を向いた。
「このようなことになって正直申し訳ないが、私一人では手が足りない。お前達妖精の手を借りたいのだが……」
シルヴァートは言葉の通り、表情を曇らせて頼み込んだ。
シルヴァートも大精霊としてのプライドはある、さっきの言葉もあるし……普段こんなことするのはあり得ないだろう。しかも、オレらは大精霊に遠く及ばない非力な妖精だというのに、そんな相手が頭を下げて頼んでくるんだ。
そんな表情を向けられて、こんな状況を目の当たりにして、断るやつがいる訳が無い。オレらは当然のように頷いた。
「当然やります。僕だってこの山の案内妖精なんだから!」
「わたしもみんなとやるって決めたんだもん!」
「ここまで見ておいて、放っておくほど薄情じゃないぜ!」
ドラク、エメラ、イアが次々にそう言い、フリードとルージュもシルヴァートに向かって三人に同意するように武器を構え直す。
オレなんてもう攻撃を加えている。元々は霧を何とかするのが目的だったが、こんな状況に陥って今更回れ右をする程根性なしじゃない。この場にいる全員、ソイツに立ち向かう覚悟は出来ていた。
「……すまない。先の言葉は撤回するとしよう」
「ホント堅物だよな。最初からこうすれば良かっただろうに」
「……」
オスクの言葉にシルヴァートは何も言い返せずにいる。シルヴァートもプライドがあって、協力を頼むに頼めなかったんだろう。
だが、今となってはその壁を乗り越えられた。今は何が何でもヤツを倒すことが優先だ、ソイツも時間が経って体勢を立て直している。
「よっしゃ。サクッとやっちまおうぜ!」
「おー!」
イアの掛け声にエメラはノリノリで反応する。
サクッとなぁ……。そう上手くいくといいが。
思った通り、ソイツもやられていて黙っている訳が無く、頭に飛び出しているツノを振り回して応戦してくる。
凶器に等しいそのツノを力任せに振り回されてはたまらない。ツノが大きくて当たってしまう範囲も広く、これじゃ迂闊に近づけない。
「抵抗するか。どんな奴かと思えば、やられることに対して恐怖はあるんだな」
「オスク、これは魔物なの? それとも何か別の?」
「さあ? 僕だって全部知ってる訳じゃないの。アイツはあの結晶を守るとしか知らされてないし。ま、あえて言うならガーディアンってところか」
「ふむ……そうだな、その言い方で的を射ているだろう」
「ガーディアンねぇ……」
オレはその『ガーディアン』と黒い結晶を交互に見る。禍々しい気配を漂わせる両者。ガーディアンも、生き物の形ではあるが、これだけ動いていても生き物らしさは微塵もない。
あの結晶が何故この世界を荒らそうとするのかはわからないが、この世界にいる者全員にとって有害でしかないということは確かだ。厄介なことになる前に片付けないと……。
オレがまた鎌で攻撃を入れるとソイツは急に頭を下げて体勢を変えた。まるで、なにかを今から仕掛けると言わんばかりに。
「……なんだ?」
「……ッ! まずい、離れてっ!」
「は?」
いきなりのことに理解が追いつかなかった。ルージュの声に反応する前に、ソイツはオレに勢いよく突進してきた!
「うぐっ⁉︎」
腹部に走る、鋭い痛み。正面にいたオレにかわす余裕はなく、攻撃をもろに浴びて吹っ飛ばされた。
凄まじいスピード。走り出したらもう視界に捉えきれない。まるで、突進してくるイノシシのようで。
ぐっ……くそ、油断してたな……。
「ルーザ、大丈夫⁉︎ 回復するね!」
エメラはすぐさまオレの傷に向けて自身の杖をかざして、治癒魔法をかけてくれた。応急処置だが、痛みは引いてきている。
ソイツは突進したのはいいが、すぐには止まれないらしい。スピードにされるがまま、派手に氷の壁にぶつかっていた。
「今がチャンスだぜ!」
「はい、今の内に少しでも攻撃を与えましょう!」
「ほら鬼畜妖精! お前は回復を優先していなよ!」
「わかっているっての……。悪い、エメラ」
「気にしないで。わたしって実技があんまり得意じゃないから、これくらいしか役に立てないけど……」
「そんなことねえよ。現にオレは助かってる」
エメラの後ろ向きな言葉を思わず否定する。
エメラは申し訳なさそうにしているが、誰にだって得意不得意はある。未知の敵にこうした回復役がいるだけで安心するものだ。こうして役に立ってくれているんだ、迷惑だなんて思うわけがない。
……オレは突進をくらった腹部をさする。痛みが引いているとはいえ、不意打ちを食らったのは予想以上に痛手だった。今でも会話するだけで精一杯。
……突っ込んだ報いなんだろう。慎重にいかないと駄目だ、ソイツは魔物と似たものとはいえ、普通じゃないんだから。
他のやつらが順調に攻撃を入れていっている。ソイツは声も上げず、大したリアクションも見せずと何の反応もしないが、確実に体力を削れているようだ。
エメラの回復が大分終わったところで、オレも体勢を立て直して鎌を振り上げる。
「さっきはよくもやってくれたな。受けろッ‼︎」
オレは鎌に魔力を込めて思い切り振るう。流石のソイツもこの攻撃は効いたらしく、ガクッとバランスを崩す。
よし、この調子だ。あの後のことだから次は慎重にいかないければ。そう思いつつ、オレは鎌の柄を握る手にぐっと力を込めた。




