第141話 うしろのしょうめんだあれ(1)
「よっ、と……」
霊峰に踏み入れて早数分。街中を出たことから動きやすいよう一旦着物からいつもの服装へと切り替え、山に入る前に相談した通り先頭のドラクに安全な道を選んでもらい、オスクに背後の警戒を任せ、オレらも周囲に注意を払いながら霊峰の頂上を目指していく。町の中とは違う、ゴツゴツとした足場にオレらは若干前屈みになりながらも着実に前へと進んでいった。
登山道は整備されていないが、妖が独自に通り道を作っているようであまり足場は悪くない。ドラクの先導もあって、思ったよりもスムーズに進めている。
「妖が多く潜んでいるって聞いてたけど、この辺りにはまだいないみたいだね」
「山に入ったばかりだからな。こんな麓にいると見つかりやすいんじゃねえか?」
「ええ、その通りです。ここはまだ、市街地との境界がはっきりしている場所。特に大きな力を持つ鬼は他の種とは違い、近づくだけでも目を付けられやすいのでここまでは殆ど降りてきません。フユキ様の情報を活かすことになるのはしばらく先でしょう」
「なら、今はまだ登ることだけに集中できそうだね。スピードを上げた方がいいかな?」
「そう、だな。できなら」
「わかった。でも、辛かったら言ってね」
オレの言葉にドラクはうなずくと登るペースを上げる。瞬時に安全な道を見極めていくのもさることながら、まだ敵は潜んでいないにしても平地より遥かに不安定な足場だというのに、身体が一切ふらついていないのだから流石だ。やはりシャドーラルで危険と名高い氷河山の案内役なだけはある。
後ろのオレらもそれに遅れを取らないよう、足に力を入れて一歩一歩前へと踏み出していく。ドラク程ではないが、今のところは問題なし。現段階では普通の登山と変わらない。
「あっ、ここはちょっと傾斜が急だ。後ろ向きで歩くと負担が軽くなるよ」
「わかった」
「判断が的確であるな。流石はシルヴァート殿に認められただけはある」
「あ、ありがとう。父さんの特訓は辛かったけど、頑張っていた甲斐あったよ」
「うーん、あたしも火山にまた異変が起きた時のために足腰鍛えた方がいいのかしら。でも余計な筋肉付けたくないし……どうしよう」
「そうは言いつつも付いてこれてるじゃねえか」
「あ、これはその……羽でちょっと浮いてるの。町中じゃないからもう出してもいいかな〜、なんて」
「インチキじゃねえか……」
カーミラのズルにため息をつきつつ、ドラクの指示通り負担を軽くするために後ろ歩きで進んでいく。今は仲間達も会話をしながら緊張をほぐし、調子良く進めていけている。
……だが、そんな平穏な時間は長く続かない。ここは妖が多く潜む山、ましてやその頂上にいるのはあのヴリトラに匹敵する力を持つ大物。一歩、また一歩と頂上に近づいていくにつれて、今までは感じなかった『何か』が辺りの空気を徐々に侵食していく。
「……あれ?」
「ん、どうしたの?」
「道が、さっき通ったところと同じだ。ちゃんと前に進んでいたし、ランプの光もちゃんと見ていたのに……」
「って、ことは」
「……ここからは鬼の干渉があるようですね。ルジェリア様、先程の覚え書きを」
「あっ、はい!」
カグヤにそう言われ、ルージュは咄嗟にあのメモを取り出す。妖の干渉のせいで、ここからはフユキの情報を元に正しい道を見極めなければ同じ場所をぐるぐる回るハメになるようだ。
ドラクのランプも鬼の長相手では分が悪いようで、力負けして効果を発揮できなかったらしい。幻術ではないようだが、己の領域に踏み込む者を惑わしてくる術を使ってくる辺り、あの玉藻前と同じくやはり妖なんだと思わせる。
そして、このフユキから貰った情報によれば……まずはこの、『一に進め、天見て進め。夜明けの光、目指して進め。』を読み解かなければならない。
「聞いた時はよく分からなかったけど、よく読んでみたら『夜明けの光』だったり、『日沈むそこにあり』だったり、方角を指し示す単語がいくつかある……」
「ふーん。じゃ、その『夜明けの光、目指して進め』ってのはつまり東に向かって進め、ってわけか」
「と、言われてもな。方角なんてどうするんだよ。地図で方角確めんのも無理あるぞ」
「そこは抜かりないよ。こういう道具は基本的にカバンに入れっぱなしだから」
そう言って、ルージュが次に取り出したのは手の平サイズの機械……名の通り陽の光を取り込んで方角を指し示す魔法具、陽光羅針盤だった。その表情はどこか得意げだ。
……相変わらず色んなものが入ってんな、そのカバン。まあ、そのおかげで今回も今までも色々助けられているのは事実なんだが。
そうしてオレらはルージュが持つ羅針盤を頼りに、フユキの指示通り東に向かって歩いていく。すると、さっきまでは同じ場所をぐるぐるしていたが故に景色も同じものしか見られなかったが、それにだんだん変化が生じてくる。
……それはつまり、前へと進めているということ。フユキが提供してくれた情報は正しかったようだ。それを確信して思わず口元が緩む。
「ん、これは……」
「川だね」
しばらく東に歩いて行った先に、行く手の前に一つの川が立ちはだかった。山頂付近から流れ出ているらしい、傾斜もあってなかなか流れが速い立派な川。大量の水が下を目指して流れ落ち、岩にぶつかる度に水が砕け散って飛沫を上げ、ゴウゴウと音を立てている。
……次のフユキの指示は、『二に逃げろ、走って逃げろ。大地の涙、跨いで逃げろ。』だ。涙は零したり、流したりするもの。つまりこれは、
「『大地の涙、跨いで逃げろ』……それはこの川を越える必要がある、ってことだろうね」
「普通、こんな急な川だったら迂回しようとするだろうからな。避けてたらアウトになる訳だ」
もし川の流れの勢いに怖気付いて迂回しようとしたならば、またさっきみたいに同じ場所をぐるぐるすることになることだろう。フユキの情報が無ければ頂上に近づくことすら叶わなかったかもしれない。
だが、問題はこの先。フユキの情報では、この川を『跨いで逃げろ』というんだ。飛べば一瞬で済むのだが、それでは指示に反する。一か八かなんて賭け事してる余裕も時間もないし、妖の干渉があるこの状況下では何が起こるかわからない。
どうやってこの川を渡ろうか……全員で考え込んでいると、フリードが突如「あっ!」と声を上げる。
「僕の魔法で川を凍らせてみるのはどうでしょう? その凍った水面を橋代わりにするんです」
「お、いいんじゃねえか?」
「うんうん、ナイスアイデアだよ!」
「それしかなさそうだな。フリード、頼めるか?」
「はい。あ、でも流水なので長時間は持たないかと。僕の後に続いて駆け足で渡ってください」
「うん。『跨いで逃げろ』、だもんね」
全員でうなずき合い、川を見据える。ドラクに代わって先頭に立ったフリードとの距離を詰めつつ、フリードが走り出す時をジッと待つ。
「……今です!」
そしてそれは唐突に訪れる。フリードが宣言してすぐに川に向かって走り出していく。それと同時進行で凍らされることで形成された即席の氷の橋を、全速力で駆け抜けていった。
一人、また一人と氷の橋を渡りきり、向こう岸へと辿り着く。そして最後……オスクが渡り終えると、氷の橋は完全にその形を失った。
「あっぶな……ギリギリじゃん。危うく指示無視して飛んでるとこだったっての」
「お前が重いせいだろ、このデカブツ」
「体型は昔からだっての! お前こそちんちくりんの癖に!」
「うっせ、今はお前とあまり変わんないだろうが!」
「はん、どこが同じなのさ。見せかけだけで質量変わってないんだし、お前なんて片手で持ち上げられるぞ」
「あっ、こら! ホントに持ち上げる奴がいるか! てか放せ!」
「もう、けんかしないでよ!」
片手で軽々と持ち上げられるオレと、宙吊りになったオレを鼻で笑って馬鹿にするオスク。そんな小競り合いをするオレら2人をいつものように叱るルージュだが、当然ながらそれだけで言い争いが収まるはずもなく。他の奴らは止める術を知らないために、オロオロしながら見守るばかり。
……と、そんな時だった。
フフッ
「……ん? おい、今誰か笑ったか?」
「え、別に笑ってないわよ?」
「いや、今確かに……。オスクじゃねえよな?」
「はあ? 確かに愉快ではあるけど、声出して笑ってはいないじゃん」
「そう、か……男の声っぽかったんだが」
「オレ達も口すら開けてねえぜ」
イア達も自分は違うと首を振っている。それどころか、笑い声すら聞こえてないようだ。他の奴らも同様だった。オレにはまるで耳元で囁かれるかのようにはっきりと聞こえていたのに。
オレ以外の他の誰も聞こえていない……その笑い声の主がいたのだとすれば、オレだけに聞かせていたようでえらく不気味だ。聞こえていたのはあの一瞬だけだというのに、耳元にいつまでもこびりついているような気がする。
「ともかく、越えるべき道はあと一つ。ここまで来たら早急に頂上を目指しましょう」
「……ああ」
気にはなるが、これでフユキの指示の半分は乗り越えられたんだ。カグヤの言う通り、ここで無駄な時間をかけるわけにはいかない。
さて、次が山頂の辿り着く方法としては最後となる情報……『三に探せ、歩いて探せ。頂き見据え、迫るお日様、背を向け探せ。』だ。ここまで来ると読み解くのも難しいものではない。
「『頂き見据え』はそのまま、頂上を見ながらということだろうね。『迫るお日様』は……」
「太陽は南に向かって昇ってくるものだよな。そして『背を向け探せ』だから南に背を向ける、つまりは北の方角を向きながら頂上を目指して歩いていけば正解か?」
「僕としても異議はないけど。他はどうなのさ」
オスクがぐるりと周りを見渡して仲間達に確認を取ると、仲間もそれに同意した様子で頷く。否定する声も無し、全会一致ってやつだ。
ならば善は急げ、とばかりにオレらは再び歩き出す。最初と同じようにドラクが先頭となって案内してもらい、ルージュの持つ羅針盤で行くべき方角をしっかり確認しながら。ペースを上げつつも、周りに敵が潜んでないか注意を払って、踏み外すことがないように慎重に。
ちゃんと警戒していた。その筈だった。だが、ここは妖の潜む山。頂上がそいつらの根城である山。つまり頂上に近づけば近づく程、そいつらが接触してくる可能性も高くなることを指し示し。
それは霧のように、
蜃気楼の如くカタチを持たず、
ゆらゆらと頼りなく、
それでもじりじりと迫り、
ゆっくり、ゆっくりにじり寄り、
近づいて、
近づいて……
「え────」
……背後に衝撃が走り、目の前が真っ暗になった。




