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幻精鏡界録  作者: 月夜瑠璃
第10章 継承せしものーHoly night Romanceー
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第115話 私のトモダチ(2)

 

 ……誰、誰、誰?

 そんな疑問が止まることを知らず、私の中から溢れ出す。

 あるのは無。自分の意識の下で、過去の記憶を見せられて、それが終わって目の前は暗闇に包まれて。何も見えない、何も聞こえないその中で、自分の鼓動の音だけが大きく響いていて────


「────い、おい、ルージュ!」


「……わっ⁉︎」


 突如聞こえた、私を呼ぶ声。今までかつての記憶の底に沈んでいた私は、その声によって現実へと一気に引き戻された。

 目の前にあったのは、私とよく似た薄い灰色の顔。いつものように鋭い、それでもどこか心配そうにその蒼い目が私を覗き込んでいた。


「う、あ……ルーザ?」


「他にどう見えるんだよ。ともかく……さっきからぼーっとしてたが、大丈夫か?」


「う、うん……」


 ぎこちないながらも、私はルーザに頷いて見せる。

 本当は大丈夫じゃないのかもしれないけれど、他に何と言えば良かったのかもわからない。さっきまでの曖昧で、おぼろげで……それでいて懐かしいような思い出を何と言い表せば良かったのかわからないから。


「今のは……」


 あの記憶は……一体なんだったのだろう。思い返してみても不思議なことばかりだ。

 森で迷った時の記憶。それだけじゃ、だだ昔に経験した苦い思い出でしかないけれど、気にならずにはいられなかった。


 ……昔の私が会話していた、"あの子"という存在。その像がはっきりせず、存在すら曖昧だった相手で、私がトモダチと思っていた誰か。それに、森で迷ったことは覚えているのに、今の今までそのことをすっかり忘れていた。

 それなのに、今になって急に蘇ってきた。いきなり記憶が自分の中に流れ込んできたことにより、こめかみがズキリと痛んだ。


「うう……」


「お、おい!」


「えっ、ちょっと、大丈夫⁉︎」


 流れてくる記憶の渦に耐えきれず、私はその場にうずくまってしまう。

 私を心配したルーザとカーミラさんがかけてくれる声にも反応を返せない。さっきまで抜け落ちていた記憶が急に蘇ってきたことは、私の予想以上に圧をかけた。


 どうして、私は忘れてしまったのか。どんな存在にしろ、"あの子"という存在は過去の私を気にかけてくれて、心配してくれて、私を出口まで導いてくれたというのに。たとえそれがもう戻ってこないものだとしても、トモダチと思っていた相手をこんな綺麗さっぱり忘れてしまうなんて。


「思い、出せないの……」


「は? 何をだ?」


「この森であったこと……私がこの森で迷った時に助けてくれた相手のこと。昔、私が友達だって思っていた子のこと……」


「え? それはイアやエメラのことじゃないの?」


「違う……違うのっ。その時は2人のことも知らなかったから……。友達の定義があの時はまだよくわからなかったけど……でも!」


 話していく内にどんどん感情が高ぶっていく。

 自分がどうしようもないくらい、情け無くてたまらなかった。そんな大切なことをこうも簡単に忘れてしまった自分自身が。"あの子"という相手が一体誰なのか、どこから来たのか、どんな存在だったのかはまだわからない。それでも"あの子"は確かに私を助けてくれたんだ。


 その相手が、今はどこに行ってしまったのだろうか。何もかも忘れてしまった私に愛想を尽かしてしまったのもしれない────そう思うと余計に悲しい。

 昔の私のトモダチがいなくなってしまっていることに、自分の情けなさに。……それなのに、涙も溢れてこないのがまた悔しさをあおった。


「と、とりあえず落ち着きましょ? あたし達がそばにいるから、大丈夫よ」


「……はい」


 そんな私を見兼ねたカーミラさんが、私の背中を優しくさすってくれた。それまでどこか追い詰められていた私には、それだけのことでも安心感をもたらした。


 昔のことならば思い出せないことがあっても珍しくないだろう。私にもそれから色々なことがあったから、その影響でいつの間にか抜けてしまうことだって充分あり得る。

 それでも……この森での出来事だけがごっそり抜け落ちていたことはやはり不可解だ。みんなと出会う前の、姉さん以外に私が頼りにしていた相手……それがどんな存在だったにしろ、忘れていい筈がないのに。


「……何か手掛かりとかないのか? そいつの一部とか」


「一部?」


「例えば……姿はさっぱりでも、どんな声だったとか」


「あ、そっか! ええと……」


 ルーザにそう言われて、私はさっきの記憶を手繰り寄せる。

 姿は見てなくても、声は聞こえていた。じゃあ……声色で誰かがわかるんじゃないかと。


「あれ? でも……」


 そうしようとした瞬間に感じた違和感。確かに、思い返していても声は聞いていたことははっきりと覚えている。いや、正確には頭の中に響いてきたという方が近かったような……。

 まさか、念話……テレパシーみたいなもので? それが正しければその相手はあの場にいなかった。じゃあどこから……?


「うあ……」


 考えれば考えるほど、自分にのしかかる圧と頭痛が酷くなる。カーミラさんに支えられていたというのに身体がぐらりと傾いて、そのまま後ろに倒れ込みそうになる。


「ちょ、ちょっと……本当に大丈夫⁉︎ もう中に戻った方がいいんじゃ……」


「で、でもっ……!」


 カーミラさんに受け止められながらも、私は諦めきれないとばかりに森に手を伸ばす。


 ────思い出したい。"あの子"のことを、何としても。

 どんな存在だったのか、何者であろうが関係ない。過去に私を助けてくれた、友達でいてくれたというだけで理由は充分。それがかつて友人という関係であった私がするべきことだから。ほんの一欠片でもいい、何か……何か手掛かりを掴みたい。


 なのに、

 どうして、

 どうして私の身体はいうことを聞いてくれないの。


「やだ……」


 私の意思に反して、身体がどんどん重たくなる。足枷が付けられたように、上から重りが乗せられているように私の手は、足は、森から遠ざかっていくばかりで。

 まるで"あの子"に拒まれているようで……また悲しくなってしまう。


「……もういい。それ以上無理すんな」


「そんなっ……!」


 今まで黙って見ていたルーザの言葉に、私はショックを受ける。ばっさり切り捨てるような冷たい言い方に、私はルーザに対して珍しく怒りを覚えながら。

 どうしてそんな意地悪をいうのか、それも……こんな時に。悲しいながらもルーザにその気持ちを伝えるべく、キッと睨みつける。


 それでも、ルーザはため息をつきながら私の顔を真剣な眼差しで覗き込んできた。


「わかってる筈だろ、どんなにオレらが強く願っても記憶が蘇った試しなんか無いって。それで無理して倒れ込んだお前を黙って見てろってのか?」


「それは……」


「すぐに戻れば今だって苦労してねえよ。オレの性分じゃこんな言い方しか出来ないのは悪いと思うが……とにかく落ち着け。焦りすぎだ」


「……っ」


 ……言い返せなかった。本当に、その通りだったから。

 早く思い出したいと焦っていた。どんな存在だったのかを知りたいがあまり、自分を省みずに突っ込もうとしていたから。こんな状態でそうすればどうなるかなんて……予想するまでもないことだ。


「まあ、今じゃどうにもならないかもしれないが、いずれ思い出せるだろ。その後にプラエステンティアのこともあったし、その拍子に吹っ飛んだんじゃないのか?」


「そうよ、重く考えないで。あたしだってたまにあるわよ。自分で作っておいて、昨日の夕食何食べたっけ、とか!」


「……えて突っ込まないからな」


「……」


 そんな2人の励ますためなのか、素の会話なのかわからないやり取りをじっと見ていた。

 友達の記憶は私に取ってとても大きなものだ。それが城に篭っていた、プラエステンティアでの経験が足枷となっていた私には余計に。


 その思い出を思い出すためにもここで倒れてしまっては意味がない。思い出したいことには変わりないけれど……ゆっくりでもいいかな。

 そう考えを改めるとのしかかっていた重みも少し和らいで、2人のどこかズレた会話にクスッと笑みをこぼした。


「あ、やっと笑ってくれた。うんうん、ルージュには笑顔が一番よ」


「そう……かな」


「そうよ! ほら、もっともっと!」


「ひゃっ⁉︎ ちょっと……くすぐったいですって!」


 無理矢理にでも笑わせようと、私の垂れ下がった耳をこちょこちょといじってくるカーミラさん。普段触れることがないために言い表し難い刺激が耳から伝わってきて、ムズムズしてきた私は頭を思わず大きく振った。

 当然耳は大きく揺れて……私に目線を合わせていたカーミラさんの顔に、私の耳が思い切り直撃してしまった。


「あ、ごめんなさい。つい……」


「い、いいのよ。あ、ルージュの耳ってふわふわしてて気持ちいいわね」


「も、もう放してくださーい!」


「そんな馬鹿やってる暇があるんなら、とっとと中で休めよ……」


 懲りずに今度は感触を確かめてくるカーミラさんに抗議する私に、やれやれとルーザはため息をつき。すっかり元の雰囲気だ。

 まだ"あの子"との思い出への未練はあるけれど、さっきよりかは引きずらなくなっていた。いじくり回されながらも、気持ちを切り替えさせて2人に私はありがとう、とお礼を言う。そして、ようやくその場から歩き出せた。





「トモダチ、ね」


 ……そんな2人の後ろで、ルーザはこっそり呟く。何か心当たりがあるような、それでいて怪訝な表情を浮かべながら、


「────まさか、『お前』じゃないだろうな」


 と、誰にも気付かれることなくそう口にしたのだった。

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