第152話 小さき反逆者(1)
「……よし、今日はこれで終わり! 今朝の指示の通り、お前達は早く学校の外に出るんだぞ!」
「あっ……!」
帰りのホームルームを終えるなり、先生はすぐに教室を飛び出して行ってしまった。咄嗟に呼び止めようとしたけれど間に合わず、伸ばした腕が行き場を失って虚空を仰ぐ。
姉さんに今回のことを伝えるべきか、先生と相談しておきたかったんだけどな……。そしたら、掃除道具の費用くらいはほんの僅かでも融通することができるかもしれないと思ったのに。
まあ、先生も忙しいだろうし、仕方ないか。話なら明日しても遅くはないし、色々立て込んでいる今は邪魔しちゃいけない。言われた通り、掃除の障害にならないようにさっさと帰る支度を済ませてしまおう。
「つってもよ、これからどうするよ? このまま真っ直ぐ帰んのもなんかシャクっつうか……」
「わかる。なんか今のまま帰ったら貴族に降参しちゃったみたいで嫌だもん」
「フン……無謀なことこの上ない。敵は権力者なのだろう? そのような相手に貴様ら平民が数人集まったところで何になる。ましてや、貴様らのような子供が」
「ぐぬぬ……」
レオンにそうバッサリと言い切られ、イアとエメラは悔しそうに拳を握りしめる。
でも、言い方はキツいけどレオンの言ってることは正しい。相手は貴族、勢いに任せて突っ込んだところで返り討ちに遭うだけ。魔物のように単なる力だけで敵う相手じゃない……対抗できるような手段も無いし、今のままではどうすることも出来ないんだ。
私の王女という身分を利用することは後に騒がれるのが面倒だからなるべくしたくない。あくまで一般妖精、もしくは精霊としてみんなと一緒に戦いたいけど……私達生徒だけで、貴族に対抗できる手段が果たしてあるのだろうか。
「まあまあ、そうカリカリしてばかりじゃ身体に悪いわ。嫌なことがあった後こそ気分転換してリフレッシュしなきゃ。例えば……」
「例えば?」
「ショッピングとか!」
「また⁉︎」
カーミラさんからされた提案に、思わず反射的にそう言ってしまった。
だって、いくら新学期が始まったとはいえ、私達がシノノメ公国から戻ってきたのはほんの2日前。その時に私達はそれぞれお土産を買ってきているけれど、特にカーミラさんの浪費ぶりは凄まじい。モミジさんから借りるだけだった筈の高級な着物を、カーミラさんは私達の中で唯一返すことなく、購入してきてしまったのだから。
そんな確実に軽くなっているであろう財布でまた買い物をして……大丈夫なのかな?
「品物見るだけならタダでしょ? それに、使っちゃった分のお金はエメラのカフェで働いて取り戻すから大丈夫!」
「取り返すのに毎日働いたとしても、絶対数ヶ月は要すると思うけど……」
「このっ、吸血鬼の在り方にどこまでも反するばかりか、後先考えず散財するとは。貴様にはさらなる修練が必要なようだな……!」
「い、いいでしょ、ちょっと前までお父様のお世話に必死でお買い物なんてロクに楽しめなかったんだから! 『滅び』のことは一旦置いておいて、ちょっとは今の自由な時間を堪能したっていいじゃない!」
「あ。ならわたし、良い場所知ってる!」
元気よく手を挙げながら、そう言ったのはエメラ。いつの間にか買い物に行くことが決定されていることに苦笑いする私を他所に、エメラは早速その『良い場所』を紹介する。
なんでも最近、王都に新しい雑貨店ができたらしいのだけど、エメラが言うには品揃えがすごく豊富なのだそうで。アクセサリーやバッグなどの小物はもちろん、魔法具も扱っているのに加えて、魔法薬とその材料となる薬草や調合用の道具まで幅広く揃っているとのこと。
安い分、魔法具と魔法薬の効果は然程強くはないものの、どれも品質は良いらしい。それに、お菓子も置いてあってちょっとした休憩場所としても好評みたいだ。
「それに、本もいくつかあるって聞いたよ」
「……っ!」
「ふふっ。やっぱりルージュ、本には食い付いた。あっ、でも……」
「ん、どうした?」
「今日、カフェに団体のお客さんが来るからママに学校終わったら手伝ってって、言われてるんだった……」
たった今思い出したらしいその事情に、エメラはがっくりと肩を落とした。
単なる野暮用であればエメラも一緒に買い物に行ったんだろうけれど、カフェの仕事となれば話は別だ。しかも今日に限って来るお客さんは大勢いるなんて。それを聞いたカーミラさんは反射的に「え!」と驚きの声を上げる。
「大変じゃない! じゃあ、あたしもお買い物は止めて手伝いに行った方がいいかしら?」
「ううん、注文は全部予約で受けてたから仕込みはバッチリだし、後は盛り付けるとかのちょっとした作業をしてから、配膳するだけなの。こっちは大丈夫だから、カーミラさんは安心してお買い物楽しんできて」
「でも……エメラだけ仲間外れなんて」
カーミラさんの言う通りだ。さっきまでエメラだって買い物に行く気満々だったというのに。
買い物することに賛成はしていなかった私だけど、反対もしていない。みんなと少々寄り道することは楽しいだろうから、行くと決まったら付き合うつもりでいたし……それなのにエメラだけ置いてけぼりじゃあ可哀想だ。
でも、エメラは首を絶対に縦に振らなかった。カフェの看板娘という立場を何よりも大切に思っていて、その仕事にいつも一生懸命なエメラにとってカフェの仕事を放り出すのは論外中の論外なのだろう。
「いいの、雑貨屋ならいつでも行けるし。それに、雑貨屋の後にみんなにカフェに来てもらえばそれで満足だから。寧ろ行ってもらわなきゃ、わたしのせいでみんなの楽しみ邪魔しちゃったみたいで気分悪い!」
「そこまで言われると断りにくいな……。でもよ、ホントにいいのか? エメラが一番楽しみにしてたっぽいのに」
「いいの、いいの。その代わり、カフェに来た時に感想聞かせて。その話で行く前の予習して、買うもの目星付けとくから!」
「うーん、わかったわ。あたしもショッピングから戻ったらすぐに手伝うわね」
そんな約束を交わした後に私達はエメラと一旦別れて、王都への道をみんなと歩いて行った。
オスクは買い物は別にどうでもいいらしいけれど、「どうせやることなくて暇だし」という理由で付いてきて、レオンも「失格吸血鬼がこれ以上散財しないよう監視しておく」という訳で同行することに。
オスクとレオンも口ではああ言うけれど、屋敷で一人きりになるのは寂しいんだろう。カーミラさんも同じことを思ったようで、2人で顔を見合わせてこっそり笑った。
「……っと、この店か」
エメラから得た情報を頼りに歩いた先で見つけたのは、木造の真新しい建物。茶色の木で造られた建物には赤い日焼けが付いていて、少々古風な雰囲気を纏っていた。その近くには色とりどりのの花が咲く花壇が設置されていて華やかだし、扉はガラス窓付きで開放感がある。
ちょっとした休憩場所という話の通り、外にはテラス席もあって雑貨屋とカフェを組み合わせたような外観だった。
「新しくできたって話の通り、綺麗な建物ね」
「お前らのボロっちい学校とは大違いじゃん。まさに天と地の差だね」
「大きなお世話! いいから行こっ」
あからさまに馬鹿にしてくるオスクの言葉に反論しつつ、私は雑貨屋の扉を開く。途端に、扉に付けられたお客が来たことを知らせるベルがチリンチリンと鳴った。
「いらっしゃいま……っ!」
「……ん?」
店にぞろぞろと入った瞬間、接客のためにかけられる筈だったお決まりの台詞が何故か不自然に途切れた。
何かマズいものでも見たような反応だ。一体どうしたというのだろう、とその声を発したらしい男の店員妖精を見てみたけれど……私達に対して顔を背後に向けているせいで、その人相を確認することは叶わなかった。
あれ? でもあの後ろ姿、どこかで見たような……。
「わっ、すごーい! 聞いてた通り、品揃えが豊富ね!」
が、他のみんなは店員妖精の声は特に気にならなかったらしい。カーミラさんなんて、店に所狭しと並べられている数々の品物を前にはしゃぎ回っている。
「おお、すげ。薬がいっぱいでどんな効果あんのか全く分かんねえ」
「ラベル見なっての、ご丁寧に一つ一つ書いてあんだし。まーでも、テーブルだけに留まらずに壁も床も品でいっぱいとはね。こんだけあると流石に窮屈というか」
「全くだ……。こんな、店中に乱雑に物を散らかすなど理解に苦しむ」
「雑貨屋ってどこもこんな感じよ? レオンにはこれなんかどうかしら。あなたの大好きな血の色をしたキャンディーとか!」
「……拒否する。色だけで味は甘いのだろうが。スカーレットベリー味とあるぞ」
「えー、いいじゃない。美味しいわよ、苺」
店の品物を見ながら、みんなそれぞれ褒め言葉や愚痴を口にする。レオンは慣れてない雑貨屋にぶつぶつと文句垂れているけれど、なんだかんだリラックスしているようで、いつもより眉間のシワが緩んでいた。
店員のことは気になるけど……あまりジロジロ見るのも失礼か。私もこの店の本が気になってたし、早速見てみよう。
そう気持ちを切り替えて店の角に設置してある本棚を覗いてみると、かなりの数の本がそこにはあった。小説や伝記、哲学書から魔導書などなんでもあり。品揃えが豊富とは聞いていたけど、本もここまであるとは思わず素直に驚いた。
何にせよ、本が目当てでここに来た私にとって数多く揃えてあるのは嬉しいことだ。何か面白そうなの無いかな、と本を一通り見渡してみると……ある一冊の本の背表紙のタイトルが目に留まった。
「あ、これ初めて見る剣の指南書だ」
「ん、それ買うのか?」
「うん。少しでも強くなるためにこういうのはたくさん見ておきたいから」
「ホント、ルージュってあれだよな〜。えーと、なんだっけ……ホンノムシとかいうやつ」
「本の虫って……まあ、否定しないけど」
なんだかイアにからかわれているように感じてちょっとムッとするけど、まだ見ぬ本の魅力には勝てなかった。決断が鈍らない内にさっさと買ってしまおうと、私は本を抱えてレジまで持っていく。
「すみません、これください」
「……」
「……? あの〜」
レジのカウンターにいる店員妖精に声をかけてみたのだけれど、何故か返事がない。聞こえなかったかな、と思って再度話しかけてみるけど、やっぱり反応無し。しかも、さっきみたいに顔を背後に向けているだけならまだしも、今はしゃがみ込んでしまっているようでカウンター越しでは姿がすっかり見えなくなってしまっている。
もしかして具合悪いんじゃ……! と心配になってカウンターに身を乗り出して見ると、やっぱり店員の妖精には見覚えがあった。いや、見覚えのあるどころじゃない。だってその妖精はさっきまで私達の前にいた……
「せ、先生⁉︎ どうしてここに!」
「や、やあ。さっきぶりだな、ルジェリア」
私達の担任、アルス先生が何故かエプロンを着けて雑貨屋の店員をしていた。




