第16話 幻想の氷河山・前(2)
「氷河山にいる大精霊の名は『シルヴァート』。新月の大精霊だ。月の狂気を司り、幻術を得意としている」
幻術……。文字通り、幻を見せるってことか。
ありもしないものが見えたり、あるものが見えなくなったりするのは山を登るのにも支障が出ることだ。視覚という単純なことでも、これから行くところは過酷な環境下……厄介なのは考えるまでもない。
「氷河山って幻が見えるってことでも有名ですよね。あれって……」
「そう、シルヴァートがやってるってこと。それを乗り越えてあいつの元に辿り着ければ、妖精でも新月の時に問題なく魔法が使える加護を授ける」
「えっ。それってすごいことじゃない!」
オスクのその説明に、エメラが即座に反応する。
妖精の魔法の大半は太陽とか月、星の影響を受けやすい。例外もあるが、新月だと妖精の魔法は弱まったり使えなくなったりする。
そうならないよう、家なんかにはそれを防ぐ魔法具を各々であらかじめ用意しているのだが、外に出れば当然その影響を受けてしまう。そんな力があるなら便利なことは確かだ。
「だが、オレらは加護もらうために行くんじゃない。話を進めろ」
「ま、そうだな。あいつはその幻術と霧を組み合わせて、登ろうとする者を惑わしてくる。極力固まって動いた方が安全だろうさ」
……基本的に集団行動か。安全面からバラバラで行動するつもりは毛頭無かったし、その点は問題無さそうだな。
このぐらいで情報としては充分だろう。ここで立ち止まっている時間も惜しい。さっさと目的地に乗り込もう。
「あっ! みんなちょっといい?」
「どうしたの、ドラク?」
そうして出発しようとした時、不意に何故かドラクに呼び止められる。
オレらは何事かと全員の視線がドラクに集中する。だが、ドラク本人はなにやら話にくそうにもじもじしているばかり。
「なんだってんだ? 早くしてくれよ」
「ええっと、その……入山料、払ってもらえないかな?」
ドラクのその台詞にオスク以外の全員がずっこけた。
「入山料って……こんな状況で金取るのか⁉︎」
「だ、だってみんな山に入るから当然かな〜って」
「入山料……って、あのコインのことか?」
「……ああ。山に入る許可を出す対価として、あれをドラクに渡してくれってさ」
まだ料金ということをよくわかっていないオスクにドラクが言ったこと……氷河山に入るための対価を払って欲しいということをなんとか説明する。
オスクはその意味をようやく理解すると、みるみるうちに目を怒りで吊り上げた。
「なんだよ、それ⁉︎ お前の家のためでもあるのになんでそんな面倒なことしろってのさ‼︎」
「だ、だって僕の家でも生活費は必要だし……」
オスクに怒鳴られ、ドラクは気まずそうに指をつっつき合わせる。
……そう言われると断りにくい。状況は状況だが。
「まあ、案内してもらうわけだし、払おうよ」
「ごめん、ルージュさん……」
渋々ながらも人数分の入山料を払い、その場は落ち着いた。
普段の装備のままでは少々不安だったため、氷河山に入る前に防寒用の魔法具を買い足すことに。あんな氷だらけの山にそのまま入ったらこっちも即氷漬けだ。そのためにも魔法具は欠かせない。
オレらの手持ちでも購入できる値段の、数時間分の効果がある魔法具を身体に仕込んで準備完了。次はいよいよ氷河山へと向かう時だ。ふもとまでなら辿り着けるものの、問題はどうやって中に入るかだ。まだ結界は破壊出来ていない現状、まずは入れるようになるのが一つの関門だ。
昨日と変わらず、氷河山の前には透明なガラスの壁のような結界が行く手を塞いでいる。これを壊さない限り、氷河山に足を踏み入れることさえ叶わないんだ。
「話に聞いてた通り、進もうとしても外に押し出されてるみたいだね……。結界って、壊す手立てとかあるの?」
「妖精じゃ通用しないらしいから、オスクしかないが。それでも昨日ダメだったからな……」
「おいおい、鬼畜妖精。あれで僕が本気を出したと思っているのか? あれはあくまで様子見だ」
……と、余裕をかましたようにニヤッと笑ってみせるオスク。胸を張っていうその言葉は自信に満ちていて、弱気なオレら妖精とは正反対だ。
まあ、オスクならそう言うとは思っていたが。じゃなきゃ殴り込みなんてそもそも提案しないだろうし、ここまで来ることもしないだろう。
そうしてオスクは早速山の前に仁王立ちすると、目の前にあるであろう結界をキッと鋭く睨みつける。
「さあてと、ひっさびさに暴れるとしますかね……!」
オスクは腕をぐるんと回し、いつになく真剣な表情を見せる。……今までの飄々とした雰囲気が一瞬で殺気立ったものへと塗り替わる。本能的に危険を感じ取り、オレらは巻き込まれないようオスクと距離を取った。
オスクは結界を破壊するため、昨日と同じように魔力を溜めていた。ただその力は昨日の比ではなく、周囲の空気すら恐怖しているかのように揺らぐ程強まっている。
強力な闇の塊は次第に竜の形を成していく。オスクは力を限界まで高めると、声を張り上げた。
「覚悟しろ、シルヴァート。……発射っ‼︎」
魔力で作った竜は結界にめがけてブレスを吐き────その瞬間、ガシャンッ‼︎ とガラスが割れたような音が耳をつんざく。次の瞬間には土煙が舞い上がり、目を開けていられない。衝撃で起こった風圧に耐えながら、収まってきたのを見計らって山の周りの様子を確認。
……結界の破片だと思われるものが雪と一緒に降り注いでいる。どうやら成功したようだ。
「やったぜ! これで入れるな!」
「流石大精霊ね!」
「僕が本気を出せばこのくらいどうってことないっての。とにかくさっさと中に入れ! 時間食えばまた張られる!」
「……っ!」
オスクの言葉を聞いて、オレらは慌てて氷河山に向かって走り出す。やっと壊せたというのに、また結界を貼られて足止めを食らってはたまらない。とにかく全速力で、目の前にそびえる氷の山を目指した。




