第115話 私のトモダチ(1)
────あれはいつだったか。
多分、今から10年前くらい。私が……ルジェリアがまだ城にいた頃のこと。姉の許しをもらって中庭に出ていた日。
姉の過剰とも思える心配性のせいで、中庭すら中々出してもらえなかった私にとってはそれが唯一外出を楽しめる時間だった。中庭に出る許しを貰った時は、気が済むまで中庭で走り回った。
風を全身で受け止め、花の香りを楽しみ、噴水が作り出す小さな虹を眺めて。一人でも、一人なりに楽しんだ。
けれど、いつまでもそうとはいかない。出ることが何よりも楽しい時間ではあったけれど、何回も何回も繰り返していれば飽きてしまう。
時が経つことで咲き誇る花は時期によって全く違う花弁を見せるけれど、何度も何度も繰り返し見ていればいつかは慣れてしまう。
だから新しいものを求めて。目新しいものを見たくて。いつもと違う刺激を欲して。衛兵に見つからないよう、姉には内緒で、中庭の奥の森へと私達は入っていった。
「わあ……」
最初は楽しかった。中庭とは違う草木が生い茂り、コケやツルが巻きついた木の間を通り抜けて、初めて木漏れ日というものを浴びて。今まで同じ景色、同じ道しか見ていなかった私には全てが新鮮だった。
見知らぬ場所に来るだけで、胸は興奮で高鳴って。入る前は誰かに見つかってないかと緊張していたけれど、こうして何事もなく森に入れたのだからもう平気だろう。
もっと、もっとこの奥に行ってみたい。まだ私が知らないものももっと沢山見てみたい。だから、私達は森へ探検する気分で奥へと進んでいった。
それが……いけなかった。
「ここ、どこ……?」
……所詮、私は箱入り。私の知る外は中庭しか知らない。だから森に入って進めてたとしても、来た道が途中で分からなくなる。
どうやってここまで来たのかさえ、私には分からない。どんどん周りが暗くなる中で、木々の間を通り過ぎる風と、カァカァという寂しげな鳥の鳴き声だけが森に大きく響き渡る。
「怖くなんか……ないもん。一人だからって、こころぼそくなんかないもんっ……」
自分に言い聞かせるように、言葉だけは強がって見せる。たったそれだけのことでも、そうしなければとてもじゃないけど外をよく知らなかった、まだ城に篭るばかりだった頃の私には耐えられなかった。
いつもは衛兵や、姉さんがいたのに、今はそれもいない。それも当然、みんなの目を盗んでここまで来てしまったのだから。頼れる妖精もいない、帰り道もわからない。身体は恐怖で震えて、足も止まってしまう。
上を見上げてもあるのは木の葉のみ。ザワザワと音を立てるそれらは私をまるで嘲笑っているかのよう。
「うう……」
耐えきれず、その場にうずくまってしまう。今まで城では色んな妖精が声をかけてくれていたのに、そのあまりにも大きい落差のせいで。自分からやったことだと分かっていても、怖くてたまらない。
……誰も、いない。何も、見えない。何にも、聞こえない。視界は暗闇、音は無、温もりさえ忘れてしまったようで。
「おねえ、ちゃん……!」
届く筈も無い、それでも一番頼れる姉のことを呼ぶ。
それでもやはり姉に聞こえることはない。掠れた声は森のざわめきに呑まれてしまい、消えてしまう。
────一人。ずっと一人。最初からそうだ。そうだった、筈なのに。
【────】
……声が聞こえたんだ。いつも私が寂しい時に話しかけてくれる、"あの子"の声が。
こんな状況に陥ってしまった私に対して呆れているようで、それでも何処か心配してくれているようで。そこから紡がれる言葉は私を叱っているせいか大分トゲがあったけれど、"あの子"が実は優しいことを知っている私にはどうってことなかった。
「だ、大丈夫だもん……。おねえちゃんがいなくても、へいきだから……!」
【────、──】
「な、泣いてないっ! 泣いてなんかないからっ!」
【────?】
「もうっ……すこしは信じてくれたっていいのに」
私に対してかけられる訝しげな声に、私も頰を膨らませる。
いつもこんな感じだ。"あの子"はちょっぴり意地悪で、私の行動と言葉を中々信じてもらえない。それでもやはり心配してくれていたのだろう、強気に言い返し始めた私に、安堵してくれている気持ちが伝わってくる。
【──、────】
「え、こっち……? こっちに行けばいいの?」
そして、私が行くべき方向を指示してくれる"あの子"。腕を引かれて先導されるかのように、声に導かれるまま、私は"あの子"が指示してくれる方向へ歩き出した。
さっきまで一歩も動けなかったのが嘘のように、"あの子"の言葉で一歩、また一歩と踏み出していく。私が森の道を踏みしめて進んで行く度に薄暗かった森が、木漏れ日が射し込む場所が増えて明るくなっていっていることに、さっきまでの状況もあって酷く安心した。
……やっぱり、"あの子"は凄い。たまにキツいことも言うけれど、私をいつだって助けてくれた。いつもいつも、私の窮地を救ってくれた。
やがて森から出て、酷く慌てた様子で森から出てきた私を抱きしめてきた姉の腕の中で、私はそう思っていた。
「────そうだ。あの時、私……」
森に迷った時、確かに私は誰かと会話していた。森から出るまで呆れつつも励ましてくれて、私を導いてくれた相手。
それは姉さんじゃない。だって、そのことは姉さんには内緒だったから。森から出てきた私を慌てて抱きしめたことがその証拠、私が森に入っていたことは森から出てきて初めて知ったのだから。
「でも、それなら」
姉さんでなければ、あの声は誰のものだったのか。あの時……それまで城に篭りきりだった私には、友人らしい友人なんていなかったのに。イアもエメラも、ルーザでさえも、その存在すら知らなかったというのに。
じゃああの声は、あの相手は、一体誰だというのか。確かに私の横にいた気がするのに、その姿も思い出せない。
いや、そもそも隣にいたのだろうか? それすらもわからない。私の傍にいたことは確かでも、その相手がいた正確な場所がごっそり抜けている。
私を心配してくれた相手は。私を導いてくれたあの子は。私が信じていたトモダチは。
あなたは、お前は、君は、
「一体、誰────?」




