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幻精鏡界録  作者: 月夜瑠璃
第14章 マリオネットは糸切れてーMechanical Dystopiaー
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第171話 心は錆びることなく(3)

 

「今日のお礼だよ。こんなものしか渡せないけど、受け取っておくれ」


 買い物の途中で、エマさんは私達に水を買って渡してくれた。中央市街でも3000ゴールドという値段が付けられていた、カルディアではとんでもなく高価な筈のボトル一本の水を、だ。


「え、そんな! 受け取れませんよ。ここでは水は高級品じゃ……」


「おや、余所者の割に物知りじゃないか。けど、あんた達が頑張ってくれたおかげで多少は奮発してもいいくらいには余裕ができたからね。これはその報酬さ。それにあんた達、大声出して喉もカラカラだろう?」


「好意は潔く受け取っておくべきものだとボクは聞いたよ。キミ達が頑張っていたのは真実なんだから、もらった方がいいんじゃないかな」


「そうさ、その通りだよ!」


「そ、それじゃあ、いただきます」


 2人の熱意に折れたらしいドラクが水入りのボトルを受け取り、私もイアもここまで言われて拒否するのは悪い気がして、それに続いた。

 口では遠慮したけれど、声を張り上げたことで喉が渇いていたのは確か。私達は喉を(うるお)すべく、すぐさまそれを口に運んだ。


「美味しい……」


 普通ならなんとも思わない水も、今はすごく美味しく感じた。声を張り上げたことでカラカラになっていた喉に水が染み渡り、ほっと息をつく。


 やがて買い物を終えたエマさんに連れられて、私達はエマさんの家だという建物の前に到着する。エマさんの家も他の家の例に漏れず、古びたトタンを組み合わせて家の形にした質素なものだった。風が吹くたびに壁がギシギシと悲鳴を上げて、強風に煽られでもしたらすぐに倒れてしまいそうなくらい。

 貧民街を形作る環境全てが過酷としか表現できないものばかり。商売のことといい、ここでの暮らしがいかに厳しいものなのかを思い知ったような気がした。


「あ、おかあさん!」


「ただいま、あんた達。いい子にしてたかい?」


「うん! ちゃんとおるすばんしてたよ!」


 家の前まで来た途端、その近くで遊んでいた幼い兄妹らしき妖精がエマさんに向かって笑顔で駆け寄ってくる。さっきのセリフからして、この子達がエマさんのお子さんなのだろう。

 エマさんが帰ってきたことに喜ぶ兄妹だったけど、その視線がやがて私達の方へと向けられた。


「あれ。おねーちゃんたち、だぁれ?」


「あ、その。私達は……」


「このお姉さん達は今日、イオと一緒にお店の手伝いをしてくれたんだよ」


「そうなんだ!」


「おうよ! よろしくな」


 そう、兄妹にニカッと明るく笑って見せるイア。そんなイアに子供達は特に警戒する素振りも見せず、大きな声で「よろしくね!」と返してくれた。

 子供らしい、無邪気な笑顔。中央市街にいた妖精には見られなかった明るい表情。そんな兄弟に私とドラクも思わず笑みがこぼれた。やはり貧民街ここにいる妖精の方が、ずっと活き活きしている。貧しい暮らしに屈することなく、中央市街では見られなかった確かな強さがここにはある。


「おかあさん、ごはんはまだ?」


「おなかすいたー」


「そうだね、そろそろ食事にしないとね。あんた達もどうだい?」


「そんな、食事まで厄介になるのは……」


「いいのいいの。大人数で食べた方がこの子らも楽しいだろうからね。こんな場所だし、楽しみなんてそれくらいしかないからね。お前達も、このお姉さん達と一緒がいいだろ?」


「うん!」


「いっしょにたべる!」


「子供達にまで言われちゃうと断りにくいね……」


「そう、だね」


 一緒にいてと言わんばかりに、兄妹は揃って私達の服の裾を握ってくる。流石にここで嫌だと拒否するのは忍びない。私達はせっかくだし、とエマさんの意見に乗ることにした。

 でも、食事の用意など何から何までお世話になるのは申し訳ない。せめて何かお手伝いできることがあれば。


「あの、何かお手伝いできることありませんか?」


「ん? そんなのいらないよ。食事はすぐ済むからね。はいこれ、あんた達の分」


「えっ」


 そうして、私達の分の食事だと渡されたものに3人揃って言葉を失う。

 私達に配られたのは、白い不透明なつまめるほどの小さな粒。パッと見、キャンディーかガムにも見えなくないのだけど……これが食事とは一体どういうことなのだろう。


「あのエマさん、これって……?」


「ああ、固形食だよ。知らないのかい?」


「あっ、これが固形食ってやつか⁉︎ てか、どっかで見たことあると思ったら、店の棚の端っこで売ってたやつじゃねえか!」


「あ、あれがそうだったの⁉︎」


 イアのその言葉で私も思い出す。イアと一緒に情報収集を行った店の商品がずらりと並べられていた棚の上に、隅に押しのけられるように置かれていたキャンディーらしきもの。

 あの時は私もイアも固形食をまだ知らず、その上キャンディーだと思い込んでいて確かめはしなかったのだけど、あれが噂の固形食だったんだ……。


 これの正体がわかったところで、私達は改めて固形食に視線を落とす。あの店で聞いた話によればこれ一粒でお腹いっぱいになって、尚且つ必要な栄養分も摂取できるようだけど。ものは試しだ、ありがたくいただいておこう。

 そう思って3人一緒に固形食を口に放り込んでみたのだけど……


「うーん……」


「確かに、腹は膨れた気はするけどよ」


「味しないし、匂いも無いし、食べた気はしないね……」


 イアもドラクも同じ感想のようだった。ドラクの言う通り、固形食はいくら噛んでも味が出てくることは無いし、さらには美味しそうな香りだってしない。さっきまで感じていた空腹感こそ和らいだものの、これじゃあ食事している感覚なんて一切無し。

 それに、固形食は数回噛んでいる内にすぐに無くなってしまい、食べている合間にお喋りする余裕すら与えてくれなかった。

 時間はかからないけど、こんなものを毎日食べていたら感覚だって狂ってくるだろう。それを中央市街の妖精達は効率が良いからというだけで好んで食べてるなんて……やっぱりどうかしてる。


「ねえ、イオ。カルディアってどこでも固形食での食事が一般的なの?」


「どうだろうね、ボクはここしか知らないから。あ、もしかして美味しくなかった?」


「うん。まあ……うん。味が無いから、僕達がこれを美味しいと言える要素がないからね……」


「あはは、妖精って美味しくないと表情が歪むんだね。そうだね、それが正しいなら固形食が好まれてる、とはいえないかな。ほら、見てご覧よ」


 納得しながら、エマさん親子を指差すイオ。言われるままにエマさん達の会話を聞いてみると、


「え〜、またこけいしょくなの?」


「これやだ。あじしない。おいしくない!」


「我儘いっちゃいけないよ。野菜はすっごく高いんだ。お母さんだって本当は暖かい料理が食べたいけど、我慢しなきゃ死んじゃうんだよ。お母さんがいなくなってもいいのかい?」


「やだ……」


「それじゃあ、今日はそれで我慢しておくれ。今日はお金をたくさん稼げたし、もうちょっと野菜が安くなったらそのお金で色んな野菜を買ってきて美味しい料理を作ってあげるよ」


「ボクが思うに、これが本音ってものじゃないかな」


「うん……今のでよくわかった」


 ……その内容で、固形食を食べる事情が大体察せた。やはりこんな味も香りもしない固形食をエマさん達だって好き好んで食べているわけではなく、仕方なくそれで食事を済ませているんだ。

 カルディアではパンも野菜も高価だから、貧民街の住民はなかなか手が出せない筈。今日は多く稼げたといっても、水だけは生きるために自分達の分も必ず買わなくちゃいけない。今日入ったお金も水を買うのにほとんど取られてしまったことだろう。

 そんな厳しい状況下だというのに、エマさんは私達に水を買ってくれたなんて。


 ……私達の手元には、ここに来る前に持ち込んでいたパンとスープがある。量もそれなりに。なら私達がやることは一つだと、私達は顔を見合わせてうなずく。


「あの、ちょっといいですか?」


「おや、なんだい?」


「これ……私達が持ってきていたパンです。良かったらどうぞ」


「えっ、パンだなんて、いただけるわけないじゃないか! それはあんた達のものだろう?」


「たくさん持ってきてるので、ちょっと分けても私達が食べる分は充分あるから平気です。ほら、どうぞ」


「いいの? わーい!」


「こ、こら! ちゃんとお礼を言いなさい!」


「おねーちゃんたち、ありがとー!」


「うん、どういたしまして」


 パンを受け取った兄妹は大喜び。早速、パンをおいしい、おいしいと言いながらむしゃむしゃ食べ始めた。途端に兄妹の表情は笑顔に塗り変わる。固形食を渡された時とは大違いだ。

 その横で、イアとドラクの2人は一緒に持ってきていたスープをコップの中に注いでいた。


「味はこのままでも問題ないだろうけど、冷めたままはなぁ。イア君、武器は無くてもあぶるくらいならできないかな?」


「おうよ、それくらいならいけそうだぜ。ええっと、そうだな……『エルフレイム・極小』!」


「そんな大雑把な詠唱で大丈夫かい⁉︎」


 と、協力しながらスープを火で炙って温めるイアとドラク。ドラクは心配していたけれど、イアは器用に炎を操って絶妙な加減でスープを温めていく。やがて湯気が立ち始めた頃に、エマさん達にコップを手渡した。

 兄妹は喜んで受け取ってくれたけど、エマさんは申し訳ないのかなかなか受け取ろうとしない。でも漂ってくるスープの香りと魅力に負けたらしく、やがておずおずとコップを受け取り、そしてスープを口に含むと、


「うっ……!」


「えっ、ど、どうしました⁉︎」


「やべっ、口に合わなかったか⁉︎ オレ達のとこの味付けじゃダメだったとか……」


 突如として口に手を当てて、ボロボロと涙を零すエマさん。もしかして不味かったのかと慌てる私達に、「違う……違うんだよ」と言いながら、エマさんは首を振って見せる。


「美味しいんだよ。こんな美味しいものを食べたのはいつぶりかね……いや、生まれてから初めてかもしれない。固形食が出回る前だって、こんなに美味しいものを食べたことがない。こんなに美味しいものをもらえて、あんた達には感謝しかないよ」


「エマさん……」


「ありがとうね。店の手伝いだけじゃなく、食べ物まで分けてくれて。お返しが水だけじゃ到底足りないだろうけど、せめてこのパンとスープ、大事にいただくよ」


 涙を拭いて、私達に笑顔を向けるエマさん。嬉しいと、表情は確かにその感情を私達に伝えているというのに……その姿はどこか痛々しさを感じさせてしまう。イオは、そんなエマさんをただ黙ってじっと見つめるのみだった。


 ……私は不意に振り返り、中央にそびえ立つカルロタワーを睨みつける。そこにいるであろう指導者への怒りが、いよいよ抑えきれなくなったために。

 苦しい想いをしているのはエマさんに限ったことじゃない。そんな貧民街の住民の暮らしを改善しようとしてないのはもちろんのこと、中央市街の妖精達にも仕事漬けの毎日を送らせて、その歪んだ意識を正そうともしない。カルディアは何から何までハリボテだらけだ。

 ここに来て、私は改めて確信する。



 ────この都市は確実に狂っている。そして、やはり私達がなんとかしなければいけない、と。

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