第154話 灰かぶり姫は挫けない(3)
しばらく、私は顔を上げることができなかった。私が過去にしでかしたことを聞いてカーミラさんはどう思っているのか、それを確かめたくなかったから。引かれてるんじゃないか……そう思うと目も合わせられなくなってしまう。
……でも、その予想に反してカーミラさんは握っていた私の手を両手で包み込んでくれた。
「え……」
「ルージュは悪くないわ。おかしいだとか、変だとかも思わない。そりゃあ、仕返しが大分派手というかクレイジーだけど、寧ろ当然の報いよ。そこまでしておいて、何の反撃も無いことの方が異常だったのよ」
「……っ」
「ルージュは我慢しすぎて、それが爆発しちゃっただけなんだわ。前にあなたの『裏』と対面した時、どうしてああも憎んでいるのか疑問だったけど……それなら仕方ないって思った。いつも周りのことを優先するルージュが助けを乞う程までに追い詰められて、知らん顔されたんだから。……あたしがその場にいられたら良かったのに」
その言葉に私は目を見開く。かけられた言葉が、全く予想しなかったものだったから。
「表も裏も、変わらないのね。性格は違っても、傷付いたことに悲しんでて……その仕返しをしたくなったってことでしょ? ちょっと気が触れてはいるけど、同じ心を持ってるんだわ。……だから、これからはあたし達が傍にいる。もう一人きりになんてさせないんだから」
「まーったく。あれだけ妹に言われておいて、お前は抱え込みすぎなんだよ。もっと妹を見習えば? あの鬼畜妖精ときたら思ったこと包み隠さずすぐに口走るわ、すぐ腹パンかましてくるわで、ストレス発散の標的にされるこっちとしては迷惑もいいとこだってのに」
「それとこれとは話が別なんじゃないかしら……。でも、オスクさんの言う通りよ。抱えこまないで、周りを頼って。そしていつかこの活動であなたをいじめた貴族を見返してやりましょ!」
「……あ」
……励まされるのは何回目になるだろう。もう何度も、落ち込む度に友達からもう大丈夫だからと、背中を支えられてきた気がする。何かと後ろ向きに物事を考えてしまう私は、みんなに助けてもらってばっかりだ。
なら、私がすべきことは────改めて決意し、カーミラさんの言葉に深くうなずく。
「私も、やられっぱなしじゃいられないから。多分、私が転校してからもいじめ自体は無くなってない筈。それを止めるためにも、私と同じ目に遭う生徒を増やさないためにも、絶対署名を目標の数まで集める」
「そうこなくちゃ。お姫様だって強いってとこ、見せなくちゃね!」
「……うん!」
そう、王女だからって後ろに下がって守られてばかりなのは嫌だ。ならこの逆境に立ち向かって、被ったトラウマという灰を払い除けて見せる。どれだけ貶されようとも、王女として胸を張って、貴族だからって好き勝手出来ないことを思い知らせて見せる。
今の『裏』ではカーミラさんの言葉を「偽善だ」とか、「口ではどうとでも言える」とか言って簡単に切り捨ててしまうのだろうけど……いつか、分かり合えるといいな。
……あれ。なんで私、言葉を交わしたこともない、直接対面したこともない『裏』がそう言うってわかったんだろう?
「おいおい。決意を固めるのは結構だけど、それよかやることあるっしょ? だんだん冷え込んできたんだけど」
「あっ、うん!」
そうだった。気温が急激に下がる日没までに、旧校舎の幽霊の噂を確かめなければ。オスクの指摘で考え込もうとする頭を切り替えて、目の前のことに集中する。
最初は歩きながら話をしていたものの、話をするのに夢中になって足がいつの間にか止まってしまっていた。その場に留まっていると身体も冷えてくる。身体を少しでも温めるためにも、私達は旧校舎のさらに奥を目指していった。
「とはいったものの……さっきから全然幽霊の気配なんてしないわね。噂は嘘だったのかしら?」
「嘘なら嘘だって、ウィリアムに報告しないとだけどね」
そうして再び進み始めたのは良いのだけど……カーミラさんが言ったように、旧校舎の中を歩いて回り始めてから結構経つというのに幽霊が潜んでいそうな雰囲気は微塵も感じられない。まだ旧校舎を全て回ったわけではないけれど、それでも半分は既に探索済み。ここまできて何も異変が無いと、嘘の可能性の方が高まってしまう。
日没まであと30分もない。ここで切り上げるべきかな……?
「……そうでもないみたいだけど。ほら、見てみなって」
「え? ……あっ!」
思わず、声を上げた。
オスクが顎をしゃくった先にあった光景。多分、残されていたと思われる教材らしき本が一冊、パラパラとひとりでにページがめくれていく様子が目に飛び込んできたから。
風じゃない。そもそもこの旧校舎の窓は、私達が見た限りでは全て鍵がかけられていた。隙間風という線も考えたけど、老朽化が進んでいるとはいっても建物自体は頑丈で、風が入り込むような隙間も見られない。自然に起こったとは思えない……明らかに見えない『何か』によって動かされていた。
「こういうのなんて言ったかしら。確かポル……なんとかとか聞いたような」
「ポルターガイスト」
「そう、それ」
「しっかしまあ、ポルターガイストがこうして起こってるとなると」
「うん……噂の信憑性が一気に高くなる」
こうして実際に怪奇現象が目の前で発生されると、いよいよ噂を信じなければならなくなる。今まで可能性で収まっていたものが、確信へと塗り替えられて。ウィリアムにも、噂は真っ赤な嘘だったと報告できなくなるということだ。
もちろん、ここで帰る選択肢も潰えた。私達は幽霊の噂の真相を確かめるべく、まだ不自然にページがめくれ続ける本へと駆け寄る。……が、本の目の前に辿り着いた瞬間、その動きはピタリと収まってしまった。
「あ、あら? 目の前に来た途端、動かなくなっちゃった」
「まんまと逃げられたってことじゃん。ルージュ、なんか気配とか掴めないわけ?」
「うーん……なんか残留思念みたいなのが残ってるけど、微弱すぎて。追うにしても途切れ途切れでちゃんと捕まえられるかわからないよ?」
「正確さなんてこの際求めてないから。とっとと済ませてさっさと帰る!」
「う、うん!」
オスクの勢いに押されて反射的に頷いてしまった。
でもその通りだ。ここであれこれ考えていても仕方ない。やっと見つけた幽霊の手掛かり、ここで捕まえて生徒会に良い報告を持ち帰るためにも早く追いかけないと。
精神を研ぎ澄ませ、本にまだ纏わり付いている残留思念を視認し、辿っていく。動いてはいるけど、スピード自体は遅い。これなら充分追いつける。そう思いながら、私が先頭に立って2人を先導していく形で幽霊と思しき気配を追っていった。
だけどこれが廊下を駆け、いくつかの教室を通り過ぎ、階段を駆け上って……と、予想以上の忙しさで。カンテラ魔法で照らしてはいるものの、お世辞にも見通しがいいとはいえないこの状況だと自分が今どこにいるのかもわからず、方向感覚も狂ってくる。
幽霊うんぬんより迷ってここから出られなくなることの方が怖い。ちゃんと帰れるかな……?
「……あっ」
「ん、どうした?」
「気配が、この部屋で止まった。さっきよりもはっきり感じ取れる……この近くに潜んでる……!」
私がそう知らせると、2人も緊張感が高まったようだった。カーミラさんは幽霊が出てきた時にいつでも対応できるように身構え、オスクも虚空から引きずり出した大剣の柄を握る。
幽霊がこちらに危害を加えてくるかもしれないというのを考慮しての判断なのだろう。私も、オスクに習って剣に手を掛けながら警戒を強める。
じりじりと、ゆっくりと『それ』は迫ってくる。ここには確実に何かがいる……。
……緊張で鼓動が早まるのを感じる。凍りつくくらい気温は低いというのに、頰には汗がつたって。それが流れ、零れ落ちそうになったその瞬間。
「────そこかっ!」
オスクが不意に大剣で暗闇を引き裂く。その途端に、
『きゃあ〜』
……なんとも、間抜けな悲鳴が響く。
……。
…………。
「……え?」
今までの緊張感はどこへやら。あまりにも気の抜けた声だったものだから、私もカーミラさんも何が起こったのか理解が追い付かず、目をパチクリさせる。
とりあえず声の正体を確認しようとオスクが斬りつけた方向へカンテラを向けると……そこには半透明の、薄汚れた黒い布がゆらゆらと揺れていた。
それが何なのかを知るためにさらにカンテラをその影に近づけてみると、そこにはあちこち引っ掛けたようにほつれ放題で伸び放題の紫の髪を持つ、ボロ布を集めて無理矢理ドレスの形にしたような服を纏っている人間体の女性がいた。
でも、ただの女性じゃない。その身体も、髪も、服も、全てが半透明で向こうの景色が透けて見えるし、重力から切り離されたようにふわふわと全身が蜃気楼のように揺らいでいて。これは、どう見ても……
『あぶなぁ〜い。危うく〜、真っ二つになるとこでした〜』
「ええっと。このヒトは……? いえ、ヒトじゃなくて。えっと」
『ん〜? あなた方は〜……』
そこで突然ギョロリと半透明な、それでも確かな不気味さを湛えた暗い瞳が私達の方へと向く。いきなりのことにギョッとする私達に構わず、その目は私達の全身を舐めるように見つめてきて……しばらくすると、それはふにゃりと弓形になった。
『わぁお。久々のぉ、お客様〜。特別サービスぅ、全身全霊で驚かしちゃいましょお』
「えっ、えっ?」
『それでは早速〜。う〜ら〜め〜し〜……』
半透明の腕が、急に振り上げられる。そして固まる私達に向かって倒れこもうとする女性は、
「────悪霊退散!」
『きゃうんっ⁉︎』
……オスク渾身のデコピンによって退治された。




