第103話 意志と標べ(1)
……『滅び』に取り憑かれた衛兵と対峙する私達。まだ互いに相手の出方を伺っている最中、ベアトリクスさんが合図とばかりに槍を振るう。宝石のように煌びやかな色を写すその穂先がヒュッと音を立てて、虚空を切り裂いて。
────そして、距離は詰められた。
「はああーーーッ‼︎」
まさに、風のように。目にも留まらぬ速さでベアトリクスさんは衛兵に向かっていき、槍を大きく振り下ろす。
自分の部下だというのに、ベアトリクスさんは攻撃に一切迷いを見せない。普通は少し躊躇する時だというのに、立ち向かう覚悟はもう出来ていることが驚きだ。
「……っ!」
流石の衛兵も少々驚いたような素振りを見せたけれど、それも一瞬。無言で剣を構えなおし、ベアトリクスさんの槍を受け止めた。
「呑まれて尚、私の槍を止めるか。ならば、これはどうだ!」
鍔迫り合いを振り払い、ベアトリクスさんは今度は下から仕掛ける。
だけど、衛兵だって黙ってやられるわけがない。素早く剣を逆手に持ち、ベアトリクスさんの槍を防ぐ。そして、攻撃を弾かれたことで一瞬体勢を崩したベアトリクスさんの隙を突こうと、衛兵は剣を振り下ろした。
「くっ!」
今は退くべきと思ったのだろう、ベアトリクスさんは咄嗟に飛び退く。そして、後ろでまだどう出ればいいかわからずに待機していた私達のところまで戻ってきた。
「やはり一人では少々無理があるな。貴女らにあまり刃を振るって欲しくは無かったが……思い上がりが過ぎたか」
「あのさあ、精霊王サマ。何の相談もなしに一人で突っ込まないで欲しいんだけど。これじゃ援護もできないじゃん」
「すまぬ。単騎での戦い方にすっかり身が慣れてしまって、協力を求めることを忘れていた。卿はあの通りの様だが……私の側近である者が故、実力も相応。油断ならぬ」
一人でいきなり突っ込んだことをオスクに文句を言われて、謝るベアトリクスさん。だけど、大精霊であるベアトリクスさんが奇襲をかけたというのに、衛兵はビクともしないなんて。
衛兵が『滅び』のせいで正常な判断が出来ないのはさっきのやり取りで明らか。それまでは私達だけを敵と見なして、ベアトリクスさんには敵意を向けていなかったけれど……衛兵に取り憑いた『滅び』が完全に衛兵を呑み込んでしまったせいでそれも無効。主人であるベアトリクスさんでさえ、今の衛兵には敵にしか見えないんだ。
だけど、いくら主人さえ敵と見なしていても、衛兵の実力はベアトリクスさんが側近にする程に認めるもの。正気じゃなくても敵としては充分強力だ。
今までにない『滅び』の攻め方、不本意にも衛兵と戦わなければならなくなってしまったこの状況。それも決して私達が有利とは言えない相手……。
今の状況を思うと、まだ何もしていないというのに緊張で身体が強張った気がした。
「全く、皮肉なものだ。このような機会に卿の成長ぶりを痛感することになろうとは」
「今の僕らに取っては仇にしかならないけどね。いいんだか悪いんだか」
「それは同意するな。こうして我らの結束が強くなるのが災いによってもたらされたものというのも……認めて良いのか判断しかねる。災いは私達に一体、何をさせたい……」
……流石のベアトリクスさんも疑問を隠せない様子だ。
まだ一部ではあるけれど、こうして確かな被害を出し、終息しても爪痕を残す『滅び』は忌まわしい敵である。けれど、それによって私達がしたように様々な場所を巡って、色んな妖精や精霊達の協力を仰いで、バラバラだった関係を修復させているのも事実だ。
もしかして『滅び』は、この世界のためにあるものなの? まさか、そんな筈────
答えは出ない。けれど、わからないことが多すぎてそう思わずにもいられなかった。
「ん、ルージュ。どうした?」
「う、ううん。何でもない」
思い詰めた感情が表情にも出ていたらしい、心配させないようにルーザにそう返した。
……やめよう。『滅び』が何であれ、今衛兵を苦しめているのは確かなのだから。それに、未だ行方がわからないシノノメ公国の妖精達も。
今、余計な感情を向けては目の前の敵に負けてしまうんだから────。
「ベアトリクス様、僕らはどうすればいいんでしょうか?」
「ベアトリクス様の側近なら、戦い方もわかるんじゃないかしら? なら、少しでも情報が欲しいわ」
立ち向かいたいけれど、このまま突っ込んでも返り討ちに遭うだけ。ドラクもカーミラさんもそう判断らしく、距離を取られたことで今度は魔法を飛ばしてくる衛兵の攻撃を弾きながら、ベアトリクスさんにそう尋ねる。
あの衛兵を側近として従えているベアトリクスさんは貴重な情報源。今までにない『滅び』の攻め方、ここはベアトリクスさんの情報にすがりたいところだ。
「一騎打ちでは勝ち目はないと言っていいだろう。先の通り、私ですら簡単に槍を通らせることが出来ぬ。この地位に着いているだけの実力はあるということだ」
「そ、そんなぁ……」
「しかし、それはあくまで私との一騎打ちということだ。当然、多人数でかかれば標的は一つに絞れない。確率はゼロではないのだ」
ベアトリクスさんのいう通り、人数で押せば衛兵が攻撃する標的が複数になるために一度に的を絞れなくなる。ベアトリクスさんを入れて私達は九人、流石の衛兵も一度にこれだけの数を捌くのは至難のワザだ。
だけど、確率がゼロでないというだけ。衛兵の実力は本物だ、きっとそう簡単にはいかないだろう。
「ここは役割分担した方がいいだろ。オレらが全員、攻撃が得意って訳じゃないんだし」
「そうだね……。エメラは回復に専念してくれないかな?」
「うん、任せて! それなら大丈夫!」
エメラは攻撃面ではイマイチだけど、私達の中で回復系の魔法では右に出る者はいない。
私も今はライヤと合わさっているから、やろうと思えば命の大精霊としての力も行使出来るだろうけど、試しがないことだ。ここで使い方を確認している暇もないし、ここはエメラに任せるべきだ。
氷と雷で足止めが出来るフリードとドラクは後方支援に。後は一番問題である前線だけど……。
「あたしに行かせてくれないかしら」
「カーミラさんが?」
なんと、意外にもカーミラさんが自ら立候補した。
カーミラさんは剣での戦いよりも、魔法を使う方が得意だ。だから中距離での戦いがいい筈なのに。
「あたしもレオンがしごいてくれたおかげで前よりちょっと成長したのよ? それに、あたしの方がまだ身体は丈夫だわ、だから行かせて欲しいの」
「修行したのはわかるが……大丈夫なのか? レオンとやり合った時だってギリギリだった癖に」
「失礼ね! あたしだって頑張ったんだから。そりゃあ、少しは逃げちゃったりしたけど……新しい技だって身につけたのよ!」
以前、レオンと対峙した時にカーミラさんに指示して援護したルーザは不安げだ。
あの時はカーミラさんもレオンに押されっぱなしで、ルーザの援護なしではやられてしまった可能性もあっただろう。だけど、せっかくカーミラさんが手を挙げてくれたんだ、その気持ちを無駄にしちゃいけない。
「なら、私と貴女で前線に出るということでいいのだな?」
「ええ、頼りないかもしれないけど、頑張るわ!」
「頼りないことがあるものか。吸血鬼の実力、この目にしかと見せてもらおう」
「あっ、やっぱり大精霊様にはお見通しだったのね……」
カーミラさんの言葉通り、カーミラさんが吸血鬼だということはベアトリクスさんに見抜かれていたらしい。
目立たないようにとしまっていたコウモリの翼も隠す必要が無くなった。余計な力を使わないよう、カーミラさんは背にしまっていた翼を広げる。
「安心して欲しい。吸血鬼といえど、種族で遠ざける程落ちぶれていない。貴女もこうして災いに立ち向かおうと志した者、それだけで信用に値する」
「……ありがとう、ベアトリクス様。そう言ってくれると安心出来るわ」
「しかし、吸血鬼は夜でなければ真価を発揮出来ぬのではないか? 日差しは差し込まないとはいえ、影響は受けてしまうのでは」
「大丈夫、あたしは別にそんなの関係ないもの。昼型の吸血鬼だっているのよ!」
「ふむ、それは知らなかった。世界は広いな」
「いや、こいつだけだと思うが……」
カーミラさんの言葉をすっかり信じているベアトリクスさんに、ルーザがたまらず突っ込む。……ベアトリクスさんって、意外と天然なのかもしれない。
まあ、この時ばかりはカーミラさんが吸血鬼らしくなくて良かったかもしれないけれど。でなきゃこうして行動を共にすることも難しかっただろうから。
とにかく、これでどう攻めるかは大方決まった。まだ衛兵に取り憑いた『滅び』はまだ出していない手を隠しているかもしれない。私は前線に出る2人の援護に集中しよう。
「私に続いて卿との距離を詰めてくれ。少しでも無理を感じたら後退するように」
「わかったわ!」
「よし。……続けッ!」
ベアトリクスさんのその声を合図に、カーミラさんも衛兵まで走っていく。私とルーザ、オスクとイアは2人に続く形で後を追う。残ったエメラとフリード、ドラク達も後ろで控えて。
そして再び、衛兵との戦いが改めて開始される。




