第151話 苦難は止まることを知らず(2)
「だー、もう! 新学期初っ端に大掃除やらされるとか聞いてねえよ!」
「しょうがないよ……。ここまで酷かったこと今まで無かったし」
勘弁してくれ、とでも言いたげに机に突っ伏したのはイアだ。相当不愉快だったらしく、力任せに行ったそれはバタンッと派手な音を立てた。
エメラも、他の生徒もリアクションはそれぞれだけど、気分が落ち込んでいるのは全員同じだった。ようやく迎えた新学期、明るく行われる筈だった数週間ぶりのクラスメートとの再会は、今朝の事件のせいでみんなの表情に暗い影を落とされることとなった。
「ねえ……その。ああいうのって今までにもあったの? あんな、学校に落書きなんて」
「……うん。こう言っちゃあれだけど、ああいうイタズラはこの学校、慣れっこだから。だけど、あそこまで酷いのは初めて」
落ち込む私達を気遣ってくれたのだろう、遠慮がちにそう聞いてきたカーミラさんに私はそう返した。
落書きされることは何度かあった。まだぴったり一年もこの学校に通ってない私でも経験したのは一度きりじゃない。でも、今回は規模が違った。
今までの落書きは精々、壁の一角にやられていた程度。近づいてようやく気付けるくらいのものだった。だけど、今回のはほぼ校舎全体。壁だろうが、屋根だろうが、窓だろうが御構い無し。掃除はしたけれど、ガラスにはまだ薄っすら赤い塗料が残ったままだし、壁の木にも塗料が染み込んでしまっているのが現状だ。
慣れたとはいえ、許されることじゃない。やってる側はイタズラや嫌がらせのつもりでも、これは立派な犯罪だ。それに、ただ乱雑に塗料を建物にぶつけるだけでは飽き足らず、『ナクナレ』や『ツブレロ』だなんて……。
この学校が、ここの生徒達が一体何をしたというのだろう。
「全く、陰湿なこった。妖精ってのはあんなくっだらない憂さ晴らしで自分が優位だと思い込みたいわけ? ……って、僕の周りも大概だったか」
「本当、こんなの酷すぎるわ。それに、書かれていたあの文字とか……どういうこと?」
「あ、それはこの学校が廃校になるかもしれないって話があるからだと思う。それと、犯人についても今回のことで見当がついた」
「えっ、嘘! ルージュ、犯人わかったの⁉︎」
「うん……正直、わかりたくなかったけどね。内容でピンときた」
驚くエメラに、私は迷うことなくうなずいて見せる。あの落書きの内容で、嫌でも犯人がわかってしまった。
今まで、落書きの犯人が一体誰なのかは一切掴めないままだった。目撃情報も、この学校に監視用の魔法具も無かったのが主な原因。
だけど、あの文字……あれはこの学校が廃校になるかもしれないことを知ってるような内容だ。でも、この学校の関係者以外で廃校の話を知っている人物はかなり限られている。女王である姉さんと、その側近の王城兵、その他は……
「残りは一部の上級貴族しかいないの。貴族の中にはここが廃校になることを望んでいた声もあったから、可能性はかなり高い。落書きだなんて、貴族のイメージと一番結び付かなさそうなことを敢えてすることでカモフラージュするつもりだったんだろうけど……内容が裏目に出たってこと」
「クソッ、あいつらまだ好き勝手なこと言ってやがんのかよ……」
「んー? でもさ、その元凶らしいテオなんとかとかいう馬鹿は前に捕まえたじゃん。まだ残党がいたっていうか、なんでこんなボッロいとこ壊すのにそいつらそこまでこだわんのさ」
「うーん……噂で聞いただけだから、私も詳しくは知らないんだけど」
廃校になるという話は姉さんから聞いた時に、もう一つ耳にした情報がある。
それは、この学校の土地を使って貴族達が何らかの娯楽施設を造ろうとしているということ。この学校は古いけど、土地はそこそこ広い。校庭の代わりとして使っている周辺の森も合わせれば、私の屋敷と匹敵するくらいの面積となる。
王都郊外なために騒音も少ないし、辺境の地といっても差し支えないくらいの立地条件ということも手伝って、不審者の目に留まりにくくて比較的安全。この学校は不運なことに、貴族にとって都合が良い環境にあるという訳だ。
「そんなぁ……自分達が贅沢したいだけでわたし達の学校が狙われてるだなんて」
「……低俗なものだな。貴族とは名ばかりの痴れ者共が。何故裁かない」
「無茶言わないの、レオン。今まで犯人が誰かも全然情報が無かったんでしょ? そんなのをどう裁こうっていうのよ。それにここ、古くても建て直せない時点で警備にだってお金を満足に割けられないこともすぐわかることじゃない」
「フン……」
カーミラさんのごもっともな言葉に、流石のレオンも言い返せずに黙ってしまう。
お金も無いし、落書きの犯人の身分が判明しただけで個人の特定までには至ってない。このままじゃまた落書きされるか、制裁が無いのをいいことにもっと酷い嫌がらせをされる可能性も否定出来ない。
どうしたらいいんだろう……そう、エメラとイアとで頭を抱えていた時、不意にレオンが「ならば、」と声を上げる。
「僕が使役するコウモリを一匹、ここに忍ばせておけばいい。それならばいいだろう」
「えっ。いいのか、わざわざそんなことしてもらっちゃってよ?」
「その程度は軽い。犯人を見つけ次第、コウモリを介して僕が直々に制裁を下せばいいだけのこと。監視と制裁を同時にできる。貴様らにはこの上なく得のある提案だと思うのだが」
「う、うん。そうかもしれないけど。でもレオン……制裁ってどうするつもり? できれば穏便に解決したいんだけど……」
「他の領域に手を出す輩など、その血と臓物を持って償わせるのが妥当。首から掻っ捌かれても文句はあるまい」
「穏便に、って言ったよ⁉︎」
駄目だこりゃ。穏便の「お」の字も掠ってない。レオンが手を貸そうとしてくれている気持ちは有り難いけど、やり方が物騒すぎる。それじゃあ制裁を通り越して、最早処刑だ。
賛成してないのは周りも同様だ。やれやれと肩をすくめてるオスクはともかく、他のみんなは揃って口をあんぐりと開けたまま、呆然としちゃってるし。
「何故そこまで驚く? どんなものであろうと、他人のものに手を出すことには相応の覚悟があり、どんな罰を下されようがそれを承知の上での行いだと見なされる。吸血鬼ではこの程度は常識だ」
「吸血鬼の物差しで語らないでちょうだい! お父様でも今はそこまでしてないわよ!」
「昔はしてたのか……?」
「別にいいんじゃない? それで被害が減るなら。その代わりにここが今以上に真っ赤に彩られること間違いなしだけど」
「全っ然良くない……」
レオンはあの提案を微塵も悪くないと思ってるし、オスクは面白がってるのかケラケラと愉快そうに笑ってるだけで頼りにならない。ここにルーザがいれば鋭い突っ込みを入れてくれたかもしれないけど、今日に限って離れ離れとはついてない。
でも……本当に、何か対策を練らなければ廃校になってしまう。たとえ一年だけの付き合いでも、この学校には恩と思い入れがある。私達はもうすぐ卒業だとしても、学校が無くなっていくのを黙って見ているだけだなんて嫌だから。
何か、何か良い手はないのかな……。
「みんな、先に着けー。授業を始めるぞー!」
「……っ!」
不意に教室の扉が開かれ、担任のアルス先生が入ってくる。
今朝の落書きを掃除するために予定が大幅にずれ込んだから、普段は鐘で知らせる始業時間を口頭で伝えることになったらしい。エメラ達も、他のクラスメートも、先生のその声に従ってお喋りを止めて着席し始める。
「あー……今朝の落書きの件だが、掃除を手伝ってくれて教師陣も感謝している。後のことはこっちでなんとかするから、授業が終わったら各自速やかに帰宅するように」
先生の言葉に、教室内が少しどよめいた。
みんなも自分の出来るだけのことをしたいのだろう。クラスメートの一人が何か手伝えることがありませんか、と挙手して先生に尋ねるけど、先生はそれを「駄目だ」と一喝。
「みんなはもう十分働いてくれた。これ以上、学校がすべきことにお前達を使うわけにはいかない。お前達、学生が一番にやるべきことは学業だ。その気持ちだけは有り難く受け取っておくから」
真っ当な「大人の言葉」によって抑え込まれ、クラスメートは渋々引き下がる。先生の言う通り、私達が出来る範囲のことはもうやりきっている。 何かしたかったけど……ここで私達が出しゃばってもかえって迷惑をかけてしまいそうだ。ここは指示されたように、大人しくしておくべきかな。
「どうやら新しいお客さんもいるようだけど……すまないね、歓迎出来るような雰囲気じゃなくて」
「構わない。さっさとやるべきことを果たせ」
「ありがとう、この埋め合わせは必ずするよ。じゃあ、今度こそ授業始めるぞ」
先生相手でも相変わらず無愛想で、初対面だというのに上から目線のレオン。でも先生はレオンの失礼な態度を特に気にする様子もなく、頭を下げながら授業の準備を整えた。
朝から色々あったけど、せめて授業はしっかり受けなきゃ。そう思って、私は背筋をピンと伸ばした。




