第111話 蝙蝠の来訪(2)
「ええっ、レオンさん⁉︎」
「な、な、なんでここに⁉︎」
「ふん、相変わらず騒がしい連中だな」
オレらがここにいる訳がない存在────吸血鬼・レオンがいることに驚きを隠せない中でレオンは一人、冷静に紅茶をすすっている。
目立たないようにするためなのか、その格好こそいつも身につけていたマントを取り去って軽装になっているが、あの金髪と血のような赤い瞳を見間違う筈もなく。カーミラとはまるっきり正反対の、アンブラに住まう吸血鬼が何故だかエメラのカフェに堂々と居座っていた。
カーミラだけはいることは最初からわかっていたようで、うんざりと言わんばかりにため息をついていたが。
「なんでお前がここにいるんだ? いや、いても別に構わないが、こんな真っ昼間な上に怪我もあるってのに」
「舐めるな。そこの失格吸血鬼とは違う、僕が体力を多少犠牲にして弱点を掻消せることを忘れたか?」
「そ、それは覚えてるけど、どうしてわざわざ?」
「貴様らがフェリアス行きの船に乗船できるようチケットの用意をせがまれた挙句、僕の言いつけすら守れない吸血鬼に制裁を、と思ってな」
レオンはルージュの質問に答えつつ、その目でカーミラのことをギロリと一睨み。カーミラはそんなレオンに言い返せず、指を突っつき合わせて気まずそうに縮こまってしまった。
まあ、それも仕方ないか……。カーミラはフェリアス王国から帰る時になるまで、レオンに飲めと課せられた血のノルマをすっかり忘れていたんだから。あれから少しは飲んだものの、結局半分も飲めなかったようだし。
「……が、それはあくまで建前だ。実を言えばそこの大精霊に呼び出されて赴いた」
「オスクに?」
「そう。これからのために話を着けておこうと思ってさ」
なんと、意外にもレオンを呼び出したのはオスクだった。
オスクがわざわざ呼び出すなんて滅多にないことだ。しかも、相手は今まで出会ってきた者の中で一番気難しい奴と言っても過言でない吸血鬼。レオンも、こうして素直に出向いていることからオスクが呼び出した理由もかなりのものなのだろうが。
オスクとレオン。両者には一見何の接点も無いように思えるが、最近のとある出来事をオレらは鮮明に覚えていた。
「オスク、レオンを呼び出した理由って……」
「ああ、そうだよ。ルージュに持たせたっていう、浄化の術を込めた結晶石のこと。勝手に術盗んだんだから、これくらいいいっしょ?」
「……許可無しに勝手に模したことは悪いと思っている。だが、それを叱るために呼び出した訳ではないだろう?」
「察しが良いことで。あの結晶石を量産出来ないか、それを聞くためにな」
……成る程、そういうことか。
確かに『滅び』に取り憑かれたアルヴィスから千切れた闇に呑まれそうになったルージュが助かったのは、レオンが持たせてくれた結晶石のおかげだった。
今、『滅び』はさらに侵攻しているし、ルージュのようなことがこれからも起こらなくはない。オレとルージュは立場上、『滅び』に最も狙われている存在だし、保険をかけておく意味でもオスクはあの技術が必要だと思ったのだろう。急にあんなことされたら、流石のオスクでも対応しきれないから。
「術を模倣するだけでも随分かかったなら、次は僕が直接結晶石に込めればいいだけだし。お前が使った結晶石と、その方法を聞きたいってわけ」
「それならば時間も魔力も以前より削減出来るが……方法を編み出すのにもかなりの時と苦労を費やした。それを無条件で渡すというのは虫が良すぎる」
「わかってるっての。だから対価も考えてあるし。例えば……」
オスクは不意に言葉を切ると、自分の首を指差す。
「首のアザを完全に治すとか。まだじんじんしてるっしょ?」
「……気づいていたのか」
「まあね。これでもお前の倍は生きてる大精霊だぞ? 甘く見んなっての」
……っ! レオンのやつ、まだアザが痛んでいたのか?
オスクの言葉で全員の心配そうな眼差しがレオンに向けられる。カーミラもそれは知らなかったようで、びっくりという視線を向けていた。
「レオン……あなたまさか、ずっと痛みを堪えていたというの?」
「何を今更。あれがただの傷ではないことなんて最初からわかっていたことだ」
「『滅び』から直接受けた傷が、あんな応急処置で治るわけないじゃん。術を模倣したのは自分のためでもあったわけなんじゃないの? 痛みくらいなら多少誤魔化せるっしょ」
「ああ。だが、それでも完全にとはいかない。体力は戻りつつあっても、ふと思い出したように首を締め付けてくる」
「なんでもっと早く言わないのよ⁉︎ あたしにも何かできることがあったかもしれないじゃない!」
「……言ったところで何になる。どんな手を施しても治らなかった傷を、僕より力が弱いお前如きに何が出来る」
「で、でも……!」
カーミラですら、今までレオンが苦しんでいたことを悔いていた。それはオレらも同様、助けてもらっておいてレオンがずっとアザの痛みと戦い続けていたことを知らず、呑気に過ごしていたなんて。
だが、そんな中でもオスクだけは余裕そうな笑みをかましていた。
「それを技術を教えてもらう対価で治してやるって言ってんじゃん。それに苦しめられてきたんなら、結構な対価だと思うんだけど?」
「確かに、このアザが無くなれば力も取り戻せる。しかし……どうやって治すつもりだ? それを事前に知らなければ、取引は無しだ」
「もちろんあるっての。ルージュの力を使うのさ。不完全つっても命の大精霊だ。王笏もエレメントが半分は集まってるし、理屈では可能だけど」
「え、私が治せるの?」
オスクのその言葉に、名指しされた本人が一番疑問に思っている。だがオスクには想定内だったようで、頷きながら説明を続けた。
「そりゃ、今の妖精の姿じゃ無理あるけど、ライヤの姿を写せば問題ないし。それを王笏で補助すれば昔以上の力出せる筈さ。まあ、最終的にはお前の意思で決まるけど……どうすんの?」
……野暮な質問だ。どうせ、ルージュからの答えは分かっているというのに。
カグヤの時と、アルヴィスの時と。オレが知らない間でも、ルージュはレオンに何度も助けられている。それに優しいあいつが、レオンが苦しんでいると聞けば放っておく筈がない。
もちろん、ルージュはオスクの問いに迷うことなく深く頷いた。
「断るわけないよ。レオンにはもう何度も助けてもらったんだから、それが少しでも恩返しになるならやらせて!」
「なら、良し。お前はどうなのさ、吸血鬼」
「……いいだろう。僕も早急にこの忌々しいアザと別れを告げたい。僕を利用してくれた『滅び』に制裁を与える意味でもな」
「取引成立ってわけ。ま、こっちも助かる案件ではあるから、素直に礼言っとくよ」
レオンが条件を呑んだことにオスクは満足そうに頷く。
確かにレオンが作った結晶石があれば、以前のルージュの時のような事態が起こっても助かる可能性が高まる。絶対、とは言い切れなくても効き目はルージュによって実証されているし、オスク達にも認められるだけの効力がある。
最近になってますます『滅び』が侵攻している今、レオンの結晶石はこれから先の戦いでも手放せないものになるだろう。
最初こそ敵対していたレオンだが、そんな相手でも今では『滅び』という敵のため、力を貸してくれている。オレも出会ったばかりの頃は信用していなかったが、今ではレオンに向ける疑心など欠片も無い。
レオンを仲間として見られている。オレは割りきることが苦手なだけあり、その心境の変化が自分でも嬉しくなる。
「んじゃ、お前のアザを治してから取り掛かるとするか。日を追って教えてよ」
「ふん……わかった」
「あ、じゃあレオンもしばらくはここに留まる感じかな?」
「そうなるだろうな。教える度にいちいち世界を経由するのも面倒だ」
確かに、時間がかかる作業というのをわかりきっているのに、手順一つを教えるのにいちいちアンブラ公国に戻るのは非効率的だ。レオンも最初から、しばらくミラーアイランドで過ごすつもりだったのかもしれない。
レオンには助けてもらったし……ここで泊まるのなら、知り合いの家の方がいい筈。そう思って、オレとルージュは顔を見合わせてうなずく。
「じゃあ、私の屋敷で泊まっていきなよ。部屋は空いてるし、ルーザ達もいるから」
「……吸血鬼相手に、泊まっていいというのはどうなんだ? 女としても、もう少し危機感を持つべきところだろ」
「素直じゃねえな。こういうのは潔く首を縦に振っとけばいいってのに」
「うん。私、お礼がしたいだけだから。レオンにはいっぱい助けてもらったから、アザを治すだけじゃ釣り合わないもの。だから、今までの恩返しさせて」
「……っ。まあ、そこまで言うのなら……」
ルージュに屈託のない笑顔を向けられ、折れたレオンは顔を背ける。……その色白の頬を、ほんのり赤く染めながら。
「うっ、この前色々助けてもらったから、間に入れねぇ……!」
「先に盗られてもオレは知らないぞ」
……と、誰かさんの恋路がまた遠ざかってしまったのは別の話。




