第106話 微笑せし悪夢(1)
長かった戦いも終わり、全員が武器を収め終わってから。オスクがいつの間にかアルヴィスさんの懐にあった黒い結晶も浄化してくれて、やっと騒動も沈静化した頃にようやくフェリアスへ出向いた目的を果たせる準備が整った。
私達一行の正面にベアトリクスさん、その横に側近である衛兵……アルヴィスさんが立つという、昨日と同じ体勢で。そして、アルヴィスさんがベアトリクスさんにエレメントを手渡した。やはり『滅び』にそそのかされて、アルヴィスさんが持ち出していたらしい。
「陛下、こちらがエレメントになります。誠に申し訳ございません……」
「うむ、確かに。しかし、アルヴィスもいい加減顔を上げよ。貴女らに無礼であろう」
「は、はい。すみません」
ベアトリクスさんの説得もあり、ようやく立ち直れたアルヴィスさんも顔を上げて、一歩下がってベアトリクスさんの動向を見守る体勢へと切り替える。
そしてエレメントを受け取ったベアトリクスさんは私達に向き直り、私達と視線を合わせる。
そして、ベアトリクスさんのエレメントはふんわりと優しく淡い光に包まれた、流れる曲線を描く宝石のような見た目をしていた。
その光は儚げではあるけれど、エレメントを守るように包み込んでいて……目では捉えきれない強さがあるような、なんとも風らしい雰囲気だった。
「これが我がエレメントだ。王笏に収めれば風と雷、双方の力を一時的に貴女らに行使できるようになるだろう。今はこれくらいの力添えが限界だが、必要であればいつでも力を貸そう」
「はい、ありがとうございます」
「礼には及ばぬ。貴女らにはアルヴィスを救ってもらったという大恩がある。それを少し返すまでのこと」
ベアトリクスさんの言葉に、後ろのアルヴィスさんも深く頷いてくれた。昨日とは打って変わり、柔らかな表情で。疑いの眼差しももうそこにはなく、オスクでなくても笑みを返してくれるようになった。
……認めてくれた。それがわかるその表情は嬉しいと同時に、少し照れくさい気もしたけれど、やっと勝てたんだと気分も明るくなる。
「では、エレメントを王笏に収めるとしよう。王笏を構えて欲しい」
「はい!」
私はベアトリクスさんから少し距離を取り、カバンから取り出したゴッドセプターをその正面で構えた。
精霊の身体になったことで王笏をルーザと2人掛かりで構える必要もなくなり、今回は私だけで支える体勢。妖精の身体でこの王笏を使うのは扱いづらいし、戦いだと隙を生む要因にもなるから、これからは精霊の身体になってから王笏を使った方がいいかも。
私がそんなことを考えている間に、ベアトリクスさんはエレメントを宙に浮かせ、収める用意を整える。そして私と顔を見合わせ、頷くとエレメントを王笏に向かって飛ばした。
ガンッ! と大きな音を立てて王笏にはまるエレメント。そして王笏を見てみると……収められたばかりの風のエレメントは、他の四つのエレメントの光と合わさり、眩い光を放っていた。
「……ふう」
思わず、息をつく。
────これで、五つ目。収めるべきエレメントは全てで九つ。今、ようやく折り返しまで来る事が出来たんだ……。
「やったぜ、これで目的達成だな!」
「一時はどうなるかと思ったけど……エレメント一つ譲ってもらうのにもかなりの苦労ね」
「今回はここまで来るのに大分時間を費やしたからな。まあ元凶も一つ潰せたし、良しとしますか」
確かにカーミラさんとオスクのいう通り、今回はここに辿り着くまで随分時間がかかった。
初日は祈祷の儀式があって城に入れず、2日目はエレメントの代わりを調達する必要があり、そして今日はアルヴィスさんを助け出す……という、滞在時間時間こそ3日とあまり長くはなくても、それ以上に長くかかった気がした。
でもまあ、こうしてアルヴィスさんの信用を勝ち取れて、エレメントもこうして王笏に収められたのだから、戦利品としては充分すぎるものだ。
今回の成果の嬉しさに浸ろうとしている時、アルヴィスさんが私達に歩み寄って深々と頭を下げた。
「……貴方方には本当に申し訳ないことをしました。自分より劣っていると勝手に決めつけたばかりに、災いに付け込まれて手を上げる真似をしてしまった」
「いえ、いいですよ。アルヴィスさんが悪いんじゃありません、本当に悪いのはアルヴィスさんのベアトリクスさんと国を思う心を利用した『滅び』なんですから」
アルヴィスさんは『滅び』に私達への疑心を煽られただけだ。しかも自らはアルヴィスさんの影に隠れてエレメントを盗んだこと、ベアトリクスさんに剣を向けたことを全て擦りつけるような言葉と行動をアルヴィスさんに強要した。
卑劣と称する以外の何物でもない、『滅び』のアルヴィスさんへの仕打ち。こうして助けられたとしても少なからず心に傷を負わせて、これで嫌悪を向けずして何になるだろう。
「しかし、私は貴方方を疑った。『滅び』に利用されたことが事実であっても、その疑心も真実。王ですら信じられたというのに、私は……!」
「……アルヴィスさんが信じたくても信じられないという気持ち、私には凄くわかります。私もそうだったから」
私がそういうと、アルヴィスさんは驚いたように私を見る。
心底意外だというように。でも、それに嘘はない。本当のことなのだから。
友達を信じきられず、相談もせずに一人で突っ走って、挙句にルーザとオスクを傷つけてしまった。たとえそれが裏の人格のせいだったとしても。自分の意思でなくても自分がしたことには変わらない。私もしばらく罪悪感に苛まれて立ち直れなかった。
……今のアルヴィスさんと同じ。今回のことと、以前の狂気に呑まれた時のことを、私は自然と重ねていた。
「でも、やってしまったことはどうしても変えられないです。だから、さっきベアトリクスさんが言ったように償っていくしかないんだと思います」
「王が、申したように……」
「それに、こういう時は謝るんじゃなくて『ありがとう』って言って欲しいです」
謝られてばかりじゃ、気分も落ち込んでしまう。だからこんな時こそ明るく気持ちを切り替えなきゃ。
その第一歩として、まずはその謝罪の言葉を感謝の言葉に切り替えて欲しいから。
「そう……ですな。感謝致します、ルジェリア殿。貴方方の御助力のおかげで陛下が納得される結果を出すことが出来た」
顔を上げて、笑みを浮かべながら。アルヴィスさんはようやく振り切れたようにそう言ってくれた。
「このご恩は忘れませぬ。手が足りなければ、いつでも申していただきたい。災いにこれ以上好き勝手をさせないためにも。そして、貴方を救ったという吸血鬼殿にもこの礼をお伝え願えますかな?」
「はい、レオンにもちゃんと言っておきます。あの結晶石のおかげでアルヴィスさんも助けられたって」
「……心より感謝申し上げる、ルジェリア殿。感謝を」
アルヴィスさんの言葉に大きく頷いた。
そう……前を向かなくちゃいけない。どんなことがあっても、いつまでも振り向いている余裕はない。放っておけばさらに『滅び』は侵食して、これ以上の被害を出すのかもしれないのだから。
『滅び』が次、何処を攻めてくるか……それは誰にもわからない。だからこそ、いつ来てもいいように体勢を整える他ないんだ。
「私も卿と同意見だ。我らはもう災いに立ち向かう同士。いざとなれば、政務を放り出してでも駆け付けよう」
「へ、陛下。それは流石に困るのですが……」
「ふふ、冗談だ。しかし、万が一の時には災いの件を優先することになるだろう。その時は国を任せたぞ、アルヴィス」
「はっ、仰せのままに」
冗談を交えならがも、2人の表情は晴れやかだ。
そして、最後にベアトリクスさんが締めくくりと言わんばかりに私達に向き直った。2日前と同じ体勢を取り、王としての言葉を紡ぐために。
「貴女らはもうここを離れることになろうが、私達が仲間ということに偽りはない。困難もあるだろうが、それが潰れることはないと信じてる。貴女らの意思、認めた私を後悔させてくれるな」
「はい……!」
「……ああ」
「オスク殿も。どうか、ルジェリア殿らのことを頼む。災いを討ち滅ぼすその時まで、この者達が旅路の途中で力尽きることがないように傍で見守っていてほしい」
「わかってるっての。それだけは放り出すわけにはいかないんだし」
深く頷く私とルーザ、そしてぷいっと顔を背けながら返事をするオスクにベアトリクスさんは満足げに笑みを浮かべた。
しばらくはベアトリクスさん達にも会えなくなるけれど、私達はもう仲間なんだ。それは絶対に変えられないことなのだから。
目的を果たしたことだし、もう時刻も夕方に差しかかろうとしていた。
かなり長い時間、城にいたこともあって疲れも感じていた。少しでも身体を休めるためにも、今日はもうホテルに戻ることに。私達はベアトリクスさんとアルヴィスさんに何度も振り返ってお礼を言いながら、城を後にした。
「……まさか、あの者達が伝承の大精霊だったとは」
……一行の姿が見えなくなってから、アルヴィスは不意にそう漏らした。その隣で、ベアトリクスもすぐにその言葉に反応した。
「意外であったか? 命と死、この世界を救うと言われる者達は」
「ええ。決して見下しているわけではありませぬが、儚げに見えたもので。あの細身に災いに立ち向かうという使命を課すのはあまりにも重いような気がしてなりませぬ。それを請け負わせてしまう我らが正しいのかどうか、判断しかねるかと」
「確かに、ルジェリア殿とルヴェルザ殿はまだ未熟。しかし、裏を返せば伸び代があるということ。王笏の力を引き出せるのは生命そのものの奔流を司る彼女らにしか出来ぬこと……我らは見守るしかないのだ」
「そう……ですね」
アルヴィスはその言葉に悔しげに俯く。
何か力になれることはないか、今にも飛び出してしまいそうなその気持ちを抑えるように。救われておいて何も出来ないというのは、王の側近として屈辱でしかなくて。
「焦ることはない。まだこれから災いも各地で牙を剥いていくことだろう。災いを知る者として、我らはそれに備えるのだ」
「……はい」
俯きながらも、アルヴィスは深く頷いた。
いつか危機が迫ったその時は。今度は自分が助ける番だと誓って。




