第185話 たとえツクリモノだとしても(3)
イオの、外れ癖が付いていたという右腕がゴトリと音を立てて床に落下する。その音によって、状況が理解しきれずにどこかふわふわしていた意識が現実へと一気に引き戻される。
「あ、なんで……ボク。ルージュごめんなさ、ごめん、なさい……」
ぎこちない謝罪が、静まり返った広間に反響する。それは私を殴った張本人であるイオから発されたものだった。
目は「驚愕きょうがく」で見開かれ、身体と残った左腕は「恐怖」と「後悔」によってカタカタと震えて、その顔には「困惑」と「悲しみ」の色が浮かぶ。機械に本来ある筈のない感情が、今ははっきりと表出していた。
だけど、誰がどう考えてもこれは喜べる状況ではなかった。私達が仲間だと思っていて、本人もそうであることを選んだ直後に起こったのは、私への攻撃という狂行。私はイオが殴ったと信じられずに倒れ込んだまま呆然とするばかりで、みんなも事態が飲み込めずにその場に立ち尽くしていて。そして、イオ本人が自分の行動に一番戸惑っていた。
その様子からして、イオもしたくてした訳ではないようだ。さっきのアンドロイド達が、私達の足止めに自爆という手段を選んだ時と同じ。ならば、イオがこんな行動に至った理由……それはもう一つしか考えられない。
「ギデオン、アンタ……一体何しやがった」
ルーザも私と同じことを考えたらしい。キッと鋭く睨みつけながら、原因と思わしきギデオンに問いを投げかける。
「何を驚いている。私はアンドロイドの製作者でありマスターなのだ。命令の優先度は私が最高。アンドロイドにとって私の命令は絶対であり、逆らうことは許されない。廃棄したとはいえ、全てのアンドロイドの原型プロトタイプである『No.01』もそれは同じこと。これが当然のことなのだ。何も疑問に思う点はあるまい」
「製作者だからって、何もかも思い通りにしていいとでも言うんですか! こんな、イオ君は謝るほどに嫌だと思っていることを、イオ君自身の意思を無視して実行させて! イオ君は、あなたの友達じゃなかったんですか⁉︎」
「どこでそれを知ったか知らないが……それはもう過去のことに過ぎん。思えば私もどうかしていた。一時の安堵感を得るために友人など、己が弱さのために他者を拠より所にしようなどとは、実に愚かであった。どいつもこいつも口では支え合い、助け合うなど耳触りのいい言葉を並べておいて、現実はそれらを踏み台にし、搾取さくしゅし、利用し尽くして用済みになれば即廃棄する。だから私もそうしたまでだ。周囲の者どもが行っていることだというのに、私だけを非難するというのか?」
ドラクの必死な訴えも、ギデオンには届かない。開き直ったかのように、自分の行いを正当化しようとしている。自分がアンドロイドにしていることは、誰もがやっていることだと。だから自分が非難される言われはないと。
「……何をしている、『No.01』。早く与えた命令を果たせ」
「い、……やだっ! ボク、は、ルージュを……仲間を、傷つけたくないっ!」
「お前に拒否権は無い。お前の意思など関係無い。アンドロイドは私の駒、それ以上でもそれ以下でもない。お前はただでさえ、部外者を手引きするなど許されない失態を犯したのだ。その精算するため、お前自身の手で目障りな侵入者どもをこの場から追い出せ」
「ぐ、ぅっ……!」
「イ、オ……」
傷口と、まだ残っている衝撃の余韻よいんでくらくらしている頭を押さながら、ふらふらと私は立ち上がる。視線の先にいるイオはギデオンからの命令に必死に抵抗しているのだろう。今にもまた飛び出してしまいそうな身体を、拳を、「傷つけたくない」という意思だけで抑え込もうとしていた。その顔は、見たこともないほど苦悶くもんに満ちていて。
……見てられない、それはこういうことを言うのだろうと思い知る。イオがあまりにも苦しそうで、辛そうで、思わず目を手で覆いたくなってしまう。
たった一つの命令だけで、どうしてこんなにイオが苦しまなくてはならないのか。そんなイオを、助けてあげられない自分が情けなかった。イオには何度も助けられたというのに、私はイオに何もしてあげられなくて。
どうしたらいいんだろう……そんな問いが頭の中を埋め尽くすばかりで、時間だけがどんどん流れていく。未だじんじんと痛みが治おさまらない額から滲にじみ出てきているモノは、手で押さえるだけでは不十分だったらしい。留めきれず、頬をつうと伝っていき……やがて、床にポタリと赤い雫が落ちる。
それが、余計にイオの顔を悲しみに歪めることとなってしまった。
「……ざっけんな」
「イア?」
そんな時、イアが不意に呟きが聞こえてくる。
俯きながら肩を、拳を、小刻みに震わせて。でもそれはイオのような「恐怖」から来ているものではなく、抑えきれない「怒り」によって震えていた。そして唐突にガバッと顔を上げて、
「ざっけんなよ‼︎ それが当たり前だとか、他の奴らがしてることだからとか関係ねえ! イオが嫌がって、こんな苦しむことさせるなんて、イオを作ったアンタが一番やっちゃいけねーことだろうが!」
「二度も同じことを言わせるな。アンドロイドにとって私の命令は絶対。そして、私が与えたのは自らが犯した失態の精算。どこがいけないというのだ」
「全部だよ! アンタは他の奴らにやられてたような嫌なことをイオにさせてる時点で、そいつらみたいな存在に成り下がっちまったってことだろうが!」
イアのその言葉に、ギデオンの身体がピクリと震える。今までどんなに訴えようが一切の反応を示さなかったのにもかかわらず、だ。
「そいつらみたいになりたくないって悩んでたんだろ! どうしたらそいつらに負けないようになれるか頑張ってたんだろ! 言ってることとやろうとしてたことがあべこべになってるじゃねえか!」
「うるさい……」
「それで生まれたのがイオなんだろ? そいつらに負けないために、寄りかかれる相手としてイオを作ったんだろ? アンタはイオを自分の子供みたいに思えるくらい、大切に思っていたじゃねえか!」
「黙れ……!」
「いーや、黙んねぇ! まだ言いたいこといっぱいあんだ!」
イアはギデオンの言葉をあっさり拒絶した。そして胸を張って、堂々としながら続ける。
「アンタと違ってオレは馬鹿だよ! 自慢になるの腕っ節だけで、筆記テストとかいつもズタボロでよ。親父達にひでぇ点取ってくる度に怒鳴られて、ぶん殴られて。けど、オレが何か頑張ったら褒めてくれて、褒美に美味いもん食わせてくれて、これからも頑張れって応援してくれた。それに、アンタが今やってるような、嫌なことを無理矢理させることは絶対にしなかった!」
「……っ」
「役立たずの欠陥品だからって、アンタはイオを廃棄したって言ってさ、イオだってそれを受け入れちまってるところあったけどよ。じゃあ、何でアンタはイオをそのまま捨てたんだ?」
「何……?」
唐突に疑問をぶつけられ、ギデオンは怪訝そうに顔をしかめる。それに構わず、イアはさらに叫ぶように訴えかける。
「ホントに邪魔だって思ってたなら、もっとやり方あっただろ。もう二度と帰って来れなくなるくらい遠くに捨てるとか、跡形もなくバラバラにぶっ壊すとか。なのに何でアンタはタワーの近くの貧民街に、壊しても修理したらまた動く程度に留めておくような捨て方したんだよ。おかしくなる自分の近くにいたら危ないと思って逃して、いつか助けに来て欲しいって、そう思っていたんじゃねえのか⁉︎」
「ち、違う……!」
「アンタのやってること、全部全部友達だから! アンタはイオを壊さなかったんだろ! 家族だから、助けてほしかったんだろ! いつか絶対戻ってきてくれるって、アンタはイオのこと信じてたんだ。苦しくて苦しくて仕方なくて、口では色々言ってても、心だけは初めっから正直だったんだよ‼︎」
「黙れ、黙れ、黙れ! 私は助けなど求めていない! このような欠陥品に期待など、初めから……‼︎」
「……図星か。全くわかりやすいことで」
ムキになるギデオンに、オスクはやれやれと肩をすくめる。
それはイアの指摘が正しいと自分から白状しているようなものだ。自分でもそれに気付いていないのだろう。元々のギデオンの気持ちと、『滅び』によって歪められた意識が混濁こんだくして、ぐちゃぐちゃになっている。
「部外者ごときが、私に口出しするな! 『No.01』、命令だ! 『部外者どもを抹殺しろ』!」
「ぐぅ……っ⁉︎」
激昂げきこうしたギデオンが、イオに新たな命令を与える。しかも、さっきものよりずっと恐ろしいものを。
ずっと耐えていたイオだけど、限界だったらしい。残った左腕を振り上げ、私達に向かって突進してくる。
やられる……! そう思ってぎゅっと目を瞑った、その時だった。
「────させません」
聞き慣れない声が、響き渡る。その瞬間、私達とイオの間に誰かが割って入り、イオの攻撃を受け止め、弾き返す。武器も持たず、武術も会得していないけれど、金属でできているために決して軽くはない筈のイオの攻撃をいとも簡単に。
「あなた、は……?」
私達を助けてくれた、その相手は────




