第189話 Hello World(1)
……その日の夜、私達はカルロタワーに泊まらせてもらうこととなった。ギデオン……いや、ギデオンさんが「迷惑をかけた詫びに」と、許可証代の4万ゴールドを返金してくれるのと一緒に、ベッドがある休憩室を貸し出してくれて。手痛い出費であったのは事実だし、意図せず来たその日一日でカルディア中を駆けずり回ることとなってしまい、くたびれ果てていた私達は素直にギデオンさんの好意に甘えることにした。
途中で撃墜され、二手に分断され、合流してからは『滅び』を倒すためにタワーの最上階まで一気に駆け上って、としている内に当然だけどかなりの時間が経過していたらしく。夜といっても、私達が寝床にありつけたのはもうすぐ夜明け前という時間になってからだった。徹夜ギリギリまで動き回っていた分、起床時間はかなり遅くなってしまうことだろうけど、疲れを取るためにもゆっくり休もうとみんなで決めた。
だからさっさとベッドの中に潜り込むべきところなのだけど……
「……暗い、な」
ガラスの向こう側に見える、まだ煙に覆われたままの空を眺めてそう呟く。
なんとなくすぐ眠る気になれなかった私は、気分転換に第一展望台に来ていた。窓から見える景色は、当然だけど昼間と比べて暗さが増した程度で差異はほとんどない。「神」が崩壊したことが広く影響しているのか、今は煙突からもう煙は吹き出してないのだけど……やはり今まで積み重なったものはそう簡単に消え去らなかった。
空を見上げてみようと思ったのには、一つ理由があって。事件は解決したけど、私にはまだある心残りがあってのことだった。まだ私にはやるべきことの全てを果たせていない……そう思っているために。
「いたた……」
頭を悩ませているその最中、額にズキズキと鈍い痛みが走って思わずその出どころ…… ギデオンさんの命令でイオが私を殴ってしまった時に付いた打撲痕を手で抑えた。今となっては、そこは包帯でぐるぐる巻きにされているのだけど。
これは休憩室に案内された時、まだ痛みに顔をしかめていた私にエメラが気付いて、「ちゃんと手当てしなきゃ駄目!」と叱られながら巻かれたものだった。イオはそんな私を見て、怪我させてしまったことを本当に申し訳なさそうにしていたけど、私はイオを責める気なんてもちろん一切無いし、かえって良かったとすら思っている。
だってあの時初めて、イオにも心がちゃんとあることを認識出来た瞬間だったから。
「ん、ルージュさんも来てたんだ」
「見事にさっきのメンバーが集まっちまったなぁ。やっぱ考えることはみんな一緒ってわけか」
「あ……ドラク。イアも」
不意に名前を呼ばれ、反射的に振り返ってみるとそこにはドラクとイアが。どうやら、2人も私と同じくまだ眠る気が無かったらしい。
「おう。ルージュもあのこと気にしてんだろ? 煙に覆われてる空をそう何回も見上げる理由とか、それしか思い当たらねえし」
「……うん。事件自体は解決しても、ね。その言い方だと、2人も?」
私が投げかけた質問に、2人はすぐさま頷く。
そうだろうとは思っていた。さっさのイアの言葉、「考えることはみんな一緒」だということからも。ルーザ達と離れ離れになってしまった時、たまたま近くに2人。このメンバーが事件は解決したにもかかわらず、未だ一緒になって頭を悩ませていることなんて、思い当たるのはただ一つ。
「イオの夢、まだ叶えられてあげられてないんだよね……」
「ああ。イオにはここに来てから散々助けてもらったってのに、オレ達からは何もしてやれてねえまんまなんてよ」
「そんなの、気にしないって方が無理な話だよね。イオ君はギデオンさんを助けられたことで充分だって言うかもしれないけど、それはそれ、これはこれだし」
……やっぱり、2人もそのことを気にしていたようだ。
この第一展望台にある倉庫で聞いた、イオの「空を見てみたい」という夢。貧民街に逃れてから煙に覆われた空しか見たことがないイオは私達に青空を、空で輝く太陽や星を見てみたいと言ったんだ。
それまで私達や貧民街の妖精を手助けすること優先し、自分のことはいつだって二の次にしていたイオが、初めて自分の欲を明かしてくれた瞬間。その時点ではまだ輪郭が曖昧だったイオの心が、確かに存在しているという片鱗を見せた時だった。
だからみんなで煙が取り払われ、露わになった蒼を見上げてみたかったのだけど……この分厚い煙を消し去る力なんて待ち合わせてない。カルディアの空という括りにこだわらなければ出来なくもないけど、せっかくならばイオの故郷で、ギデオンさんと一緒にその夢を叶えてあげたい。
それが一番の理想だけど、現実はやはり厳しいもの。いつだって試練を課して、やっとの思いで乗り越えても、情けなんてかけてはくれなかった。
「でもよ、今はもう煙突から煙は出てねえんだし、ギデオンさんも正気に戻って、少なくともこれ以上悪化するなんてこともねえだろ。その内煙が薄くなって、いつか空が自分からひょっこり顔出してくれる時が来るだろうさ」
「そうだね、イア君の言う通りだ」
「うん。私達はせめて、その時が一日でも早く来るように願うだけだね」
手助けにもならないかもしれない。それでも、少しでも力になってあげたかったから。努力し、抗ったというのにご褒美もくれない、どこまでも残酷で苛烈な運命に物申すために。ささやかでも、新たに寄越された壁に少しでも傷をつけられるのならば。いつかきっと叶う日が来ると、気持ちだけでも寄り添ってあげたい。
あ……そうだ。気になっていたことがもう一つあったんだ。
「ねえ、イア。ギデオンさんがイオに私達を排除するよう命令した時、すっごく怒ってたけど、あれって……」
「あ、それ僕も気になってたな。あんなに怒ってるイア君、初めて見たからびっくりした」
「ああ〜……あれかぁ。今思い出すとあんなにムカついたの久々で正直恥ずかしいけど」
照れ臭そうに、頭をガシガシとかきながらイアは理由を話し始めた。
「なんつーか、その……似てたんだよな。転校してきたばっかのルージュに」
「私に?」
「おう。ルージュもギデオンさんも、周りの奴らに酷えことされて、何もかも信じられなくなって、っていうところを含めてさ」
……そう言われてみると、確かに私とギデオンさんの境遇には共通点が多かった。耐え忍んでいればいつか状況は好転すると信じていたのに、それを裏切られて、踏み躙られて……やがて限界に達した時、何もかも壊したくなって。立場や状況に差異はあれど、ギデオンさんに今回降り掛かったことは他人事とは思えなかった。
「多分、2人とも真面目だから一人で抱え込んじまったんだよな。周りにメーワクかけたくなくて、自力でなんとかしようって。周りに頼るってことよく知らないままいたから、一人でボロボロになっちまってたんだよな」
「……うん」
「イオも言ってたけど、早く引っ張り上げてやらねえといつの間にかフッと消えちまいそうで怖くなった。だからなんとしてでもあそこで止めてやらねえとって、そう思ったらポンポン言葉が出てきてよ。まあ、オレ馬鹿だから上手い言い方とか全然出来てなかっただろうけど」
「そんなことない。イアが正直な気持ちを伝えてくれたから、私もギデオンさんも踏み止まれたんだよ」
「説得に上手いも下手もないからね。結局、相手が言われたことをどう受け止めて、どう捉えるかが成否を左右するだろうから。失敗することを恐れずに突き進もうとするイア君の言葉だから、『滅び』に呑まれていたギデオンさんの心にも響いたんじゃないかな」
「そ、そうか? ヘヘッ、そう言われるとやっぱ嬉しいな。咄嗟でも言いたいことぶちまけて良かったって、そう思えてくるぜ」
イアの言葉はいつだって真っ直ぐだ。直情的で、飾り気のない、嘘偽りで塗り固めていないことがすぐに分かる澄み切ったものだから、閉ざされた心にも深く突き刺さる。傷付けまいとするあまり、無難なものばかりを並べ立てられていたら、きっと届かなかっただろう。
見たまま、感じたままを伝えてくれるから。最後には自分でも知らず知らずの内に己と向き合わせてくれて、それまで顔を背けてきた本心をその熱い炎で炙り出してしまう。イアの言葉にはそんな不思議な力があった。
イアは自分を馬鹿だと言うけれど、逆に言えばそれは幼い頃からの純粋さを失っていないということだ。何処までも素直で、心から相手のことを考えてくれている。
そんなイアだから、私は────
「……ん」
その時、ふと眩しさを感じて目を細めた。なんだろう、そう思って窓の外に目を向けてみれば、視界の最奥に映る地平線が若干白みはじめている光景が目に飛び込んでくる。
「あ、今が日の出の時間みたいだね」
「うげ、もうそんな時間か。結局今日は徹夜しちまったなぁ」
「んん……そう言えば眠たくなってきたかも」
ふわ、とあくびが漏れる。それと同時に蓄積されていた疲労によって身体がズンと重たくなって、ちょっとでも油断するとこの場で居眠りしそうになるくらい、意識がぼんやりしてくる。
……窓の外がどんどん明るくなっていく。いい加減にベッドの中に入らないと目覚めがどんどん遅くなってしまう。早く部屋に戻らない、と……?
「ちょ、ちょっと待って……!」
そこまで来て、ようやく目の前に広がる景色がおかしいことに気付いた。
カルディアの空は煙で覆われている。その分厚さといったら、陽の光は完全に遮られて昼間ですら夜のような暗闇で閉ざされているくらいに酷いもので。だから、今まで空を見て眩しさなんて一切感じなかったというのに。だけどそれが今、当たり前のように戻ってきていて。
こんな、都合の良いことって────でも、
「は、早く連れて来よう!」
「そっ、そうだね!」
気にしてる暇なんて無かった。私達はこの景色を見ることを一番望んでいた人物を呼び出すべく駆け出した。さっきまで襲い掛かっていた眠気も、溜まっていた疲労も、不思議と感じなかった。今はとにかく、一刻も早くこの場に連れてきてあげたかった。
奇跡とか、偶然とか、そんなのはどうでもいい。やっと、頑張ったご褒美が与えられる時がやって来たのだから。
「ど、どうしたの、みんな! ボク今、お父さんの手伝いに行かなきゃいけないんだけど……!」
「いいから! 手伝いも大事だけど、とにかく来て欲しいの!」
そうして呼び出したイオは、当然だけどいきなりのことに戸惑っていた。何の説明も無しに、「一緒に来て」としか言ってないのだから尚更。
訳が分からず、私達に言われるがままついて来たイオだったけど……目的のものを前にしたその瞬間、時が止まったかのように硬直した。文字通り言葉を失って、目の前の景色に見入っていた。
「────夢が、叶った」
窓に駆け寄り、ガラスに張り付いて。まだ何処か信じられないように呆けているけれど、心とその目にこの景色を焼き付けるべく、顔だけは決して逸らすことなく。目の前に広がる、煙の隙間から顔を出した自然の蒼と太陽を真っ直ぐ見つめていた。
ささやかで、それでも難しいと半ば諦めていた望みがようやく叶った喜びを目一杯噛み締めながら。
……「丁度」、都市にある機械のほとんどが停止していたためか。「たまたま」、風が強く吹いたせいなのか。「偶然」、煙が薄れていた箇所があったのか。それらの因果が全て「ひょんなことから」重なって、この景色が形成されるに至った……このタイミングもあって、出来すぎたことだと思う。実際に目にしても、まだ信じきれていない部分がある。
「……ねえ、2人とも」
「なんだ?」
「私、神様って大っ嫌いだし、いるだなんてこれっぽっちも思ってない。今回のこともあるけど……試練と称して過酷な運命ばかり押し付けて、良いヒトばかりさっさと連れてって。自分勝手が過ぎるって、いるんだとしたらすごく恨む」
「……うん」
「でも今は、今だけは。頑張る姿を見ていて、ちゃんとそれを認めてくれる優しい神様がいるのかもって……そう、思えてくるの」
「……そうだな。きっと、何処かにいるさ。世界だって、意地悪ばっかじゃねえもんな」
ガラスの向こう側から溢れ出す朝日を浴びて、喜びのあまり飛び跳ねるイオを見て、私達は顔を見合わせてクスッと笑みを零す。
その光はまるで、神様が未来へと向かって歩き始めようとしているイオ達に道を指し示してくれているような……そんな気がした。




