第87話 爪痕は此処に(2)
「……そうですか。とりあえず封印するに留まったんですね」
「今のままじゃ和解できそうにないんでな。これしか方法がないんだ」
紅茶をすすり、フルーツをつまみながら、まずはルージュの裏の人格についてクリスタに話した。
強引な手段ということは充分承知している。だが、裏はまだ改心する素ぶりは見せないし、そして何より仲間にすら手をかける状況。とてもじゃないが、そのまま野放しすることは無理な話だ。
それに、裏の人格のことについて気になることがあった。クリスタが、裏の存在を認知していたかどうかについてだ。
「なあ、ルージュがたまに別人のように振る舞うことなんかあったりしなかったか?」
「えーと……あまり覚えはありませんねぇ。たまに失敗したことで怒られたり、ちょっと言い合いになってしまったりしたことはありますが、特には」
「ふん……そうか」
なら、裏は特にクリスタを手にかけようとはしなかったということか。しかも、その片鱗すら一番長く共に過ごしていたクリスタには見せていない。単に気づかなかったという可能性もあるが……15年という短くない月日を共に過ごしてきて、それは考えにくい。
確かに、ルージュを翻弄することから裏のことをよく思わないレシスや、好き勝手に破壊行動をすることに嫌悪を向けるオスクとかに比べたら、クリスタは裏にとっても害のない相手だ。義理であろうがなかろうが、妹として何かと気をかけて甘やかしてくれる存在に敵意を向ける理由が見つからない。
ルージュが信頼を寄せるクリスタに手を出したら、ルージュ自身がショックで壊れかねない。身を寄せる場所も無くなるし、裏もそれは避けたのかもしれない。
「ま、こんな平和ボケ女王を手にかけたって、ヤツの破壊衝動が満たされるとは思えないし、予想できたことではあるけど」
「もう。オスク様ったら、私これでも一国の女王なんですよ?」
「あんたの振る舞いが高貴な女王には程遠いんだよ」
とにかくだ。予想が正しいのなら、ルージュが城にいた間は裏も特に表立って自身の気配を晒さず、大人しくしていたのかもしれない。
それに、それなら色々納得がいくのも確か。ルージュの狂気が発現したのはプラエステンティア学園の半壊事件が最初だ。その時にルージュは現実の在り方に不信感を抱き始めた。その時までは裏の憎しみの対象は『支配者』だけ。ならば、関係のない場所を壊す理由が見つからない。
裏には裏の言い分がある────『表』であるルージュが傷ついた時、裏も同様に現実の裏切りを背負わされたのかもしれない。
『表』を傷つけ、裏切って。それでも尚、同じことを繰り返す現実に失望したのかもしれない。
「表にばかり気を取られて、あの子の本心に気づかなかったなんて……やっぱり私はダメダメですね」
「無理ないっしょ。裏も裏でバレそうになると隠そうとするし。それにカタチは変わらないんだから、気づけって方が無謀な話」
オスクも珍しく、オスクなりにクリスタを励ます。
裏の本心も、裏の憎しみも、今のオレらには何一つわからない。直接接触したのもさっきのが最初、これから裏に聞き出していくしかない。
……最も、素直に話してくれるとは思わないが。
「それでも、私も逃げてたんです。あの子が学園を破壊したと聞いて、私は女王の権限を行使して、それを思い出さないようにとプラエステンティア学園に関することを全て隠したんです」
「……ん? じゃあ、あの半壊事件の記事が消されてたのも」
「ええ、私です。あの子が暴れたなんて信じられなくて、とにかく否定したかったんです」
以前、夢の世界について調べた時に見つけたプラエステンティア学園の半壊事件の記事。あれが空白のページになっていたのはクリスタの仕業だったのか。確かに、それだとあの記事だけ魔法解除が容易だったのも説明がつく。
クリスタも、ルージュが狂気に呑まれるなんて思いたくなかったのだろう。それであの記事も、学園に関わることを、思い出してしまう要素を城から全て抹消した……。
「だから、気付けるところはあったのでしょうね。ルージュの中にある、あの子とは別の大きな力を。私は単に目を背けていただけなんです……」
「オレも同じだ。いつかはああなるってのに、オレだって芽を摘もうとしてやけになってた。だが、これからは違う……そうだろ?」
「……ええ。今度は私が、私達が助ける番ですね」
元通り、なんてわけじゃない。傷は残るし、まだ根本的な問題が解決してない。
だが、それでも。オレらは今回のことを反省点にして、これから成長することはできる。言い方はなんだが、中庭の惨状のような目に見える傷が残ってかえって良かったのかもしれない。それまで表出することが無かったルージュの苦しみを知り、そこから立ち直るきっかけとなったのだから。
でも今はこの話はここまでだ。クリスタの見舞いが目的で来たというのに、後ろ向きな話ばかりでは気が滅入る。
オレはそう思って今の話を切り上げ、話題を変えることに。




