第131話 時計ウサギを追ってから(2)
「シュヴェル、おかわり」
「あ、はい……。かしこまりました」
「あ、私もちょっとお願いします」
「……って、何無視してんだよ! お前のせいで頭腫れたんだけど⁉︎」
「いや、だっていつものことだし……」
「自業自得だろ」
まだぶつくさと文句垂れるオスクに構わず、オレはシュヴェルに淹れ直してもらったコーヒーをすする。
最早お決まりの光景となったせいか、ルージュにも放って置かれる始末にオスクは不満と痛みに顔をしかめながら頭をさすっている。唯一、シュヴェルだけは困ったような表情を浮かべていたが。
「オスク様、痛むようでしたら氷のうをお持ちいたしますが……?」
「あー、いい。慣れたもんだし、ほっとけば治まる」
「慣れるくらいだったら発言に気をつければいいのに」
「全くだ」
オスクを嗜めるルージュの言葉にオレも便乗。シュヴェルも気遣うもののそこまで頼りにならず、味方がいないことを悟ったらしいオスクは「うっさい!」と言って、プイッと顔を背けてしまった。
でもまあ、こんなおふざけができるというのも平穏な証拠。昨日のレオンの訓練は散々だったが、それまでは聖夜祭を目一杯楽しんだりと割とお気楽に生活している。とても世界を文字通り滅ぼすような災いが迫っているとは思えないくらいに。
そもそも……ルージュ達と出会う三ヶ月前までは、学校に登下校するのみの歳に合った生活を送っていたのだが。疑問を持つところなんざ一切無い、それが当たり前だからと時計の針の如く、規則正しく日々を過ごしていた。
「そう言えば、さっき私達と会えて結果オーライとか言ってたよね? 今更なんだけど、ルーザってどうして光の世界に来ちゃったの?」
「本当に今更だな」
「だって、会ったばかりの頃はまだ警戒してたし、詳しく聞いてなかったから」
「ああ……そう言えばそうだ」
言われてみればそうだった。出会って数時間後にルージュになんとなく説明したものの、それは結局結論だけ。『ダイヤモンドミラーを覗いてたら、急に鏡が輝き出して気が付いたらそこにいた』という、大雑把もいいとこな説明だった。
あの時は魔物を共に倒したことで一時的に仲良くする程度のものだったから、オレもルージュも互いの事情に深く踏み入らなかった。帰ることを優先しすぎて、友情を築くことを疎かにしていたんだ。
まあ、それも後からなんとかなった訳だが……それは結果論に過ぎない。オレがこの騒動に巻き込まれた起点の話を、今まで『滅び』のことを言い訳にして後回しにしていた。
「へえ、お前の始まりの話ねえ。興味あるっちゃ興味あるな」
「はあ? お前、オレらの見張り役だったろ。なんで知らないんだよ」
「バーカ、最初から最後まで全部見てると思うな。そんな監視紛いのことなんざしたくないし、こっちの気力だって持たないっての。大体、全部見てたらお前らの容姿を忘れてる訳ないじゃん」
「あ、言われてみれば私達が名乗るまで気づいてなかったよね、オスク」
「そうか、名乗ってから初めてオレらのことに気づいていたんだったか」
地下神殿でオスクと初めて顔を合わせた時、オレとルージュが名乗るまでオスクは気づく素振りも見せてなかった。その反応も、安否を確かめている程度で出会うまで監視していなかったのなら説明がつく。
「よろしければお聞かせ願えませんでしょうか。誠に勝手ながら私自身も、ルヴェルザ様が行方をくらましてしまった経緯を知っておきたい所存でございまして」
「ん、そうだな」
シュヴェルにも、こっちに帰ってきたばかりの時には説明を放り出していた。話すと長くなりそうだったし、疲れていたことも相まって面倒くさくなってしまったのが主な理由。シュヴェルはその時、オレが無事ならそれで良いと言ってくれたが、内心ではずっと気になっていたのだろう。
3人からこうも聞きたいとせがまれては断れそうにない。そうだなどこから話すか……なんて、顎に手を当ててふと考え込む。
「まあ、なんでもない日だったと言われれば嘘になるな。その日に学校で鏡の泉の付近で見慣れない魔物がうろついてる、って話を聞いたんだ」
「見慣れない魔物?」
「恐らく、光の世界のな。まあ、今考えれば珍しいことでもないんだろうさ。あんなの、でかい門が開きっぱなしみたいなものだし」
「ふーん、それでお前は呑気に確かめに行ったと?」
「……まあ、な。魔物退治のバイトついでに興味本位で覗きに行ったらあのザマだ」
見慣れない魔物を発見して、襲いかかってくるものだから退治したところまではいい。その後にその出所を確かめようとして、ダイヤモンドミラーに不用心に近づいた。
そうしたら鏡が輝き出して……鏡に吸い込まれて、その後はお察しの通りだ。そこまで説明すると、オスクが何か気づいたように「ああ、それは」と声を上げる。
「それがあの鏡が閉まる前触れだな。おまけにその手前に魔物が入り込んだのがマズかったわけだ」
「はあ? なんか関係あったのかよ」
「鏡で繋がっているとはいえ、所詮異世界のものだ。捉え方では異物も同然。閉まる前、バランスが傾かないように異物を元に戻せなきゃ、その代わりが無くちゃならないんだ」
「……じゃあなんだ、オレは魔物の代替品にされたのかよ」
「そういうこと。災難だったな〜、ハハッ!」
突き付けられたあんまりな真実にオレは項垂れ、オスクは愉快そうにケラケラ笑う。
だって普通は落ち込むだろう、こんなあんまりな話。オレが魔物を倒してしまって、それを元の世界に戻せなかったからその代わりに引き込まれたなんて。魔物と同等の扱いを受けたのも不愉快だというのに、それ以上にそんな理不尽な理由で家に帰してもらえなかったとは、ショックを通り越して笑いすら出てくる。
……あの鏡が普通の鏡だったら、一発ぶん殴ってヒビ入れたいところだ。いや、ヒビだけじゃ足りない。粉々に砕いて、地中深くに埋めて、しばらく存在を無かったことにしたい。
「まあ、それはそうとして……オレはそれから途方に暮れて、泉の近くで一晩野宿したんだ。その翌日に腹が空いて、お前のとこの迷いの森で木苺を食ったんだ」
「あ、その時に怒鳴りつけられたんだった」
「それは……悪かった。まあ、気が立ってたんでな。あんな馬鹿なことしなければ、もうちょっと早く会ってたんだが」
ルージュとは、実は迷いの森で茂み越しで会ってたんだ。お互いに顔を確かめなかっただけで。
逃げ足が速かったものだから、その時は追いかけられなかった。だが、それでもどこかで引き寄せられていたのかもしれない。不確かでも、無意識に、15年経っていてもまだ繋がっていた糸を手繰り寄せるように。
不審なものを追いかけて、穴に吸い込まれて、見知らぬ世界に落ちて……そのお伽話は、その始まりは時計ウサギを追ってからだ。
時計ウサギは話の始まり。起点の象徴。追いかけた先で不可思議なことに出会う前触れが具現化したものとも言える。
オレにとってそれは、
「お前がオレの『時計ウサギ』だったのかもしれないな」
「え?」
そんなオレの呟きに、オレ自身の非日常への布告役────ルージュは不思議そうに首を傾げた。




