第14話 廻りし暁の姫君(3)
ハンバーガーのお陰で私もお腹が膨れた。オスクもどうやら満腹とはいかずとも空腹からは解放された様子。ずっと同じ場所に留まってても仕方ないし、そろそろ移動しようかな。
あ、でも……
「オスクは家に戻った方がいいんじゃない?」
「はあ、僕が素直に戻るとでも? 嫌に決まってる」
「いや、そうじゃなくて……」
……いつの間に来たのか、オスクの後ろにルーザが腕を組みながら立っているから言ったのに。
オスクも視線を感じたのか後ろを振り向くと、まるで幽霊でも見たように大きく飛び上がった。
「どわあっ⁉︎」
「他人の顔見た途端驚くなんて失礼な奴だな」
「いや、後ろから音もなく近づかれたら誰だって驚くと思うけど」
私がそう突っ込むと、ルーザはそれもそうかとばかりに少し苦い表情をした。けれど、すぐに「まあいい」と気持ちを切り替えてオスクに向き直る。
「……とにかく、お前に用があってな。仕事終わるなりぶらぶらしやがって。見つけんのこれでも苦労したんだぞ?」
「そんなの僕の勝手じゃん。何さ、用って。またこき使うってんならあと一時間は戻るつもりないから」
オスクはそんなに仕事が嫌なのか、不機嫌さ丸出しでふいっと顔を背けてしまう。ルーザはそんなオスクの様子にやれやれとばかりに肩をすくめる。
「ったく、元はと言えばお前がついてくるからだろうが。だがオレもお前の働きに見合う報酬は出さなくちゃなんねえからな。てことで、ほらよっ」
「わっ……と。って、何これ?」
「……給料。それでなにか買うなり食べるなり好きにしろ」
ルーザが急に何か入ってるらしき袋をオスクに向かって放り投げて寄越し、私も気になって2人でその中身を覗き込むと……ルーザの言葉通り、そこには沢山のコインがジャラジャラと。
ザッと金額を数えてみたけど……どう見ても一日分の給料にしては多すぎる。
「ルーザ、いいの? 結構な金額だけど」
「別に。下手に食い逃げとか面倒事起こされるよりかはマシだからな」
「そう、か」
「……なんだよ、その意外そうな反応。給料出すのがそんなにおかしいかよ」
「ううん。やっぱりルーザは実は優しいんだな、って」
「ほっとけ」
褒めているというのに、ルーザは盛大なため息をついてあまり嬉しくなさそうだ。
でも、良かった。2人の仲が、決して険悪じゃないようで。出会い方が出会い方なだけに、昨日の時点じゃギスギスしているようにも見えたから。2人の仲はまだいいとは言えないけど……ルーザもオスクを、オスクもルーザを嫌悪しているばかりじゃないようでホッとした。
この調子で仲を深めていければいいけど、それはもうちょっとかかりそうかな。
「オスクも。お金貰っちゃったんだし、お仕事はもう少し真面目にやらないと追い出されちゃうかもよ?」
「これ以上の従者の真似事なんて求められても困るんだけど。大体何さ、このよく分かんないコインは。こんなもの大量に押し付けられて迷惑だっての」
「えっ」
私はその言葉を聞いて不安に駆られる。
もしかしてオスク、お金の意味や使い方、その他の常識とかもよくわかっていないんじゃ……。
「ね、ねえオスク。あの屋台の菓子とかどうやって貰えるって考えているの?」
「腹が減れば貰えばいいっしょ?」
「それを食い逃げっていうんだよ!」
駄目だこりゃ。まさかとは思ってたけど本当にさっぱりみたい。
箱入りの私がいうのもなんだけど、それくらいは覚えて貰わないと後々面倒なことになりそうだ。本当に食い逃げされては、知識がないオスクの代わりにこっちが責任を被ることになってしまうから。
「……予定変更だな。午後の仕事は無しだ」
「ホントか⁉︎」
「やることが変わっただけだ。精々覚悟しておけ」
「チッ……」
どうやらルーザがその辺りを午後の時間を使ってみっちり仕込んでくれる様子。ゼロから教えるとなると大分苦労しそうだけど……何もやらないよりはマシだろう。このままじゃオスクは窃盗で捕まること間違いなしだから。
それから、ルーザはまだ家に戻るつもりはなかったようだから、せっかくだしと三人でシャドーラル王国を散策してみることに。ミラーアイランドでは出回らない魔法薬や魔法具を扱う店を覗いてみたり、名所や公園に訪れてみたり、と充実した時間を過ごせた。
そうしているとあっという間に時間は流れ……空がオレンジ色に染まり始める。名残惜しいけれど、そろそろ切り上げようかな。
「ここまで、かな。私も、そろそろ光の世界の屋敷に戻らないと」
「そうだな。一日空けた訳だし。満足出来たか?」
「うん。お陰様で」
「一緒にいられないわけ? こいつと2人きりなんてまるっきり地獄なんだけど」
「そうもいかないよ。私だって向こうで学校とか行かなくちゃ行けないんだし」
「ふーん……」
オスクに同情はしなくもないけど、ずっといれる訳じゃないから仕方ない。日がそろそろ傾き始めたし……暗くなる前に帰らなければと、急いで支度を終えた後に鏡の泉へと向かった。
そこには光の世界で見るのと変わらない、泉に据えられた立派な鏡が一つ。シャドーラル王国に滞在していたのはほんの二日間だったっていうのに、なんだか久しぶりな感じがした。
……ルーザも影の世界に帰った時、こんな気持ちだったのかな。
「じゃあまたね」
「ああ。また来いよ」
「うん!」
ルーザと再会する約束を交わした後、ダイヤモンドミラーの表面に触れて私は鏡が私の身体を吸い寄せようとする力に身を任せる。
……次の瞬間、私の目の前には見慣れた王国の風景が広がっていた。無事に帰ってこれたみたい。まだ慣れないことだけに、ホッと息をつく。
「……帰ろう」
こちらでも、太陽は今にも沈もうとしている。日没後に魔物に出くわすと色々面倒だから、早く屋敷に戻らないと。
いつも通りの屋敷への道を辿り、やがて辿り着いた迷いの森を歩いていく。まだ夕方で太陽も沈みきっていないというのに木々が陽の光を遮るせいでかなり暗がりだ。敷地内といっても場所が場所だ、迷わないように慎重に進んでいった。
「……あれ?」
屋敷に近づいてくると、大きな影がその前に見えた。遠くからでもわかるほどで、屋敷の高さを超えるんじゃないかってくらい大きい。
な、なんだろう。妖精とかの大きさじゃない。
厄介な魔物だったら大変だ────そう思って急いで森を走り抜けると、それは赤く硬い鱗に覆われた身体の魔物だということがわかる。
「あっ、あの時のドラゴン……!」
影の正体……それはあの廃坑で翼の治療をしてあげたドラゴンだった。私はそのことがわかると走る速さを上げた。
「グルゥゥ……」
ドラゴンは私に何か伝えたそうに首を下に下げる。迫力のある呻き声だけど、ドラゴンの眼差しは優しいものだ。私に何か話したいことがあるらしい。
「あ、ごめん。ちょっと待って」
私は走ってきて荒くなった息を整える。
時々私は魔物などの動物の気持ちがわかるといっても、あくまで時々。この能力は不安定で、今みたいに焦っていたりすると中々出来ない時がある。
すー、はー、と深呼吸をすること数回。落ち着いてきたところで精神を落ち着かせ、ドラゴンに向けて意識を集中する。
えっと、何々……?
「……待ってた? 私を?」
「グワゥ……」
ドラゴンは頷くように首を縦に振る。
でもこんなところまで来て、見つかればかなり危ないはず。そんな危険を犯してまで私に用があったのかな……と、思っていたところでドラゴンは急に首を下げて、口にくわえていたらしい何かを置いた。
……暗がりの森の前でもまるで炎のような輝きを宿している、真っ赤なオーブ。確か、特に強い力を持った魔物が相手を認めると、こういったオーブを渡して力を貸してくれるということを、昔本で読んだことがある。
もしかして……私にこれをくれるために、わざわざ来てくれたのだろうか?
「いいの? こんな大切なものを私にくれて?」
「……」
本の内容からして、魔物の力の一部を預かるような代物だ。そんな貴重なオーブ、そう簡単に渡せるものではない筈。私は思わずそう尋ねていたけれど、ドラゴンは深く頷くように首を縦に振り、その気持ちが伝わってくる。
……傷を治してくれたお礼。今度は自分が助けになりたい、と。
「……そっか」
だったら、ここまで来てくれたのに返すことは失礼になっちゃう。ドラゴンの気持ちに応えるためにも、私は素直にオーブを受け取った。
「ありがとう。力を借りることになったその時はまたよろしくね!」
私はそう言ってドラゴンに笑ってみせる。ドラゴンも満足そうに咆哮を上げた。そして、目的を果たしたドラゴンは大きく翼を広げてあの廃坑に帰っていった。私はそれを見送った後、貰ったばかりの改めてオーブを眺めてみる。
その光は日が暮れてきて薄暗くなった辺りを、夕日のように明明と照らしていた……。




