if.風来坊の恩返し(5)
「……これで良し、と。いやあ、師匠のおかげで仕事が楽に片付きそうだ」
「それは良かった」
2人で町を歩きながら、フユキはルーザに依頼されていたオススメのお土産を扱う店の場所を記した地図を書き終えて満足そうに笑った。私も、そんなフユキにつられて笑みがこぼれる。
私も少し手伝わせてもらったのだけど、これがすごく喜んでくれたから私も嬉しかった。
あの後────泥棒を懲らしめた後、私達は盗まれたカバンをしっかり取り返して、持ち主であるあの女性の元に届けに行ったんだ。
あの女性は私達に大袈裟なくらいに頭を何回も何回も下げて感謝してくれた。カバンが無事に戻ってきたことに心の底からホッとした様子で……私達がしたことは無駄じゃなかったんだと、そう思えた。
あの泥棒達は私達の攻撃をまともに食らって目を回していたため、その隙にフユキがどこからか取り出した縄で全員まとめてふん縛り、武士────ミラーアイランドでいう衛兵の役に就いている者らしい────の詰所の前に置いてきた。
文字通り本当にそのまま放置してきてきてしまったものだから、ちゃんと説明しなくて大丈夫なのか聞いたのだけど、フユキ曰く「多分初犯じゃないからわかる奴にはわかるだろう」とのこと。とにかくこれ以上関わりたくないからと、その後の処分は国に任せることにしたようだ。
「師匠と一緒にいられる時間をこれ以上あいつらのために削がれたくないですから。俺は情報屋であって役人じゃないし」
「ごめんね、せっかく再会できたのに時間を無駄にしちゃって」
「いやいや、師匠の選択は正しいですって。あんな奴をのさばらせておくのは俺としても気分悪いし。それに、後からこういうツテが生きてくるからさ。色々恩を売っておくのも悪くない」
「商売上手なことで……」
「お褒めにあずかり大変嬉しく思いますよ、師匠」
にししっ、と悪戯っぽく笑いながら、言葉に込めた少々の皮肉を軽く受け流すフユキ。昔の臆病な面を見たことがある私からすると、あれから随分と逞しくなったものだ。幼い頃の、どこかビクビクしていた姿が嘘のよう。
「にしても、激しく動いたせいで小腹がすいてきた。どこかで甘味でも買うかな」
「あ、それなら良いものがあるよ。はい」
「おお、こりゃまた懐かしい」
そう言って私がフユキに手渡したのはチョコレート。リラックスするのにいいかな、とここに来る前にカバンに忍ばせておいたものだ。
私達の間にはチョコレートにちょっとした思い出がある。フユキもその時のことを思い出したらしく、慣れない手つきで包装紙をはがすと、すぐさま中身にかじりつく。
「ん、美味しい。口にしたのは本当にひっさびさだけど、もの自体は廃れないね。一仕事終えた身体には余計に染み渡る」
「それは何より。というかフユキ、私がこれ出すこと期待して言ってたでしょ」
「あ、バレました? 流石師匠、鋭い。いやあ、シノノメじゃあ仕入れようとしてもこういうのはどうしても値が張っちゃうんで。師匠に無償で提供していただいて俺はなんて幸運なんだろう」
「もうっ」
調子に乗るな、とその脳天に軽くげんこつを落とす。反射的に「いてっ!」と言いながら叩かれた箇所を抑えるフユキだけど、その行動に反して表情は嬉しそうだった。謀られたことではあるけどせっかく出したし、と私もチョコレートにかじりつく。2人で肩を並べて会話して、町中を歩けるのはすごく楽しかった。
本当に、もう少しここにいられたら良かったのに。明日で私達はミラーアイランドに帰ってしまう。こうしてフユキと再会出来たというのに、一緒にいられる時間はあと僅か。もっと早く思い出せていたら……そんな後悔が、今更ながら押し寄せてくる。
「せめて昼間に会った時に気付けていればな……」
「ん? どうしたんですか、急に」
「その……フユキが長い間ずっと私を探し回ってくれてようやく再会出来たのに、明日にはまたお別れなんて、って思っちゃって」
「ああ、そうだったね」
フユキもそれは思っていたらしく、さっきまでの明るい笑顔から一変、寂しそうなものへと塗り変わっていく。
昼間の、私を見た時の何か言いたそうな態度をしていたことから、フユキはすぐに私のことに気付いてくれていたんだと分かる。それなのに、私は今まですっかり忘れていて……早い内に思い出せなかったことが本当に申し訳ない。でも、いくら後悔しても過ぎた時間は戻ってこないんだ。
「俺だって自分から踏み出さなかった落ち度がある。少しは成長できかと思ったのに……結局、あなたから来てくれないと進めない臆病者のままだ」
「そんな、フユキは悪くなんて」
「いんや、そもそも無茶ぶりもいいとこだ。あなたはガキの頃の俺しか見てなかったのに、名前だけで気付けだなんて。でも、あなたは思い出してくれた。過去は変えられなくても、未来は幾らでも変えていける。これから先、なんとかしていけばいいんですよ」
「……そう、だね。これからも会えるよね、きっと」
「ええ、きっと」
そう返してくれたことで、重く沈んでいた気分がふわりと軽くなった。
また暫しのお別れになるとしても、次会う時はちゃんと分かっているから。お互いにもう躊躇することなく、今度は最初から再び顔を合わせられることを喜べる。それでいいんだ。
「うーん、でもこれだけだとな……」
「ん、まだ何か不満?」
「恩返し。俺はそのために師匠を今まで追ってきたのに、まだ何もあなたにしてあげられてない」
「え、そんな。いいよ、気を遣わなくても。第一、もうフユキには助けられてるし」
「いーや、俺の気が晴れない! 昼間のはあくまでカグヤ様からの依頼で、師匠のために働いたとは言えない。言っとくけど、師匠が受け取らないって選択肢はありませんから!」
「ええ〜……」
ビシッと力強く宣言されて、思わず一歩後ずさる。その言葉には断ろうにも断れない強制力があって、何か一つでも望みを言わなきゃ帰してもくれなさそうだ。
でも、フユキにしてもらうことなんて……食べ物は無しだな、まだ宴会の料理が残ってるし、甘いものもさっきのチョコレートで間に合ってる。情報提供、っていっても教えてもらいたいことなんて思いつかないし、どうしたら。
「あ……」
「ん、何かありました?」
「うん」
一つだけ、ある。フユキにしてほしいと思ったことが。食べ物のような形あるものではないし、情報のような役に立つものでもない、小さなことだけど。
でも小さくてささやかなことだからこそ、叶うのなら嬉しいと思えるだろうから。
「じゃあ……聞かせてください、師匠。あなたの望みなら、俺は何だってしますよ」
「ありがとう。なら師匠はやめて、名前で呼んで」
「……え?」
ぽかんとした声で、目の前の妖は呆気に取られる。今まで仕事柄、一切隙を見せまいとしていた彼が意表を突かれたことによって、今日初めてそれが崩れた。
しばらくは状況を飲み込みきれなかったらしく、呆然と目を見開いていたけど……やがて理解しきったのか、「いやいや!」という拒否の声によって破られる。
「無理ですって! ていうか俺、あなたを師匠と呼ぶ理由さっき話しましたよね⁉︎」
「うん、聞いたよ。聞いた時、すごく嬉しかった」
「な、なら、なんで……!」
「さっき、言ったよね。フユキは私より強くなってるって。フユキはもう立派に成長した……なら、もう私っていう師匠はいらないんじゃないかな、って」
「で、でも」
「でもも何もないよ。師匠である私が認めた、これでお終い。フユキは師匠から卒業できた、その記念品としてさ」
後ずさっていたことで下がっていた一歩を踏み出し、前に出る。そして、その証を授与するために、自分が出来る精一杯の笑顔を見せて。
「ルージュって、呼んでくれないかな?」
だって────フユキとは、これからは肩を並べて、同じ位置で戦っていきたいから。その思いを彼からの贈り物で証明するために。
すぐには納得しなかったのだろう、フユキはしばらくは戸惑いの表情を浮かべていた。でも、それはやがて吐かれた大きなため息を合図に、終わりを迎える。
「あー、もう……本当にあなたは見返りを求めない精霊だなぁ。お人好しもいいとこですよ」
「うん、よく言われる」
「全くもって、割りに合わなさすぎる。あなたが俺にしてくれたことに対して」
ガシガシと頭をかき、その雪のように真っ白な髪が揺れる。そして澄んだ瞳で私を真っ直ぐ見据えて、告げた。
「……はあ。俺、あなたには一生勝てる気がしませんよ。冗談抜きに」
やれやれと肩をすくめて、それでも何処か安心したように口角を上げて。そこでようやく、その顔に浮かんでいた戸惑いの色が消えて、折れるという形で私が望んだ「承諾」へと行き着いた。
「さあて、と。仕事は終わったけど、まだまだあなたと行きたいところがあるんだ。何せ、こちとら数百年は待たされましたからね。今宵は覚悟しておいてくださいよ────ルージュ!」
「……っ! うん、楽しみにしてる!」
フユキが口にしてくれた言葉にパアッと顔が綻び、伸ばしてくれた手を私は迷うことなく取った。そして、師弟という関係から卒業した私達は、今度は友達として一緒に夜のシノノメの町を駆け抜ける。
これが束の間の幸せだとしても、一生胸に刻まれる思い出とするために。
これは、あり得たかもしれない可能性。語られざる、埋もれていたかもしれない可能性。
すれ違っていた筈のとある2人の道が交わり、再会し、共闘し、友達となった────それだけの話。




