第110話 節目を迎え(2)
「……あ、そうだ。ルージュの成績はどうだったんだ?」
「えっ!」
不意にルージュの成績をスルーしていたことを思い出し、それを起点にオレら全員の視線がルージュの方向へ。が、当の本人は何やら焦ったように成績表を机の中に隠してしまった。
ん? なんだ、あいつらしくない。担任にも特に注意はされていなかったし、悪い成績ではない筈だろうに。
「なに慌ててんのさ、潔く見せなっての」
「あっ、ちょっと!」
成績の価値なんてさっぱり理解してないオスクは一切の遠慮もなく、ルージュの机から成績表を引っ張りだしてしまった。
ルージュの抵抗も虚しく、そのままオスクはそれをまじまじと見つめ、数秒後に首を傾げる。
「んー? 『B』って書かれてるけど」
「「「えっ」」」
それを聞いた途端、オレとフリードとドラクは驚いてルージュを見る。だが、当の本人は顔を自分の瞳と同じくらい真っ赤に染めて、恥ずかしそうに縮こまるばかり。
ルージュは読書家で、それ故に様々な知識を本から仕入れているし、頭の回転も速い方。それなのに成績はど真ん中のB。ルージュのことだからもっと上かとばかりに思っていたのだが……。
「ああ……ルージュ、またやっちゃったの?」
「うう、だって……」
そんなオレら3人とは逆に、何か知っているらしいエメラとイアは苦笑い。ルージュは驚きと哀れみの視線を浴びて、がっくり落ち込んでしまった。
「なんか事情でもあるのか? ルージュの成績」
「うん。ほら、ルージュってここに来る前はプラエステンティア学園に通ってたでしょ? でも色々あったせいでまともに授業受けられる状況じゃなくて」
「そのせいで下の学年でやる基礎事項がさっぱりらしくてな。理屈はわかってるから、論述とかの応用はできてるみたいだけど」
「ああ……そういうことか」
2人の説明のおかげで納得がいった。
確かに、ルージュはプラエステンティアで複雑な事情を抱えている。そんな状況下で授業なんてまともに受けられる筈がない。それが今になって、基礎ができないままという事態になっているんだろう。
基礎はさっぱりなのに、応用が解けているのは普段の読書の成果の賜物なんだろうか。本人はあまり嬉しくないようだが。
「復習はしてるんだよ? してるけど……授業も進んじゃうから間に合わなくて。姉さんになんとかしたいっていっても、応用はできているから問題無いじゃないですか、なんて言われてちっとも解決しないし……」
「ああ、あのお気楽女王なら言いかねないな……」
「じゃ、じゃあルージュさんも復習一緒にどうでしょうか? 全部は無理でも、重要なところだけ抑えるとか!」
「うん、そうする……。ありがとう、フリード」
このままじゃ駄目だと思ったのだろう、ルージュはフリードの提案に迷うことなく頷く。
ルージュがまともに学校に通っていなかった3年分の授業は、基礎だけでも膨大な量だ。それを数ヶ月でなんとかするのも難しいだろうが……ルージュは真面目だし、イアとは違って挽回は充分にできるだろう。
「でもみんな実技の成績は良かったよね。苦手なわたしも『B+』は取れてたし」
「まあ、あれだけ大きな魔物やガーディアンの相手してればね」
不意にエメラとドラクがそう呟いたように、オレらの実技の成績はエメラを除いて全員が『A』を取れていた。その中でもオレとルージュ、イアはプラスも付いているという結果に。
オレは以前から実技は最高評価を取れていたのだが、このメンバー全員が実技に関してはほぼ文句なしと優秀な成績を収めたわけで。『滅び』を相手していれば当然かもしれないが……それを素直に喜んでいいかは微妙なところだ。
だが、最高評価といえど所詮は学校の基準での評価。最近になって『滅び』がさらに侵攻してきている影響か敵の勢いもますます増してきているし、ルージュの裏の人格の相手もギリギリどころかオスクがいなくちゃ危うくやられそうになるまで追い詰められ。正直なところ、各々で力不足を感じ始めていた。
今のままでは『滅び』に勝てない……敵に翻弄されたことで、それを嫌でも思い知らされていた。
「よし、みんなそれぞれ成績に思うところがあるだろうが、まだやらなくちゃいけないことがあるぞ」
「あっ、そうだった!」
「大掃除か〜、頑張んねえとな」
担任に次の予定を告げられて、エメラとイアが椅子から立ち上がり、ルージュは早速掃除用具を取りに行こうと行動し始める。
大掃除、か。やらなくちゃいけないことはわかってたが、こんなボロい学校だ。考えるだけで骨が折れそうだ。
「大掃除……僕らは何すればいいんだろう?」
「床掃除に、窓拭きに、あと壁も拭かなくちゃですよね」
「掃除場所挙げるだけでもキリがねえな……」
元々が少人数だから、オレらのような影の世界からの生徒が加わっても大変なのが目に見える。ここのボロさは筋金入り、小さな学校だからといってすぐに済む程楽じゃないだろう。
「うん、もちろんそれもするけど、まずやることがあって。はいこれ」
「……は?」
ルージュに差し出されたそれを見て、オレら3人は思わず首を傾げた。
何故かと言えば、ルージュに手渡されたのは金槌に数本の釘と、一体どこに使うのか全く用途がわからない木の板。どう見ても掃除用具には程遠い道具一式にオレら3人はおろか、影の世界からの生徒は全員揃ってぽかんとする。
「えっと……この道具で掃除って、全く見当がつかないんだけど」
「う、うん。この道具で一体何をすればいいんでしょうか」
「決まってんじゃん、床とか壁とか補強すんだよ」
なんていって呆気にとられているオレらを他所に、まるで当たり前と言わんばかりにイアのその言葉を合図にルージュとエメラもその場にしゃがみ込む。そして、痛んでいる床や壁を見定めては金槌を振り上げて、そこに木の板を重ねて釘でそれを打ち付けていった。
どう見ても生徒がやるような作業じゃないというのに、それを全く思わせない程ここの生徒は手馴れていて。ルージュも、最早慣れっこなのか疑問の一つも口にせず、黙々と作業をこなしていく。
「えっと……なんかの業者の集まりか、ここは?」
「ど、どうでしょうね……」
「この数ヶ月で色々痛んでるから。ルーザ達も手伝って、帰るのが遅くなっちゃう」
「やるしかねえか……」
そう言われると断れない。ほんの数ヶ月とはいえ、この学校にも世話になった。その礼の意味でも頑張って補強しようと、オレらもルージュ達に習って金槌を片手にしゃがみ込む。
「妖精は随分真面目だなぁ。じゃあ頑張れよ、僕は先に帰る」
「コラ待て。お前もやるんだよ」
作業が面倒そうだからと、どさくさに紛れて逃げようとするオスクの肩を掴む。
オスクだって授業は受けていなくても、学校には来ていたんだ。作業しなくてもいい理由なんてない。
「……はあ⁉︎ 僕は見に来ただけなんだから、そんなことする必要ないだろ!」
「そんなの理由になるか。覗きに来てる以上、潔く掃除するんだな」
「この恩知らず! 『裏』の件で助けてやったってのにさぁ!」
「それとこれとは話が別だ。さっさと道具待て、それでも逃げるってんなら後でレシスに言いつけんぞ」
「こいつっ……あとで覚えてろよ!」
と、悪態をつきつつもレシスにどやされるのは御免なのか、渋々道具を受け取って作業し始めるオスク。裏の件で見直したってのに、これじゃあ元の若干締まらない印象に逆戻りだ。
苛立ちのまま、乱暴に金槌を振り上げるせいで隣からやたらガンガンうるさいのだけは迷惑なんだが。まあ素直に手伝っているし、良しとするか。
そうして学校の大掃除は進んでいく。水拭き用のバケツの水をひっくり返してしまって騒いだり、大量のホコリにクラス全員で咳き込んだり。それでも、たまに談笑を交えては皆で明るく笑いあったりする……そんななんの変哲も無い和やかなこの時間は、今まで散々な目に遭ったせいで久々に感じてしまう。
もう学期末ではあるが、まだ取り返せる時点ではある。せめて今だけは使命だのなんだのは忘れるか……と、オレは最後の釘を打ち付け、カンッという一際大きな音を教室に響かせた。




