第188話 マリオネットは糸切れて(3)
「はあっ……はあっ……し、死ぬかと思った……」
「もお〜……最後の最後まで全力疾走で脱出とか、勘弁してよぉ……」
「うんうん。疲労は蓄積されてるみたいだけど、全員五体満足だね。キミ達が与えられていたという任務は無事に帰るまでが目的だから、これで晴れてミッションコンプリートってわけだ。お疲れ様!」
「遠足みたいに言うんじゃねえよ……。誰のせいでこうなったと思ってんだ」
ゼェゼェと息切れする私達とは対照的に、機械故に疲労とは無縁なイオは涼しい顔で労いの言葉をかけてくる。色々言いたいことはあるものの、今までに散々浪費した体力の回復と、今のダッシュのせいで不足気味の空気を取り込むのに必死でそれどころではなく。全員揃って肩で息をしながら、せめてもの抗議にイオをじとっとした目で睨み付ける。
あれから、アーチを潜ってあの空間から脱出した私達はそのまま非常用階段を駆け降りて25階まで戻ってきた。オスクが予想していた通り、25階から上はギデオンが『滅び』に取り憑かれてから後付けしたものだったようで、支柱であった「神」が崩壊したことによって支えを無くし、呆気なく散っていった。本来ある筈ではないものだからと、まるで幻だったかのようにあっさりと。
でも、これで良かったんだと思う。これからイオと共に未来を歩んでいくギデオンに「神」は必要ない。あんな『滅び』にとって都合のいい道ばかり提示する偶像なんて、もう二度と誰の目にも、手にも触れられないようになるのが一番だ。
「ごめん、ごめん。ボクも正直それどころじゃなかったからさ。早く引っ張り上げなきゃ、このままどこまでも転がり落ちてしまう気がして」
イオはそう謝りながら、背におぶったギデオンに目をやった。
ダッシュしたことでかなり揺すられ、耳元では部屋が崩れていく轟音が鳴り響いていたというのに、ギデオンはその間ずっと眠ったままだった。今もその瞼は閉じられていて、しばらく目覚めそうにない。
……よっぽど疲労が溜まっていたんだろう。肉体的にも、精神的にも。
「でも良かった」
「え?」
「ギデオンの顔。すごく穏やかな表情してるから。やっと自分の居場所、見つけられたからかな」
「あら、本当。ふふっ、こうして見ると結構可愛い寝顔だわ」
「ふーん……随分と間抜け面なことで。さっきまでガラクタだの、部外者だの散々言ってた時とは大違いじゃん」
「イオが傍にいるって分かって安心したんだろうな。オレだってやっぱ自分ちにいる時が一番リラックスできるしよ」
「そうですね。ようやく、ギデオンさんも家族に連れられて自分の家に戻って来れたんですよね」
そんなギデオンを見て、みんなも安堵感からほっと息をつく。『滅び』を退けるのはもちろんだけど、ギデオンの心を救うという目的を果たせたことがこうして証明されて、私達もやっと肩の荷が下りた。依頼主であるベアトリクスさんとアルヴィスさんにも良い報告を持ち帰れそうだ。
「ルージュ、その同行者達も」
「ん?」
「都市を侵蝕していた悪しきものを退け、マスターを救えたのは、他ならぬアナタ達のおかげ。ワタシの認識を正し、在るべき道へと導いてくれたことを含めて、改めて感謝申し上げる。……本当に、ありがとう」
「ボクからも。お父さんの元に連れてってくれて、本当に助かったよ。キミ達がいなかったら、今頃どうなっていたか分からない。キミ達出会えて本当に良かった」
柔らかな笑みを浮かべ、感謝の言葉を述べながら、深々と頭を下げるローナとイオ。その笑顔は最初のぎこちないものとは比べ物にならないくらいに自然なもので……機械である2人にも、ちゃんと『心』が形成されていることを物語っていた。
「気にすんなって。どうってこと……なくはねえけど、それがオレ達の目的だったんだし。それに、イオだってオレ達が落っこちてたところを受け止めてくれたんだしよ。その恩返しが出来たっていうなら満足だぜ」
「うん。助け合うのは当然のことだよ。僕達は友達だから、そうだろう?」
「……うん、そうだね!」
「ワタシは今日のことを永久に忘れぬよう、メモリーに刻み付けておこう。そしていつの日か、我々がマスターにとってそのような存在になれるよう努めていく。道を示してくれたアナタ達のような存在に、少しでも近づくために」
イアとドラクの言葉に、イオとローナは深くうなずいた。
イオ達はもう、出会ったばかりの頃の機械だから、生き物とは根本的には違うから、という後ろ向きな考えとはすっかり決別出来ていた。機械だから生き物にはなりきれなかったとしても、憧れ、手を伸ばして努力することは悪いことではないことを知っているから。
機械という身であっても、目標を掲げて、私達と同じように成長する2人がいるなら、きっとギデオンの本当の理想をカタチに出来る筈。そう思った。
「それにさ、オレ達がやったのってあの機械を直接ぶっ壊しただけで、説得自体はイオがしたんだしよ。この結果を掴み取ったのはイオ自身なんだし、もっと胸張ってもいいんじゃね?」
「そう、かな」
「それには僕も同意だけどね。結局、最後に耳を傾けんのは身内の言葉であって、部外者である僕らのじゃないんだ。自分が見守っていたと思ってるヤツから逆に叱られたりすると、結構効くもんだし」
「……経験者は語るってやつか?」
「ああ。ルージュから頭引っ叩かれたの、今でも鮮明に覚えてんだ。フツーに痛いし、やけに胸に刺さるし、色々してやられたって感じ。保護者としてのメンツ潰れそうなとこだったんだぞ、何してくれちゃってんだか」
「ふふっ……」
ニヤッと挑発的な笑みを浮かべながらかけられたオスクのそんな皮肉めいた言葉に、私もつられて笑みをこぼす。
あの時……元凶と対峙して、異常なまでの怒りに支配されたオスクを引き戻すべくかけた私の説教が、ちゃんと効いていたことが改めて分かって。オスクにはいつも助けられてばかりだったから、その恩を少しばかり返せていたのかな。
「う、ん……?」
「あ、起きた? お父さん」
……そんな時、ようやくギデオンが目を覚ました。
寝起きでまだはっきりと開き切ってない瞼を数回しばたたかせながら、ゆっくりと周囲を見渡して自分が今どこにいるのかを確認していく。
「ここ、は……そうか。戻ってきたのか。『No.01』、お前が、私を連れ出してくれたのだな……」
「うん。今のお父さんには、もうあんな窮屈なところに閉じこもる必要なんてないでしょ? あ、それとね」
「……?」
「ボクのことは、イオって呼んで。貧民街のみんなに付けてもらった名前。ボクがボクであるっていう最初の証だから。お父さんがその名前を呼んで、ボクが返事をして、ボクという存在が確かにあることをこの世界に刻み込むために。お父さんにもそう呼んでほしいんだ」
「イオ……成る程、『自己』か。……良い名を貰ったのだな」
それを聞いたギデオンは微笑んだ。それはまるで自分の子供の成長を、自分が見ていない間に立派に育ったことを喜ぶ父親のような顔で。
「……イオ、改めて礼を言う。私の元へ戻ってきてくれたこと、私を正しき道へと導いてくれたこと……感謝する」
「当然! 間違ったことをしている時に引き止めるのも、家族の役目だもんね!」
そうして、2人は顔を見合わせて笑い合う。アンドロイドとその製作者……形式こそ特殊なものであれ、至って普通の家族がそこには確かに存在していた。
……そしてそれは、この都市に今まで絡み付いていた操り糸から完全に解き放たれた何よりの証明だった。




