第158話 ステップ・バイ・ステップ(1)
勉強会の翌日。私達はまた光の世界へと戻り、そこの学校で授業を受けていた。
3日前、先生達の頑張りのおかげで学校の落書きこそ落とすことはできたけど、見えない傷まではそう簡単に取り除けない。あの醜い赤い塗料が学舎から消えても、生徒の心にあるまたイタズラされるんじゃないかという不安は拭い切れていないのだろう。教室を包む空気が、どことなく重たかった。
「……っ、どうしたんだ、みんな? 嫌なことはあっただろうが、こんな時こそ明るくなきゃ駄目だろう。卒業まで残り少ない授業、元気よくいこうじゃないか!」
それを見兼ねたアルス先生が咄嗟に励ましの言葉をみんなにかけるけれど、生徒達はため息をついたり、うつむいたりであまり効果なし。アルス先生もそんな生徒達の反応に残念そうに目を伏せて、そのやるせない気持ちを抑えるかのように仕方なくといった様子で授業を再開する。
いつもなら少なからずある筈の私語も、今日は一切無いままで。不気味なほど静かな教室で先生の声だけが大きく響き渡り、淡々と授業が進んでいく。
「……なんかやだな。こういう空気」
「そうだね……」
私の前の席であるイアが、そんな重苦しい雰囲気に耐えかねたようで小声で話しかけてきた。
確かにこの学校はこじんまりとしていて生徒数も少ないために活気付いているとは言い難いけれど、それでも明るい生徒が多い。みんなも、こんな空気になることなんて本当は嫌な筈だ。
廃校にしないため、そんな生徒達を勇気付けるために私達主導で署名活動を始めてはいるけど、そうすぐには効果は表れない。自分達が卒業するまでに問題が解決するのか……それが不安で仕方ないのだろう。
「でも、まだ始めたばっかで名前書いてもらってない妖精は大勢いるよな? だから、諦めんのは早いよな?」
「うん。まだ2つの学校にしか署名の呼びかけをしてないから、当ては充分にある。ここでやめちゃったら全部が水の泡だもの。何があっても進むしかないよ」
「ああ。周りのやつら全員縮こまってよ……悪いのはイタズラした奴でこっちは何にも悪いことしてねえのに、こんなのおかしいって。貴族だからって好き勝手出来るなんて間違ってるぜ」
「当然だよ。このまま貴族の好き勝手になんかさせない。もう自分の気持ちに嘘はつかない。署名をするって言い出した私が、やろうって決めた私達がみんなの前に立って先導していかないと」
「おうよ! オレ達でやるって決めたんだ。貴族に一泡吹かせるために、放課後早速動こうぜ」
「うん……!」
クラスメート達は暗いけど、言い出しっぺの私達だけでも明るくこの困難を乗り切らなければと、イアと頷き合う。
まだ出来ることは沢山ある筈。署名の目標は万単位と途方もない数字だけど、立ち止まらなければ活路はきっと見えてくる筈。無理そうだからと立ち止まるんじゃなくて、必ず目標を達成するんだという気持ちで進み続ければ……きっと貴族にだって勝てる筈。
「こら、そこ。元気よくいこうとは言ったが、私語をしていいとは言ってないぞ」
「はえ⁉︎ す、すんません」
「ごめんなさい……」
……と、最後はちょっと先生に注意されてなんとなく締まらなくなってしまったのだけれど。
そして授業も終わり、放課後。終業を知らせる鐘の音が鳴り響く教室内でクラスメート達が各々ペースで帰り支度を済ませる中、私は今日光の世界の学校に来ているイアとエメラ、ルーザと集まっていた。
「おっし。とりあえずメンバーは揃ったな」
「うん! ごめんね、ルージュ。一昨日は任せきりにしちゃって。カーミラさんに聞いたけど、大変だったんでしょ?」
「いいの、みんな用事があったんだから仕方ないし。大変っていってもちょっと嫌なこと思い出しちゃったってだけだから」
「プラエステンティアでのことでしょ? それってちょっとどころじゃないんじゃ……」
「……いつかは、自分でケリをつけるから。私もやられっぱなしは嫌。今度は壊すってやり方じゃなくて、正攻法でいく。あいつらみたいに陰湿な方法じゃない、正面からもう好き勝手は出来ないって見せつけてやるの。それが、私の精一杯の仕返し」
「……っ、そっか」
私の気持ちを正直に伝えると、エメラは安心したように微笑む。
この署名であいつらになんでもかんでも思い通りにはいかない現実を突きつけることが出来れば、今まで散々引きずり続けてきたあいつらとの因縁に決着をつけられるかもしれないんだ。もう進むことに迷うことも、立ち止まることもしない。もちろん『あの時』のような、目に見えるもの全てを破壊し尽くすやり方じゃなくて、みんなの力を借りながら、正々堂々胸を張れる方法で。
そして気持ちの整理がついたその時は……あのお守りを、剣に結びつけてあるルーザから貰った包帯を手放そう。
「まあ、オレとしては旧校舎でのことも気になるんだが。なんか色々あったんだろ?」
「あ、うん。それについては今度時間ある時にゆっくり話すよ。本当、色々ありすぎてかなりの時間費やすと思うから」
「そういえばオスクもそんなこと言ってたな……。まあ、いい。それより今はどこで署名を集めるか、だ」
「そうだね。えっと……呼びかけるならやっぱり多くの妖精が集まる場所がいいのかな。あまり広くない場所の方が声掛けもしやすいけど……どこかいいとこあるかな」
「あ、じゃあわたしのカフェならどう? あそこならお客さんもそこそこ来るし。それに、常連さんなら顔見知りも多いから協力してくれる確率も高いよ!」
「おっ、いいんじゃねえか? 下手に慣れない場所に突っ込むより、慣れた場所の方がいいだろ」
「オレも異論はねえぞ」
「よし。じゃあ早速エメラのカフェに向かおう」
そうして行き先も決まり、私達もクラスメートの後に続く形で自分の荷物をまとめて教室を出て行く。もちろん、たくさんの署名用紙を腕に抱えながら。
やがて目的地に到着すると、店内はもちろんのこと、外のテラス席までお客さんがいて賑わっていた。人数がそこそこ多いだけに、これから呼びかけした時の効果にも期待が高まる。
そして、私達の先頭に立つエメラが慣れた動作でカフェの正面扉を開けに行く。
「ママ、ただいま!」
「あらエメラ、おかえり。どうしたの、今日はお手伝いは特に頼んでないでしょ?」
店内に入ると同時に、エメラはそこで接客していたエメラのお母さんに挨拶を済ませる。エメラは今日、署名に協力するためにカフェの仕事を外していたことを知っているお母さんは、当然不思議そうに首を傾げていた。
「あー、うん。今日はちょっと友達と用事があって一旦帰ってきただけだから」
「あら、そうなの。出かけるのは構わないけど、あんまり遅くならないようにね」
「はーい」
「あら、エメラちゃん。今日はお仕事お休みなの?」
「うん。ごめんなさい、せっかく来てくれたのに」
お母さんの言葉にエメラは適当に返事をすると、すぐ近くにいた常連と思わしき妖精に頭を下げる。そんなエメラにその妖精は首を振りながら「別にいいのよ」と笑顔を向け、その周りの妖精達もいつもありがとうという言葉をエメラにかけている。
常連の妖精が今日いるかどうかは正直賭けではあったけど、あの様子を見ると今日はどうやら運良く沢山の常連客が来ていたようだ。まだ署名の協力を得られたわけではないけど、出鼻を挫かれなかったことに私達3人でホッと息をつく。
「ねえ、エメラ。そろそろ用事を……」
「あ、そうだった。あのっ、ちょっとみなさんに聞いてほしいことがあるんです!」
「あら、なになに?」
ここまで来るのにエメラに任せっぱなしだったけれど、これから先は私達みんなの問題だ。せめて説明くらいは一緒にやらなくちゃ、と4人で協力しながら私達が置かれている状況を手に持っている署名用紙を見せつつ説明する。
私達が通う学校が廃校の危機に瀕していること。貴族から嫌がらせを受けていること。そして、それを食い止めるべく私達が署名活動をし始めたことを、全て。
やがてそれらのことを話し終えた途端、
「廃校⁉︎ 大変じゃない。もちろん協力するわ。その紙貸して!」
「えっ。あ、はい!」
「威張り散らしてる貴族に一矢報いろうってことだろ? なら喜んで協力させてくれ! あいつらいっつも偉そうでムカついてたし」
「うんうん、いつも頑張ってるエメラちゃんと友達のイア君のピンチとなれば助けないわけにはいかないね。ほらほら、あんたも手伝いな!」
「お、おう」
……と、常連客達はみんな当たり前のように署名に協力してくれた。そればかりか、近くにいた別のお客さん達にまで協力するよう呼びかけてくれて。エメラはもちろん、私達3人もその勢いに理解が追いつかず、ポカンとするばかり。
そして常連客に渡していた署名用紙が私達の元に戻って来た時……そこには多くの署名が、紙を埋め尽くすようにびっしりと書かれていた。
「こんなに……! ありがとうございます!」
「いいのよ〜、いつもお世話になってる恩返し。これくらいお安い御用よ」
「まだまだ数が必要なんだろ? 俺達の分だけじゃ少ないだろうけど、頑張れよ!」
「はい……!」
署名に協力するだけに留まらず、今いるお客さん全員に呼びかけまでしてくれた常連客達に私達は何回も頭を下げてお礼を言う。そんな常連客達の激励の言葉を受けながら、私達はカフェを後にすることに。
「……っしゃ! 良い線いったんじゃねえか、これ⁉︎」
「うん。えっと、今ので34人書いてもらったから……合計で124人分になったよ」
「とりあえず三桁まではいったな。第一の関門突破、ってとこか」
なるべく多くの署名を獲得出来ればとは思っていたけど……これは予想以上の成果だ。目標はこの百倍とまだまだな数字ではあるけど、それでも決して少なくない数の妖精達の協力を得られたのは大きなことだ。
そして、この結果を呼び込む要因となったものというのは、きっと。
「エメラがいつもカフェの仕事を頑張っていたからだろうね。協力してくれた常連さん達はそんなエメラの姿勢をちゃんと見てくれてたんだよ」
「ああ、日頃の行いってやつだぜ!」
「え、えへへ……そう、かな?」
私とイアの言葉を聞いてエメラは恥ずかしそうに、でもどこか得意げに微笑む。
あの常連客達は私達ほどあの学校に思い入れはないだろうし、置かれている状況の深刻さもどれだけ伝わったかは知る由もない。でも動機は様々だとしても、理不尽な境遇を覆したい、貴族の思い通りさせたくないという気持ちは同じなんじゃないかと、そう感じた。
「喜んでるところ悪いが、目標にはまだ遠いぞ。まだまだこれから、だろ?」
「うん。場所を変えて、また頑張ろう!」
「「おー!」」
拳を上に掲げ、私達はお互いの決意を再確認し合う。
署名活動は始めたばかり。さらに上を目指さなくちゃと、私達は次なる目的地を目指して駆け出していった。




