第130話 巣立ちはまだ遠く(1)
「……まだまだ未熟だな。災いに打ち勝つには更なる努力と技術の向上が必要だ。加えて、訓練数を増やすのはもちろんのこと、短期間でいかに成長できるかが重要と見た」
「んなこと言われても……」
「も、もう今日は動けなーい……」
訓練を終えるや否や、地面に降り立ったレオンはオレらを見下ろしながら場違いなまでに今日の成果を一人冷静に分析していた。
対して、オレらは無様にも地面に寝っ転がっている現在。だらしないとは思っていても、疲労で重たくなった身体を支えるだけの気力も体力も無く。ゼエゼエと荒い呼吸を繰り返しながら、なんとか立ち上がれるだけの体力回復を地べたで試みていた。
汚れることは充分わかっているのだが……ひんやりした土が触れるのは熱くなった身体を冷やすのには丁度良くて。ここが真冬で冷え込んでいるシャドーラルであればこんなことはしなかっただろうが、生憎現在いるのは常夏のミラーアイランド。常夏故の元々高めな気温はどうしようもなく、オレらはしばらくはこの自然の冷却剤を手放せそうにない。
「ご苦労様、吸血鬼。これで今まで疎かになっていたのがマシになったっしょ」
「わかっているなら何故今までしてこなかった。時間に余裕がないこの状況下で、呑気にも程がある」
「こういうのは向き不向きがあんの。僕は正面からやる分にはいいけど、こいつら全員を一度に見るのは無理があんだよ」
なんて、その中でただ一人オスクだけはピンピンしている。
流石というべきか。多くの修羅場を潜り抜けてきたという言葉通り、この程度なんて準備運動くらいだと言わんばかりにオスクは息一つ乱れていない。オレを含めた他全員がギブアップ目前だというのに、その中でただ一人、いつもと同じように余裕をかましていた。
そして、まだ起き上がることも出来ないオレを見下ろし、馬鹿にしたようにため息を一つ。
「あーあ。いくら記憶が抜けて力半分になったとは言え、流石に無様だな。大丈夫なわけ?」
「これが大丈夫に見えるならお前の目は節穴だな……」
「それだけの口が叩けんならまだまだ平気そうだな」
「……訂正。節穴どころか穴だらけだな。老眼が大分進んでるようだし、金は出してやるから医者に診てもらえ」
「うっさい、年寄り扱いすんな! てかそれだけ嫌味返せんなら元気だろうが。さっさと起きなきゃ踏んづけてやるけど⁉︎」
「ハイハイ」
オスクといつものように互いを小突き合いながら、オレはなんとか身体を腕で支えて立ち上がる。
他の奴らもなんとか地面という冷却剤を手放して休憩を一旦終いにする。全員、まだ疲れが抜けきっておらず、足取りもふらふらと覚束ない。
それでもあまり綺麗と言えない地面に寝転がるよりかは、屋敷の中で休憩した方が断然いい。ここから屋敷までの距離は大したことではないが、くたびれ果てたオレらにとってはかなりの距離。今にも再び地面に倒れ込みそうな足に鞭打って、身体を引きずりながらもなんとか屋敷の中へと戻っていった。
「やーやー、お疲れさん! すごい音してたけど大丈夫かー、お前ら?」
「に、兄さん……」
屋敷の中に戻った途端、飛んできたのは能天気なことこの上ない声。その声の主、相変わらず空気を読んでないように見えるフリードの兄・グレイがオレらのことを出迎える。
まあ、グレイはただ単にここに遊びに来ただけ。出迎えるも何も、当然ながら自宅じゃないのだからオレらの訓練が終わるのを呑気に待っていたわけだし、出迎えるという言葉を使うのもおかしな話な気がするが。
「あのさ、兄さん。悪いけどみんなすごく疲れてるから……兄さんに付き合うのはもうちょっと後にしてほしいんだけど……」
「なんだよ、冷たいなー。じゃあそんな冷たい弟に兄さんからも冷たいプレゼントだ!」
「……は?」
訳がわからないことを言いだしたかと思うと、グレイは何やら大きな器をずいとオレらに突きつけてくる。
その器にあったのは真っ白で雪のようなふんわりとしたもの。それは器の上でこんもりと山を作りつつ、キラキラと輝く紅いシロップで彩られていた。
「グレイ特製・イチゴフラッペだ! 頑張ったご褒美には甘いものが一番だろ?」
「え、いきなり何?」
「いきなりってなー、お前らが訓練に励んでる間ずっと用意してたんだぞ? 俺も兄さんらしいことしなきゃ格好がつかないからな。あ、もちろん全員分用意してあるぞー」
「本当⁉︎ やったー!」
それを聞いたエメラは大喜び。早速、グレイからフラッペを受け取ると、シャクシャクと音を立てながら食べ始める。
最初は戸惑っていたオレらではあったが、フラッペから放たれる魅力と、自分の食欲には勝てない。せっかくグレイが用意してくれたんだ、オレらもエメラに続いてフラッペを有り難く頂戴することに。
「わっ、美味しい! 今だと余計に美味しく感じるわね!」
「うん。グレイお兄さん、ありがとう!」
「いいって、いいって。俺だけ待ってんのも退屈だったしな。吸血鬼くんも遠慮なく食ってくれよ!」
「あ、ああ。吸血鬼、くん……?」
カーミラやドラク、仲間達が次々と礼を言ってグレイもご満悦。
そんな中で妙な呼び方をされたことに戸惑いながら、レオンもフラッペを貰う。オレらを訓練させていたレオンも少なからず疲れていたのだろう、グレイに訝しげな視線を向けながらも器は素直に受け取っていた。
マイペースさは相変わらずだが、面倒見がやたらいいのもグレイの長所だ。さっきまでヘトヘトだった表情は、すっかりいつものような楽しげなものへと塗り変わっていた。
オレも椅子に腰掛け、フラッペを目の前に静かに置いた。
……ただ小さな氷の粒を積もらせただけの菓子。菓子といっても、エメラが日常で作るような手の込んだものとはまるで違う。シロップがかけられていなければただの氷同然、味なんかありゃしないものだから、オレはフラッペを好き好んで食べたりはしない。
だが、今だけは違う。口に入れた途端に水となって喉を通っていくそれはカラカラに渇いていたそこをたちまち潤し、甘いシロップは疲れた身体に染み渡り……
「……旨い」
この時ばかりは、この上なく美味に思えた。




