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幻精鏡界録  作者: 月夜瑠璃
第8章 起点に立つ刻-Restart-
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第85話 再来の悪夢(2)


 ……ルージュの身体が糸切れたように倒れこむ。

 慌てて受け止めると、すー……すー……、と規則正しい寝息が聞こえてきた。


「寝て……いるのか?」


 さっきまでの態度が嘘のようにルージュは穏やかな表情で眠っていた。ペンダントの色もいつの間にか元の透明に戻っていて。ヤツが放っていた邪気や狂気は欠けらも感じさせなかった。

 ……オレらが知る『ルージュ』の人格と切り替わった。これはそれを意味するのだろう。


「っと、とりあえずは戻ったか。大丈夫か?」


「ああ、なんとかな」


 オスクにいつものように返す。裏の人格が引っ込んだことでオスクも調子を取り戻していた。

 裏の人格が言っていた、自分から力を捨てたということ。気にはなるが……オスクも以前から裏で色々苦労しているのはもう充分に理解している。これも恐らくそれに関わることだろう、無闇に聞いていいことじゃない。

 それより今はルージュのことだ。いくら今は眠っていても、本人に確認が取れなければ意味がない。さっきはまんまと騙されたこともあって、余計にその警戒心が膨らんでくる。


「ったく、これどうすっかな……」


 未だに絞められていた首に違和感がある。鏡で見てみればアザとまではいかないが、その痕ががっつり残ってしまっている。

 ルージュもこれには必ず気づく筈。どう言い訳したらいいものか……今はそればっかりが気になって仕方がない。


「う、ううん……」


「……あ」


 その時、ルージュの目が開かれた。眠そうに目をこすりながら紅い瞳の瞼が持ち上がり、徐々にその意識がはっきりしてくる。

 ……本当に眠っていたらしい。だとすると裏が出ている間、『ルージュ』は眠っていたのか?


「あ、れ……もう終わったの?」


 なんて、当の本人はまるで何も知らないようにきょとんと首を傾げている。

 ……いや、本当に何も知らないのかもしれないが。


「ルージュ……だよな?」


「え、うん。そうだけど……どうかした?」


 質問の意図がわからないルージュは戸惑う。

 嘘を言っているようには見えない。それに、さっきまでの邪悪な気配もない。これはオレらが知る『ルージュ』だと断定するべきか。


「おい、ルージュ。あの儀式のこと、どこまで覚えている?」


「え? えと……レシスに封印してもらってから、それからは……今まで寝てたのかな?」


「って、ことは……」


 レシスに術をかけてもらってから、ルージュは記憶がない。あの後、ベッドに倒れ込んだり、オレが水を飲みに行くか提案もしたが、ルージュはそれらを一切覚えていない。

 レシスに術をかけてもらっている時は、確かに『ルージュ』だった。つまり、それからの記憶がないということは……


『倒れた時点で人格が切り替わっていたんだろうな』


「レシス。身体は平気なのかよ?」


 説明するためか、オレに近寄ってきたレシスに思わず聞き返す。

 レシスは封印の儀式の後、力を使い果たしてぐったりしていた。それからしばらく経ったとはいえ、まだ動かない方がいいというのに。


『大分回復したから心配すんな。とにかく、続きをいえば……ベッドに倒れ込んだのは「裏」だった。あの行動も、オレらを欺くための演技だったんだろうな』


「くそっ……」


 じゃあ、あの荒い息も、オレに向けた笑顔も全て、奴の演技だったということか。

 それにまんまと騙された自分が恥ずかしい。形に囚われて、奴の本性を見抜けなかったことが。ずっと傍にいるルージュなのに、それに気づかなかったことが。


「とにかくさ。なんで封じた筈なのにすぐに出てきてんのさ。弱っているとはいえ、お前がそんなヘマやらかすほど鈍ってないっしょ?」


『……術の隙だ。封じる手前、奴の力をこっちから無理やり引き出したせいでな。ルージュも無抵抗だったこともあって、すぐに肉体の主導権が渡っちまった』


 レシスは裏の人格が出てきたのは自分も一つの原因であるということを負い目に感じているのか、オスクの質問に気まずそうにしている。

 封印するために絶命の力と裏の人格を表に引っ張り出した。封印するには仕方ないことだったとはいえ、それが奴に隙を与えてしまっていたらしい。それで封印直後にも関わらず、この事態を引き起こしてしまったようだ。


 でも……裏の人格のあの言葉。オレには最後の、裏がまるで『ルージュ』を案じるような言葉が妙に引っかかっていた。


『おい、まさか同情してんじゃないだろうな? 奴はお前を手にかけようとしたんだぞ!』


「同情とは違えよ。ま、知らないことばっかで悪と決めつけんのもどうかと思うが」


 レシスが怒るのも最もだ。度を越した憎悪で仲間すら手にかけようとしたのはオレだって許せない。

 でも奴には奴なりの事情がある……そうも思えた。


 根っからの悪なんてそうそういない。たまに救いようのないろくでなしがいることも事実だが、あれだけの憎悪に囚われるのは理由がある筈だ。

 裏も……自分をこうさせたのはオレらだと言っていた。鵜呑みにするわけじゃないが、そんなことを言ったのはきっと意味があるからで。ルージュ自身が嫌な思いをしてきたのもまた事実……あの行動にだって、奴なりの言い分があるから。


 ────ルージュが仲良くしたいと願うなら、こっちだって嫌悪してるだけじゃ駄目なんだ。


「ねえルーザ、その首の痕って……」


「えっ。ああ、いや。これは……その」


「ルーザ」


 どう説明したらいいかわからず、思わず誤魔化そうとするオレをルージュは見つめてくる。

 ……隠さないで。そんな気持ちが込められた眼差しだった。一点の曇りもない、ルビーのように輝く瞳に何もかも見透かされているように感じた。


「あー……もう、わかったわかった。洗いざらい話すから」


 どのみち隠そうとしても無駄だ。そう観念したオレらは全てを話すことにする。今までのこと、裏の人格が言い放ったこと全て。

 ルージュを支えながら立ち上がり、話す前にひとまず休憩を入れることに。まだ目覚めたばかりのルージュがふらふらと立ち上がると同時に、首元のチェーンが優しく揺れて。


 ……何も知らないペンダントのクリスタルは、穏やかに光る。

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