Re:紅い月に照らされて(1)
────常夜に閉ざされ、紅い月の光が照らし出すアンブラ公国。誰が見ても妖しいと思うであろう空気に包まれ、何処か禍々しささえ漂うその国。
だが、この国の中央に鎮座する火山から少し離れた場所に位置する屋敷では、その雰囲気を覆す程の明るい声が響き渡る。
「ん〜! 気持ちの良い朝ね!」
あたし────カーミラは空に浮かぶ大きな紅い月を見上げ、大きく伸びをして身体をほぐす。
とはいえ、朝といってもここは夜が明けない国。時計がどの時間を指し示そうと、空の暗闇が晴れることは決してない。でも、それも慣れの問題……これが日常である自分にはどれだけ暗かろうが関係ない。
一応吸血鬼であるあたしが朝に起きるなんておかしいのかもしれないけど、あたしにとってはこれが普通。
吸血鬼以外、大抵寝静まってしまう時間に起きるなんてなんだか寂しくて。一人で夜を過ごすなんて耐えられないから……もう朝の時間に起きるのはあたしの中で当たり前になっていた。
「じゃあ、お決まりのやらなくちゃね」
空は暗くても、気分くらいは明るくいかなくっちゃ。そう思いながらあたしは首のチョーカーにあるロケットペンダントであるハートのチャームを外し、その中にあるものを見つめて、
「今日も頑張ります、お母様!」
そこに収められている、今は亡き大切な家族の顔を確認すること、これがあたしの朝の日課。今はもう会えないけど……大好きな気持ちはいつまでも変わらない。お母様の絵を見る度に、あたしは笑みがこぼれた。
「さあ、今日もやるわよ〜!」
と、あたしは箒を手に取って今日も今日とて重大任務を遂行し始めた。
「えっと、まずは朝食の準備と、その後に廊下のお掃除しなくちゃ」
そうして、あたしはこれからやるべきことを順序立てして始めていく。
この屋敷の家事と掃除を全てこなすこと……それがあたしの役目。誰になんと言われても、あたしはその仕事を絶対に果たすんだ。そんな、やることは小さくてもあたしの中には大きな使命感があった。
お父様には最初反対された。娘にそんなことさせたくないと。ましてやこんな大きな屋敷のことを、ならば使用人を雇うべきだと。でも、あたしは断固としてそれを聞き入れなかった。
……あたしは病気になってしまったお父様を支えたいだけ。愛してくれて、お母様がいなくなっても泣き言の一つも口にせず育ててくれた恩返しをするだけ。何回も何回も説得して、それが数え切れない回数になった時にようやくお父様は認めてくれた。
「だって、部外者には任せられないもの」
吸血鬼は忌み嫌われている種族、それはあたしでもよく分かってる。昔なんて、自分の飢えを満たすために他の種族を手当たり次第に攫っていたようだから、嫌われて当然だ。
それは、多少は落ち着いた今でも変わらない……今でも怖がられて、この屋敷にお客様なんか滅多に来ないし。
お父様は今、病気の身。使用人という立場を利用してお父様に近づいて、命を狙う可能性も否定出来ない。警戒しすぎかもしれないけど、用心することに越したことはない。
あたしはもう家族を失いたくない。だからお父様に負担をかけないよう、自分で出来ることを極力やりたいんだ。
「……よし、出来たわ!」
そうしている間に朝食が出来上がった。
早速それをお父様の眠る棺がある部屋に持っていき、お父様を起こしてからテーブルを囲んで食べ始める。
いつものことだというのに、お父様は毎日申し訳なさそうに表情を歪めて朝食を口に運んでいる。そんなお父様が見ていられず、その度にあたしは大丈夫だと精一杯の笑顔を見せてお父様を励まして。……そしてその度にお父様の身体が早く良くなりますように、と願う。それがあたしの日常だった。
でも、それはある日を境に変化が訪れた────
それは何でもない日……というのは間違い。この屋敷に、この国に少々の異変を感じ始めた頃のこと。
その異変というのが……
「きゃっ⁉︎」
掃除の最中、突然ぐらりと足元が揺れる。あたしは反射的にバランスを取り、なんとか転ばずに済んだ。
今のはあたしの足元がもつれたとかじゃない。地面自体が揺れている……即ち、地震。
「もう、またなの……?」
体勢を戻しつつ、あたしは思わず不安げにそう零した。
ここ数日、ずっとこの調子だ。最近になって地震が異常に増えた気がする。最初は国の中央に大きな火山があるから仕方ないとは思っていたけど、それが毎日に続いて……さらに回数も増えてくれば流石に心配になってくる。お父様も、揺れで起きてしまうことが多くなったと言っていたような。
もしも火山が揺れの発生源だとすれば、噴火の可能性がある。それが大規模になるなら、何か対策をしなければマズいことになる。
あたしだけでも、魔法具を付けて火山の様子を見に行った方がいいのか。でも一人じゃ不安というか、絶対に無理だという変な自信がある……。
「こうも揺れてると、花瓶も引っ込めておいた方がいいわね」
あたしが黒だらけの屋敷の内装を少しでも華やかにしようと飾っているバラの花達。それらをしまうと屋敷の中が地味になってしまうけれど、それも地震で花瓶が落ちて割れてしまうのは悲しい。
忘れてしまわない内に早速片付けてしまおう。そう思って箒を一旦元の場所に戻そうとした、その時。
「あら、何かしら?」
何か物音が聞こえたような気がした。お父様の部屋じゃない、もっと別の方向から。
気になるわね……そう思って、あたしは耳を頼りに音の発生源を目指して廊下を駆け出した。
「あっ、これ……!」
走って、走って、走ったその先で見つけたもの。屋敷の正面玄関に何やら無数の足跡が残っていた。
それも一つじゃない……妖精のものだと思われる足跡や、精霊らしき大きめの足跡まで。そしてそれらの足跡は玄関から何かを探すように、四つに分かれて廊下へと続いて……やがて土が落ちて消えていた。
まさか侵入者……、それとも泥棒⁉︎
「って、それは無いわよね」
もし泥棒とかだったらこんな真正面から入らず、裏手にこっそり回り込むだろうから。それにここは吸血鬼の屋敷────お父様だって、昔はあらゆる種族を恐怖に陥れたヴァンパイア。大抵の者は真正面から入るなんて、入る前から怖がっちゃうから。
でも、これらの足元はそれをまるで知らないかのように玄関からずんずん進んでいるように見える。もしかしたら、この屋敷に何か用があって来たのかもしれない。
「あっ、それじゃあ見つけないと!」
ここはあたしでもたまに迷いそうになる程の、迷路みたいな屋敷。もしここで迷子になんてなられたら……ずっと見つからないなんて可能性もある。
「あっ、花瓶……って、あとあと!」
そんなことを呟きながら、あたしは箒を放り出して一つの足跡を追跡し始めた。
足跡は途中で途切れてしまっているけれど、幸い追跡している足跡が向かった先は特に分岐がない廊下。これならいつかは追い付いて見つけられる筈だ。
「ここにもいない……」
廊下を走りながら部屋の一つ一つを確認して、屋敷を訪ねて来たらしい人物を探していく。でも、あたしが追いかけてくるよりも大分前に入ってきていたらしく、なかなか見つからない。
複数人いるようだから、一人でも見つかれば話を聞けそうなのに。
「もう、どこにいるのかしら……!」
その作業も回数を重ねていく内に、あたしもだんだんイライラしてきた。バンッという扉を閉める荒々しい音がやけに大きく廊下に響き渡る。
次の部屋は……ワイン蔵だ。ワイン樽しかない部屋だから、相手もその中を長い時間をかけて調べようとはしないだろうし、ここにいる可能性は低い。
でも、一応調べなきゃ。そう思ってあたしはワイン蔵の扉を押し開ける。ギギ……と低い悲鳴を上げながら扉が開ききり、ワインの香りがフッと漂ってきたかと思うと……
「あっ⁉︎」
そこには……あたしの予想に反して誰かがいた。見た目は耳が垂れた、灰色のウサギのような妖精。ここで何かあったのか、その妖精はワイン蔵の真ん中に、うつ伏せで倒れていた。
「ちょっと、大丈夫⁉︎」
すぐさま駆け寄り、呼び掛けてみるも返事がない。そっと身体を起こしてみると、どうやら気絶しているようだ。
「は、早く運ばなきゃ……!」
どうしてこんなところで倒れていたのか気がかりだけど、今はそんな場合じゃない。あたしはその妖精を抱えて、とりあえずワイン蔵の外へと運びだした。
それからその妖精の介抱をしようと、廊下まで運び出してそこにそっと寝かせる。
確か、この近くに簡単な治療道具があった筈よね。それを思い出して早速取りに行こうとする前に、あたしはその妖精にちょっと待っててね、と声をかける。けど……それよりも妖精が目覚める方が早かった。
「あ……」
「ん。ここ、は……?」
妖精は気絶してからの記憶の整理が追いついていないようで、横たわったまま視線の先をぼんやりと眺めていた。
これは……挨拶の方が先ね。そう思いながら、あたしは腰を屈めて、一言。
「あら、お目覚めかしら?」
────それが、『彼女』との出会いだった。




