第125話 有象は失せ、無象は疼き(1)
大分本筋からこじれたが、ルジェリアへの説明も終わったことだし少しでも進展を、と気持ちを切り替えてさらに奥へ奥へと歩みを進めていく。
ここに、虚無の世界に来たのは今回が初めてだ。だからそんな初っ端から成果を期待するなんて期待するだけ無駄なことだろうけど、だからと言って手を抜くつもりは一切ない。僕は時間をかけすぎた、一刻も早くティアに関することをほんの一握りでもいいから掴み取りたいんだ。
「どれくらい歩いたんでしょうかね、今……」
「さあ? 地図なんか無いし。こうも真っ白じゃ、距離だってわかんなくなるし」
いつまで経っても変化を見せない景色にルジェリアもうんざりしている様子だった。
それも仕方ないとは思うけど。ここは虚無────空気以外世界の秩序がほぼ欠落しているも同然の空間だ。だから天と地という概念だってここじゃ意味を成さない。辛うじて、今足をつけている『地面』を認識するのが限界だ。
「んー、でも本当に何も無いなら先に進む意味があるんですか? 何も無いところを目指しても意味ないんじゃ」
「それだったらとっくに足を止めてるっての。でも、こいつはそうもいかない」
僕はそう言いつつ、手の中にある結晶をルジェリアに見せる。
淡く、頼りない弱々しい光ではあるけれど、相変わらずそれは決まった方向を指し示している。しかも、それは微弱だけどティアの魔力で……この先に確かにある『何か』を伝えようとしているのは事実だ。
「何も無い筈なのに、何かがあると結晶が示してる。まあ、こんな頼り無い手掛かりなんかに縋る僕もどうかしてるんだろうけど」
「でも、オスクさんは信じるんですよね」
「……ああ。何があるか検討もつかないけど、今はこれしか無いんでね」
ティアのものなのかすら、はっきりしないけど。何せあいつが行方不明になってから何百年も経ってるんだ、いくら僕でもティア本人の魔力を識別するための記憶が時間と共に薄れている。空白の時間が長すぎて自分じゃどうしようもなくなっている、それがまた悔しくもあるのだが。
これだ、とは断言出来ない……決して。でも何の手掛かりも無く、最初にレシスがしていたように確立が低いことを承知だとしても、あてもなくふらふら彷徨うよりかは進むべき方向が指定されてるだけで助かるんだ。
とはいえ形あるものはいつか壊れるもの。かつて世界の脅威であったこの結晶だってその例外じゃない。だからこうして、光が弱まってきたところを僕が叩こうとするのが何回も何回も続けば……
────パキッ。
「あっ」
「えっ⁉︎ こ、壊れちゃいましたよ、その結晶!」
結晶の寿命は割と早く訪れた。叩く前から内側にヒビが入っていたのか、魔力を込めていた僕の指先が触れた程度で呆気なくその形を失った。
「あーあ。ま、軽くだとしても魔力込めながらぺちぺち殴ってたらそりゃ壊れるわ」
「ど、ど、ど、どうするんですか! 道しるべ無くなっちゃいましたよ⁉︎」
「そう慌てなさんなって。僕がこれしきのアクシデント予想してなかったとでも思う?」
そう言いながら、僕は懐を弄る。やがて目的のものを見つけ出し、力任せにそれを持ち上げてそれを地面に放り出した。
ドスンと荒っぽい音を立てながら、僕の懐から離れたそれ。これにはルジェリアも見覚えあったから、すぐに気づいたらしく「あっ」と小さく声を上げた。
「それって……夢の世界にあった結晶の残骸じゃないですか!」
「ああ。元々は『滅び』の正体掴むために、って回収したけどさ。役に立つもんだなぁ」
僕は自分で作った腰ほどの直径があるカプセルをポンポンと叩く。『滅び』の情報収集として念のため保管していたが、まさかこんな用途に使うとは思わなかった。
備えあれば憂いなし、それはこういう時言うのだろう。備えの方向が違うのはともかくとして。
夢の世界にあった結晶は今まで見てきたものでも最大クラスだ。その分、カプセルの中に収められているのも大量。結晶が唯一の道しるべとなる今の状況下では、このくらいが丁度いい。
「というか、どこにそんな大きなもの入れてたんですか?」
「決まってんじゃん。お前の『身体』の移動倉庫もとい、カバンを拝借して持ってきておいた」
「……後でルージュに怒られますよ」
「鬼畜妖精モドキより沸点高いし、大丈夫っしょ」
「それはそれでルーザさんに殴られそうなんですけど……」
「別に本人がいないんだからいいじゃん。先を進むのが優先だし……と、その前に」
「……?」
不意に僕は言葉を切り、ルジェリアの背後に視線を移す。そして愛用の大剣を虚空から引きずり出し、言うが早いか視線の先を斬りつける!
「きゃあっ⁉︎」
「余所見すんな、って言ったじゃん」
もう、魔の手は迫ってきていた。ルジェリアの背後から、何も無い筈の『白』からボコリ、と音を立てて……まるで背景自体が生き物のように蠢いて、気持ちが目的から一瞬外れた隙を突いてルジェリアをその中に引きずり込もうとしていた。
ほんの数秒、たった一瞬、僅かな気持ちのズレでもこれだ。虚無など見せかけに過ぎない────周囲を覆い尽くす『白』は、今この瞬間でも僕らを取り込もうと動いている。
「ちょっとでも『ティアを探す』って目的を忘れたら、何するかわかったもんじゃないんだ。次は無いと思いなよ」
「こ、今回はオスクさんのせいじゃないですか!」
「助けたからチャラってことで」
「む〜!」
頰を風船のように膨らませて、不満だと訴えてくるルジェリア。僕は構わず、視線を前へと戻してまた光が指し示す方向へ歩いて行こうとする。
時間は有限だ。リミットは一時間、時計で確認出来ないにしてももう残りもそんなに余裕が無い筈だ。今のところ進展無し……少しでも何か掴み取りたいところではあるけれど。
……が。事態は思惑通り上手く運ばないのが世の常だ。
「────止まれ、ルジェリア」
「え、どうしたんですか?」
腕を横に伸ばし、進もうとしていたルジェリアを制す。突然のことにルジェリアは当然戸惑うが、それにいちいち反応を返していられない。
……気付いてしまったからだ。周囲に漂う気配が、突如として輪郭を持ち始めたから。無象であったものがさっきの出来事を起点として、さらに鋭利な刃となろうとしているから。
「お前は、特に感じないわけ?」
「え、えと……一体何を?」
「……『命あるもの』ではない、か」
命の大精霊であるルジェリアが特に察していないのなら、そうと特定出来る。
それがわかれば充分だ。こんな場所で、命は無いのにこうも大きな気配なんて……アレしか思い当たらない。
僕は大剣を構え直す。そうしてその牙を剥こうと、見た目は虚無でも確かな殺気を含ませる目の前に、僕はその切っ先を突き付けた。
────そして、それはカタチを持って現れる。




