7章epilogue・ガラスの靴はもういらない 1/2(1)
「いっ……」
「じっとしてろよ。悪化すると後から響くからな」
ルージュにベッドから身体を起こさせ、オレ……ルーザはルージュの右腕に包帯を巻いていた。
ルージュが狂気に取り憑かれた翌日の朝。ルージュをなんとか説得した後にオレはまずは治療を、と今の状況に至る。
ルージュが狂気に取り憑かれたあの時、ルージュが纏っていた瘴気は自身すらも炙っていたらしい。その華奢な右腕には火傷のような傷があるし、血まで滲んでいた。決して頑丈とは言えないそれに、その痕ががっつり刻まれているんだ。
狂気に堕ちたルージュは己を傷つけてもなんとも思わなかった。……そう思うと、余計にもう昨日のようなことは繰り返してはならないという気持ちが湧いてくる。
そしてルージュにも……もう二度とあんな辛そうな顔をして欲しくなかった。
「……よし。これでいいだろ」
包帯を巻き終わり、傷口が完全に隠されていることを確認してオレは治療道具を引っ込める。
傷の具合じゃまだ痛むだろうが、何もしないよりかはマシだろう。
「うん。……ありが、と」
……いつもは素直に口にする礼も歯切れが悪い。
ああは言ったが、ルージュの心の傷はそう簡単に取り除けるものではない。学園での辛い経験が楔として突き刺さったまま、その傷口もすぐに塞げる程、浅いものではないのだから。
オレの言葉には頷いてくれたが、まだ他を修復しきれていない。失ったものを、ここから取り戻さなくてはいけないんだ。
「ほら、行くぞ」
「……え、行くって、どこ……に」
いきなり腕を引いたことにルージュは戸惑う。
オレはそれでも動揺せず、しれっとこれからしようとしていることを説明する。
「決まってんだろ。クリスタのこと、まだ顔合わせていないだろ」
「……あ」
オレがクリスタのことを口にするとルージュは気まずそうに目を逸らす。
昨日のことを狂気に取り憑かれたとしてもおぼろげながらも覚えているのだろう、実姉ではないとわかった相手に、不本意ながらも手を上げてしまったことに後ろめたさがある筈だ。
「無理、だよ……。いっぱい酷いこと、しちゃったから……許して……くれない」
「あの過保護女王がお前のせいだ、なんて言うわけないだろ。それともお前はずっと姉と呼んでいた相手を今更他人呼ばわりするのか?」
「……っ」
我ながら卑怯な言い方だと思う。ルージュのことをわかっているなら、尚更だろう。
義理だとしても実の姉同然と思っていた相手を、頼り無いところがあってもいつも自分を心配してくれていた相手を、そして何より……家族として愛してくれていた相手を、優しいルージュは目を背けることなんて出来ないから。
「オレが付いて行ってやる。それならいいだろ?」
「……うん」
オレの同行を条件に、ルージュはクリスタと仲直りすることを約束した。
ベッドから連れ出し、部屋を出る。たったそれだけのことなのに、ルージュの足取りは重いもので。そして、念のためと繋いだ手からは微かに振動が伝わってきた。
……震えている。まだ何もしていない、誰もいないというのにルージュは怯え、恐怖していた。裏切ったと思い込んだ『外』を、触れるのが怖いから。
オレはそんな震えを止めるように手を握り直す。ルージュも、怖いからかオレの手を握り返す。それでも着実に、クリスタが待っているクリスタの自室へと向かった。
「ねえ……クリスタ」
クリスタの部屋へと着き、扉をノックするルージュ。いつもなら姉さん、と普通に口にする言葉さえもルージュは途中で飲み込んでしまう。
姉さん、と言いかけている時点でルージュの心が揺らいでいるのは明白。それでも呼ばないのはまだルージュが昨日のことを引きずっているからなのだろう。
また姉と呼ぶことを許されるか、それともそうでなくなるか。……それは本人次第だ。オレは見届けることしか出来ない。
しばらくしない内に扉は開かれた。部屋の中にいたエルトが開けてくれたようだ。
クリスタは部屋の中心にある天蓋付きのベッドで横になっていた。ライヤが回復してくれたこともあり、その呼吸は落ち着いている。
見た所、他に外傷はないようで一先ず安心だ。
「ね、……クリ、スタ」
「……うん、あら?」
どうやらクリスタは横になっていただけで、寝ていたわけではないらしい。ルージュの声にすぐに反応を示し、その首を持ち上げる。
そして視界にルージュの姿を捉えた途端……クリスタはベッドから飛び起きてルージュに抱きついた。
「……え」
ルージュの紅い瞳が驚愕に見開かれる。まさか抱かれるとは思っていなかったのだろう、身体さえもピタリと硬直している。
「よかった……あなたが無事で……!」
「なん、で」
ルージュはクリスタの行動が理解出来ず、ぽかんとするばかり。クリスタはその間も「よかった、本当によかった……」と繰り返しながら涙をぽろぽろと零してさらに腕に力を込める。
ルージュはそんなクリスタに唖然とするばかり。自身が傷つけられたのにも関わらず……自分の心配もせずに、涙を零しながら自分を心配していることが不思議でたまらないのだろう。
「なんで……泣いてるの?」
「当たり前じゃないですか! 大切な妹がいなくなるなんて私には耐えられません!」
「妹って……私はあなたの妹なんかじゃ」
「いいえ、妹です! あなたがなんと言おうが、私はあなたを妹だと言えます!」
ルージュはクリスタの力強い言葉に肩をビクリと震わせる。クリスタはまだ強張ったままのルージュの肩に手を添えて、優しく微笑んだ。
「あなたは認めてなくても、私はあなたの存在に救われたんです。城で一人ぼっちだった私を、手を引いてくれたのは紛れも無いあなたなんですから」
「……」
「確かに、血の繋がりは大切です。でも、それに縛られ続けていてはただの障害物。血は水よりも濃いといいますが、血は水ほど澄んだものではありません。あなたはそれでも、実の、ということにこだわるのですか?」
「私、は……」
ルージュはやりきれない感情を隠すかのように顔を逸らす。
悔しそうで……何処か寂しさも漂わせる、そんな表情。ルージュのそんな様子に、クリスタはクスッと笑った。
「今、答えを出す必要はありませんよ。……それとちょっとくらくらしてきてしまいまして……」
「……え、ちょっ、姉さん⁉︎」
「へ、陛下っ⁉︎」
へらりと力なく笑った途端、その場に倒れこむクリスタ。慌ててエルトが駆け寄る前に、ルージュはその身体を支えて床に激突するのを防ぐ。
……つい、『姉さん』と呼んでしまったことに、後から気付きながら。
「あっ……私」
「うふふ、呼ぼうと思えば呼んでくれるんじゃないですか……」
「お、おい、無理すんな。血も足りてないのに無茶しやがって」
「こうでもしないと、認めてくれないでしょうから」
そう言いながら、クリスタはまたルージュに笑いかける。まだ心の整理がついていないルージュは、そんな笑みにすら俯くばかり。
認められないのか、それともまだつっかえてるものがあるのか。……オレにはわからなかった。
まだ万全じゃないクリスタのことをエルトに任せたオレら2人は、複雑な感情を引きずるように部屋を後にした。




