第156話 泣き止み、踏み出し、また一歩(2)
『とうちゃ〜く、なのですよぉ』
非常にのんびりとした声を合図に、私達はそれまでせかせかと動かしていた足をピタッと止める。
フランさんが案内した部屋も他の教室の例に漏れず、魔法書や魔法薬用の瓶などの残された物が散乱している部屋だった。けれど、明らかに他とは違う部分が一箇所ある。
「わっ、すごい! あんな大きな調合用の壺なんて初めて見た」
「本当だ……城でもあんな大きさ見たことない」
私もカーミラさんも、目の前に置いてある『それ』に釘付けになった。
カーミラさんのいう通り、フランさんに連れてこられた部屋に設置してあったのは、魔法薬の調合用の壺。それ自体は学校や城などに沢山備えてあって特に珍しいものでもないけれど、驚きなのはその大きさ。
普通、壺は大きくても精霊の腕で抱えられる程度のサイズなのだけど、ここにあるものはその倍以上はある。私とカーミラさんの体格じゃ、しゃがめば身体が中にすっぽりと収まってしまいそうなくらいに大きい。
ここは……調合術の授業を行なっていた教室なのかな?
壺もそうだけど、よく見たらここに置きっ放しになっている魔法書のほとんどが調合術や錬金術関連のもの。床に散乱している小瓶も、中身は空だけど貼られたラベルには薬草の名称が書かれているし。
それにしても……教材の大半は放置されたままだとは聞いていたけど、沢山の魔法書に加えてあんな大きくて珍しい壺まで置きっ放しだなんてちょっと勿体ないような。
『フランのお気に入りの場所なのですよ〜。ものがたっくさんごちゃごちゃぐちゃぐちゃで、囲まれるのが楽しいのですぅ』
「散らかってるのがいいとか理解に苦しむんだけど」
「ま、まあこの旧校舎を彷徨うしかないフランには楽しい遊び場なんじゃないかしら。それで、ご自慢の特技は披露してくれるのかしら?」
『もちろんなのですよぉ。そぉですね〜、どなたか、お薬持ってませんですかぁ?』
「え、薬? あるにはあるけど……」
フランさんの言葉に思わず首を傾げる。
薬を扱うということは、フランさんの特技というのはもしかして調合術なのだろうか。でも、それなら要求するのはその原料となる薬草や生き物の筈。なのに完成品である薬を要求するとは、一体どういうことなんだろう?
疑問に思いつつも、フランさんに付き合うと言い出したのはこっちだ。日没までの時間は残り僅か。時間切れにならない内に早く済ませてしまおうと、私は早速カバンをゴソゴソと弄る。
確か、シノノメ公国に向かう前に買いだめしておいた傷薬がまだいくつか残っていたと思うのだけど。
「あ、あった。これでいいの?」
『はぁい、ありがとうございますですよ。で〜は〜……』
やがて目的のものを持てるだけ取り出したところで、フランさんは小瓶をその中から2つだけ受け取る……というよりは自分の霊力でふわりと浮き上がらせる。そして、目の前の大きな壺を見据えたかと思うと、
『ぽ〜い』
薬を瓶ごと壺に投げ込み、
『か〜ら〜の〜……ばっちゃ〜ん!』
「ええっ⁉︎」
フランさんは何のためらいもなく、頭から壺の中に飛び込んでしまった。
これには私もカーミラさんもびっくりして、オスクも予想だにしないことに少々目を見開く。慌てて壺に駆け寄るものの、その中にフランさんの姿はなく、真っ暗な闇が広がるばかり。
「ちょ、ちょっとフラン、大丈夫なの⁉︎」
『ご心配なく、なのですよぉ。フランは壺にくっついただけですので〜』
「くっついたって、憑依したってこと?」
『そうですよ〜。ではご覧くださぁい、ぐるぐるしますで〜す!』
壺からそんなフランさんの言葉が聞こえて来たかと思うと、壺の中が一瞬にして不気味な紫の炎で満たされる。いきなりの怪奇現象に私とカーミラさんはまたもやびっくりして、駆け寄った時に壺に触れていた手を反射的に放してしまった。
手を放してからもその不気味な炎が消えることはなく、寧ろその勢いを増した。でも、不思議と熱は一切感じなくて……そこで炎をよく見てみると、フランさんを追っていた時に感じていた気配と全く同じだったことに気付く。
どうやらこの炎はフランさんそのものらしい。姿形が変わったのは壺に乗り移った影響なのかな?
そんなことを考えている内に、フランさんの宣言通り炎はぐるぐると回るように燃え上がる。炎が時折千切れて辺りを不気味に照らし出し、壺がガタガタと揺れまくるその光景は、予想していた調合術というよりはもっと別の……錬金術の類よりも恐ろしいものにしか見えない。
中に入っているのはただの傷薬なんだけど、本当に大丈夫なのかな、これ……?
『かんせ〜い、なのですぅ!』
……が、不安が頂点に達するギリギリなところで炎はさっきまでの光景が嘘のように鎮火する。その様子にホッとしていたところで、ボワンッと煙のように中からフランさんが元の人型の姿を取って私達の前に現れた。
『久々ですがぁ、悪くない仕上がりなのですぅ。さあ、どうぞどうぞ〜』
「う、うん」
まださっきの光景が目に焼き付いているために、その恐怖から若干小刻みに震える手でフランさんが差し出してきた完成品を受け取る。
見た目はフランさんに渡す前と差異はないと思うのだけど……受け取った完成品は何故か小瓶一つ分の量。渡した薬は2つだというのに、これは一体どういうことなのだろう?
「あら? もう半分はどこに行っちゃったのかしら」
『ごめんなさいですよ〜、フランのまぜまぜはぐるぐるしてる内に余計なところはその間に使っちゃうので〜。でもぉ、大事な部分はちゃんと残ってますですからご安心を〜!』
「どれどれ……」
兎にも角にもとりあえずフランさんの成果を確かめてみようと、私は早速小瓶の栓を開ける。その途端、薬のツンとした匂いが鼻をついた。
瓶のガラス越しではよくわからなかったけど、空けてみるとその差が浮き彫りになる。色が、圧倒的に違うんだ。元の薬は素材の薬草の濁りがはっきり残っていたのだけれど、今の薬はそれがまるで無くなっていて綺麗に透き通っている。液体の中にキラキラ光る粒が無数に入ってもいるようにも見えて、とても元々が安物の薬だとは思えない。
『貰ったお薬の倍以上の効果にはなりましたですよ〜。擦り傷なら一瞬なのですぅ!」
「え、そんなに⁉︎ 2つ混ぜて2倍になるならまだ分かるけど、それ以上ってこと?」
『なのですよ〜。フラン、何回もまぜまぜしていたからお薬には詳しいのです。嘘じゃないですよぉ?』
フランさんの言葉に私とカーミラさんは素直に驚き、無関心を貫いていたオスクも興味をそそられたように小瓶を凝視してる。
調合に詳しいフリードに見てもらえば効果がはっきり分かるかもだけど、確かに素人の私でも違いがすぐに分かった程の仕上がりだ。だから、恐らくフランさんの言葉に間違いは無い筈。フランさんの特技が遊び程度のものだと思っていた私達は、その凄さに余計に度肝を抜かれた。
『元のお薬は良いところをちゃんと使えてないのですよ〜。それを私が引き出すお手伝いをしてたのです。一つだけじゃ量がちょっぴり少ないので良いところだけを残すのは難しいので2つ使って〜、ついでに私の力もまぜまぜして強くしちゃうのですぅ』
「あ、それで2つ以上必要だったの」
『なのですよぉ。お薬だけじゃなくてなんでもいけますよ〜。魔法具なら力増し増ししたりぃ、武器なら一緒にまぜまぜしたものの力を直接くっつけちゃうのです〜」
「そこまでいくと調合術とか錬金術とか通り越して、最早別の技ね……」
「ふーん。創造主サマが認めるだけはあるってことか」
カーミラさんも、始めは付き合うつもりは無いと言っていたオスクでさえもフランさんの技をすっかり関心したように褒めていた。
創造主が私達の支えになると言っていただけのことはある。このフランさんの特技を生かせば、今まで高くて手が出せなかった強力な薬を手に入れたり、武器や魔法具の強化も出来るということだから。フランさんの特技はこれから『滅び』との戦いでこちらが優位に立つためのツールとなり得るんだ。
『ただこれぇ、ずっとぐるぐるしてると目が回っちゃうのですよぉ〜。一度に何回も何回もやるのは難しいのです……』
「要は回数制限があるってことね。便利な分、納得いくところだけれど」
『久しぶりなので今のだけでもちょっと疲れてしまいましたですが、今日はもう一回ならだいじょぶなのですよ〜。試してみますかぁ?』
「へえ、じゃあ遠慮なく利用させてもらうとしますか」
「オスク……なんか楽しんでない?」
「気のせいっしょ」
後のことは知らん顔すると言っていたのに、何故だかフランさんの提案にノリノリなオスク。そんなオスクの様子になんとなく不安を感じるものの……とにかく、フランさんの申し出は有り難いことだ。せっかくならと私は再びカバンの中に手を突っ込んで使えそうなものを取り出していく。
さっきのものとは別の薬。廃坑から持って帰っていたルビーの原石のかけら。魔導書と、王笏……は、やめておこう。この他に使えそうなものは……とさらに手を深く突っ込んでみると、指先にコツンと何かが当たる。
なんだろう、と思いながら取り出してみると……




