第131話 時計ウサギを追ってから(1)
「悪いな、相変わらずこっちを任せっぱなしで」
「いえいえ。ルヴェルザ様に尽くせるのが私の本望ですから」
「フッ、そうか」
変わらない自分の世話係、シュヴェルの様子に無意識に口角を上げる。
オレは今、シャドーラルにある自分の家に戻っていた。今は光の世界のルージュの屋敷に入り浸ることが多くなったが、15年もの間過ごしていた元々の家を蔑ろにはできない。だからこうして、ルージュが双子の姉だとわかっても定期的に帰るようにしている。
それは、今もオレのために働いてくれているシュヴェルの好意を無駄にしないためにも。
「ったく、いってぇな……」
「大丈夫ですか?」
「ああ、大したことねえよ。休めばなんとかなる」
椅子に座っていても、軽く動かすだけでビキビキと軽く悲鳴を上げる足をさする。
昨日の、レオンの特訓と称した拷問の疲れはまだ抜けきっていない。無茶な逃げ方をしたせいで軽く筋肉痛だし、今もあまり大きく動くことができない状態だ。
しかしミラーアイランドとは違って、真冬で凍りつくほどに冷え込んでいるこの場所は溜まりまくった熱を発散させるには最適だ。そこに自分のお気に入りであるシュヴェルのコーヒーも付ければ、療養場所として完璧なものになる。
あれだけしごかれた上に罵られたんだ。一日くらいだらけたっていいだろう。
「そんなわけだから、お前も精々のんびりしろよ」
「うん。ありがとう」
「何さ、僕はついでなわけ?」
「実際ついでだろうが」
テーブルの向かい側に座っていた相手、ルージュには礼を言われ、オスクにはいつも通り悪態を突かれる。
家に戻ると伝えたら、ルージュも「シュヴェルさんと久しぶりに会いたい」という理由で、オスクはレオンがうるさいからと逃げる意味で付いてきた。どんな理由にせよ、人数が増えるのはシュヴェルも嬉しかったらしく、今日はいつにも増してキビキビと働いている。
そして仕事をあらかた完了させたシュヴェルは、オレら3人の前にソーサーを置いて、その上に乗せたティーカップにコーヒーをたっぷりと注いでくれた。
「今回はブラウニーをご用意しました。茶請けによろしければ」
「ああ、ありがとな」
「なんなのさ、この真っ黒い液体?」
「コーヒーだよ。ルーザがよく飲んでるやつ」
「ああ、あれね」
ルージュの説明にオスクは納得した、と言わんばかりに頷く。
そういえば、オスクにコーヒーを出すのはこれが初めてだったか。光の世界の屋敷じゃルージュの好みなのか、今のように一服する時は大抵紅茶だ。茶葉の種類は日によって異なってはいたが、渋みが強いものは避けていたような。
飲み方としては紅茶とあまり差異は無いだろうが、初めて見るものだというせいか、オスクはカップの中のコーヒーを少々訝しげな視線で睨みつけている。そしてカップを持ち上げ、何も混ざっていないままのコーヒーを口に含み、
「苦っ⁉︎ は、これ腐ってんじゃないの?」
「腐ってねえよ。これが普通だ、いくらオレでも毒なんざ盛らねえっての」
初めての苦さに、吐き出しそうな勢いで顔をしかめるオスク。その気持ちは分からんでもないが、オレのお気に入りの味をけなされたこともあって思わず表情が不快に歪む。
その後も「こんなもの飲めるか」なんてぐちぐち言って、結局ソーサーの上にカップを戻しているし。シュヴェルはそんなオスクに申し訳無さそうに頭を下げるばかりだ。
「お口に合いませんでしたでしょうか? ならば今すぐ紅茶と取り替えますが、如何いたしましょう」
「当たり前じゃん! 今すぐに、」
「変えなくていい。そのまま置いとけ」
「おいこら!」
オスクの言葉を遮り、オレは今にもコーヒーと紅茶を取り替えようとしていたシュヴェルを止める。オスクは当然文句を言ってるが、シュヴェルはオレが雇った執事。命令の優先度としてはこちらが上だ。
オレが下した命令だというのに、シュヴェルは律儀にも申し訳ございませんと言いつつ、その頭を垂れてサッと下がった。てか、苦いならミルクでも砂糖でも足せばいいものを。紅茶だってそうして飲んでるだろうに。
「はいこれ。これならさっきより苦味が薄れたんじゃないかな?」
「……ん。これなら、まあ」
……ああ、オレが口に出す必要も無かったか。いつの間にかルージュが気を利かせてオスクのコーヒーにミルクや砂糖を入れすぎない程度に混ぜてくれていた。焙煎した豆そのものの色から、白く濁ってかなり遠ざかってしまっていたが。
ルージュの周りを気遣ってばかりの性格はどうかと思うところが若干あるが、こういう時には助かるものだ。
「さて、と」
オスクが無駄に騒いだせいで、自分がいただくのをすっかり忘れていた。冷めてしまってはせっかくの味が台無しだ。オレは何も入れていない、不純物が一切入っていないコーヒーをそのまま味わった。
……うん、久々だなこの味。いつも学校から帰って来た時にシュヴェルがいつも淹れてくれていたそれは何日、何週間、何ヶ月経とうとも変わらなかった。下手なアレンジを加えない純粋な苦味は、懐かしささえ感じる程だ。
「そういや、シュヴェルのコーヒー飲んだのってかなりご無沙汰だったな……」
「そうですね。私の記憶が正しければ、三ヶ月はルヴェルザ様にコーヒーをお出ししておりませんでした」
「三ヶ月前……か」
三ヶ月前────それは丁度、ルージュと出会ったばかりの頃だ。正確には『再会』なんだろうが、その時はお互い自分の正体も知らなかったというか綺麗さっぱり忘れていたんだから、『出会った』という表現の方が正しい。
オレはその時、ダイヤモンドミラーの周辺で異変が起きているという噂を耳にして、確かめに行ったら鏡に吸い込まれて光の世界に放り出されたんだった。オマケにタイミング悪く、鏡から締め出されてしまって二週間は家に帰れなかったという無駄なサービス付きで。
不審なものを追いかけて、穴に吸い込まれて、見知らぬ世界に落ちて……全く、最早お伽話のようで笑えてくる。
「……まあ、それでお前らと会えたわけだから、結果オーライなのか?」
「うん? 何の話?」
「いーや、なんでも」
オレの言葉にルージュは不思議そうに首を傾げる。オレは適当に誤魔化しつつ、ぐいっとコーヒーを飲み干した。
「はあ。よく飲めんな、そんなにっがいやつ。お前の舌の感覚、麻痺してんじゃないの?」
「してねーよ、失礼だな」
「うーん。年齢と共に味覚が衰えてきて、苦味をあまり感じなくなるのは聞いたことがあるけれど」
「へえ。じゃあ鬼畜妖精モドキの舌は年寄り同然ってわけか!」
「……」
……デリカシーの欠片も無い、そんな発言を聞く側の正面でやらかしてくれるオスク。不意に沈黙した後にきっちり制裁を下すべく、その脳天に容赦なく拳を落としてやったのは言うまでもないのだが。




