第175話 温もりに触れて(4)
今まで体感したことのない風圧が顔を直撃する。空気の壁が私の行手を阻んでいるような感覚に陥る。
それでも、私はその壁を突き破る勢いで手を伸ばす。きっと手は届くという願いを、……いや、届かせてみせるという意思を込めながら。
「ぐっ、ぅ……!」
けれど、私の気持ちに反して落下しているアンドロイドとの距離はなかなか縮まらない。それに視界も。風が目を直撃する痛さで涙が滲み出てくることによって目に映る景色にブレが生じ、定めている狙いが外れてしまいそうになる。
早くしないとこのまま床に直撃してしまう。スピードを上げないと。もっと、もっと速く、
「速くっ────!」
空気を蹴るようにして突き進む。ブレる視界の中でも、腕だけは必死に正面へと伸ばした。
その甲斐あって、徐々にアンドロイドとの距離が縮まってくる。少しずつ、それでも確実に目標へと近づいてくる。やがてそれは、手が触れられそうなところまで迫ってきて。
あとちょっと、もう少しだけ、ほんの僅かでも前に進めば。届け、届け、届いて……!
出来る限り、限界まで手を突き出す。そして────ついに指先が、アンドロイドの身体に触れた。
「とっ……!」
届いた! と、思わず顔が綻ぶ。
けど、喜んでいる場合じゃない。アンドロイドには追いつけたけど、迫りくる次なる問題……支柱の底に近づいてきているということ。アンドロイドが底にぶつかって壊れてしまうのを止めるために飛び込んできたというのに、私まで底に激突するなんて笑い話にもならない。
私はそれからすぐにアンドロイドの腕を掴んで抱き寄せる。アンドロイドの身体をしっかり抱え込んだところで、その場で身体を捻るようにして180度回転。急降下から上昇する体勢へと一気に切り替える。そこからさらに今までたたんでいた翼を大きく広げて、
「上がれ、ぇっ……!」
がむしゃらに羽ばたかせて重力に逆らう。
金属製のアンドロイドはそれはもう重いものだった。武器保管庫で試しに手に取ってみたサーベルとは比較にならない。さっきの戦いで私達が機能停止寸前まで追いやったことで身じろぎ一つしないために、その分余計に重量が腕にのしかかってくる。
それでも、この選択をしたのは私。壊れていく様を見たくないからと、飛び込んでおいてもう掴んでしまったのだから今更引き返せない。歯を食いしばり、必死に翼を大きく上下させる。
……その最中だった。
「……機能回復を確認。状況は……捕縛対象に、抱擁され……? 経緯不明、理解不能……」
「……っ!」
不意に言葉を発し出したアンドロイド。どうやら喋れる程度には機能が回復したらしい。その途端に、今まで腕にかかっていた重量が少しだけ軽減された。
今だっ……!
そう思って、ここぞとばかりに羽ばたきをさらに強くする。空気を押し下げ、身体を上へ持ち上げることだけを考えて。
アンドロイドが気が付いたことで落下の勢いが緩んだことも大きかった。羽ばたきで速度が落ちたのを見計らって、支柱の底へゆっくりと着地した。
「はっ、ぁ……た、助かったぁ……!」
床に足を付けてすぐ、安堵から息が漏れる。息切れも酷く、心臓がバクバクとうるさい。正直今まで経験したどんな戦いよりも緊張した気がする。
呼吸が落ち着いたところで、抱きかかえていたアンドロイドも床へそっと下ろして解放してあげた。アンドロイドはまだ状況が掴み切れていないようで、私に攻撃してくるわけでもなく、その場に突っ立っているばかり。
でも、危害を加えようとする意思がないのなら好都合だ。私はアンドロイドを見据え、傷の具合を確認する。
「ええっと……切り傷とか、少しヘコんでるところはあるけど、大きな傷は見当たらないね。気絶……というより、しばらく機能停止? してたから内側は多少壊れちゃってるかな。まあ、壊したのは他でも無い私達なんだけど……」
「……」
「でも、良かった……。バラバラになることは避けられて」
確認を終えて、ほっと息をつく。当のアンドロイドは、訳が分からないとばかりに相変わらず棒立ち状態ではあったけれど。
心がないアンドロイドでも戸惑うことがあるんだ、なんて呑気に考えていると、不意にその口元がピクリと動いた。
「……理解、不能」
「え?」
「我らは敵同士、救助するメリットは無い。それなのに何故」
「うーん。何か理由があるかと聞かれれば、特に無いかな。あなたがここに落ちるのを見てから、気が付いたらもう……身体が動いてたから」
そう正直に白状すると、アンドロイドは黙り込んだ。納得がいかず、どう反応したらいいか分からない、という様子だった。
でも、これは本当だ。嘘じゃない。アンドロイドが納得するような大した理由があって、ここに飛び込んできたわけじゃなかった。
「強いて言うなら、あなたがバラバラに壊れていく様を黙って見ているのが嫌だったから。敵同士といっても、私達はしばらく動けない程度に機能を止められればそれで充分。二度と動けないほどに壊してしまうのは……上手く言葉に出来ないけど、嫌だった」
「……我々アンドロイドに破損は付き物。我々を造り出したマスターに従い、役目を全うし、破損すればその場で破棄されるのが定め。我々アンドロイドは量産型。己が壊れてもまた新たな個体がマスターの手によって造り出されるまで。捕縛対象に救われるなどという失態を犯した自分は最早不要。直ちに破棄されることだろう」
「……そんなの、おかしい」
もう聞いていられなかった。無表情で、無機質な声で、自らの悲しい運命を語るところを。一度失敗しただけで不要とみなされて捨てられるなんて。代わりがすぐ造られるということも含めて、悲しくて堪らなかった。
「生き物でも、機械でも、何か意味があるから生み出された。親が願ったからとか、作り手の意思とか、どんなに些細なことでも理由があってこの世に存在してる。捨てられて当たり前なんてことある筈がない」
「我々アンドロイドはマスターの意思に従うまで。勝手な行動は許されない」
「だとしても、だよ。アンドロイドは感情がなくても、物事を考えたり、判断することは出来るでしょ? 私達の仲間みたいに、自分の行動を選択する力がある。あなたは完全に壊れてないし、まだ捨てられてもいない。これからどうするかを、自分で選べるんだよ」
「……」
アンドロイドは再び沈黙する。理解が追いついていないようで、その場に立ち尽くすばかり。
造られてからずっと命令に従うばかりだったアンドロイドには、自分で考えて自分でやりたいことをやるのがわからないのだろう。命令を遂行すればそれまで、壊れたら捨てられるのが当たり前だった機械には。
私も、手出ししたからには後始末もちゃんとしたい。こうして言葉をかけるくらいしか出来ないし、イア達が待っているからすぐにここから去らなければならないけど……このアンドロイドが自分が捨てられる時を待つことだけは、してほしくないから。
「あなたは元々この都市の役に立つために造られたんでしょ? この都市のためになることとか、原点に立ち返るのも一つの選択肢なんじゃないかな」
「……」
「でも私達と戦うことは、出来るならしてもうほしくないかな、なんて」
最後に冗談っぽくそう告げてから、私はまた翼を広げて飛び立った。イア達が待っているであろう、あの支柱に空いた穴を目指して。
「この都市の役に立つこと……都市のためになること」
……その直後に聞こえてきた、アンドロイドのそんな呟きを背に。




