第80話 そこにある絆(2)
「いっ……」
……パンッと乾いた音が部屋に響く。
ルージュの目が驚きに見開かれる。ルージュはまさかぶたれると思っていなかったのだろう。ぽかんと呆けた顔でオレを見てきた。
もうこの際だ。何が何でも言ってやる。
「馬鹿か、お前は。そうやっていつも一人で黙りこくってうじうじして。大体嘘つきだとか言ってるが、現実はそう甘くないんだよ」
「なに、を」
「周りを気遣う癖して、自分を気にかけるって大事なこと忘れやがって。なんでいつもボロボロになるまで無茶をする!」
……以前も、似たことを言ったような気がする。
もう隠すな、と言っていたのに。ルージュは少しは言われた通りにしたものの、結局大事なことを話さず仕舞いで……他人のことばかり気にかけて、自分を蔑ろにしすぎている。
ルージュはオレらに本心を打ち明けずに、一人でボロボロになっていく様をもう見ていられない。
「それに、お前が夢見たことなんざ嘘だらけだ。全員が全員、それぞれの方法で泥臭く生きてるってのに、何処にそんな綺麗さがあるんだよ」
「……」
皆、初めこそは夢を見る。
だが成長していくにつれて、現実の過酷さも覚えていく。
ルージュは知らなかった故に、ずっと閉じ込められた故に、それを覚えない内に外に放り出された。その中で理解しきる前に溺れて、ドロドロと溶かされて。
「オレは口下手だから、まともなやり方を教えられていないのは自覚してる。だが、だからっていつまでも黙りこくっているのはまた別の問題だろうが」
「────にが」
「一人であれこれ考えるくらいなら、周りを頼れよ。なんでお前は傷を隠そうとする!」
「────何が、わかるのっ‼︎ 私の何が……何も知らない癖にっ‼︎」
「……っ」
初めて、ルージュが怒声を上げた。
顔を歪め、目は怒りの色で染め、頰は赤くなって握った拳を震わせて。
ルージュは確かに怒っていた。身体の全てを怒りに染めて。あの過去の辛さは本人にしかわからないことだからこそ……ルージュはそう言い放ったのだろう。
確かに、レシスに習った術でルージュの過去を垣間見たとはいえ、その時の傷を全て理解するだなんて不可能だ。見ている側と、感じる側では感覚が明らかに違うのだから。
だがオレは……はっきりと言えた。
「……わかるさ」
「え……」
「ああそうだよ、お前の全てはわからない。全ては理解してやれない。けど……お前の攻撃を食らった時、確かに感じた」
ルージュの瘴気の刃を食らった時、オレは確かに痛みと共に感じたものがある。ルージュの背負ってきたものを、感じたことのない圧迫感を、傷つくことの辛さを……それを、衝撃と共にオレはぶつけられた。
それは確かに感じていた。オレが、オレ自身が以前に経験したことがあるものに似ていたから。
「オレだって最初は一人だった。オレが生まれた……いや、気付いた時から大勢に囲まれていたと思うのか?」
今でこそ仲間がいる。だが、最初からそうだったわけじゃない。
オレはオレの嫌なところを知っている。だからオレはそれを誤魔化すために傷を省みずに突っ走り、相手に突っかかっては睨まれて、口を滑らせては険悪にさせて……そんなことばかりだった。
親もいない、親戚もいない。そんな孤独で粗暴で、無愛想なオレでも付いてきてくれた奴がいた。
そしてオレは、それに────と言葉を繋ぐ。
「お前も。こんなオレでもお前は優しいって言ってくれた」
「……」
「それに……オレは嬉しかったよ。お前が姉だって知って」
「え────」
「ずっと一人だと思ってた。どう足掻いたって家族はいない。周りは帰ればただいまっていう家族がいるのに、オレはいなかった」
羨ましかったかと聞かれればそうなのだろう。
オレも今はシュヴェルがいるが、雇う前は誰もいない家に一人で帰り、雇った後もどう足掻いても家族はいないことを思い知らされた。
オレも、ルージュと同じひとりぼっちだ。だが、今は違う。
「驚きもあったが、嬉しさが勝った。これからはただいまだの、おやすみだの、そんな変哲のない言葉を交わせるのは実は特別なことだって、お前だってわかるだろ?」
「わ、たしは……」
「確かに現実は嘘だらけで泥臭いさ。でも、お前はそれでも手を差し伸べていた。お前のその純粋さに助けられた奴だって多い」
偏見で遠ざけず、どんな相手であろうとルージュは困っていたり、傷ついていたりしたらその手を迷うことなく差し出した。
本当に嫌っていたのなら、そんなことは出来なかった筈だ。ルージュはそれを自分でも気づかぬうちに本の中の理想を取り戻そうとしていたんだ。
きっと、それが『滅び』というカタチのない敵に対抗できる最強の刃だ。それを失うことがあればもう手が出せない。ルージュはその優しさで、『滅び』の傷から救い出せる力がある。
それこそが本当の傷を癒す────命の大精霊の真の力だと、オレは思う。
「だからお前をなんとしてでも取り戻したかった。それに、これを逃したら呼ぶ機会も失うからな」
「呼ぶ……って何を」
「────決まってるだろ」
目の前にいる相手を。オレにとってどんなやつなのかを呼ぶための呼び方を。
正直、照れ臭い。これっきりしか呼ばないかもしれない。だが……それでもはっきりと。
「お前が必要だ。だから……隣にいてくれ。
────姉さん」
「────‼︎」
ルージュの表情が怒りから、再び驚きに変わる。
だが、同じようで何処か違う。やがてその感情は大きく揺らいで、零れ落ちた。
「あ、れ……」
ルージュの紅い瞳から、涙がポロポロと溢れ出る。
悲しみじゃない、嬉しさからくる涙は昨日とは打って変わり、差し込んできた朝日を反射してキラキラと宝石のように輝いた。
────やっと、溶けた。ルージュを、ルージュの心を凍らせていた氷が。
やっとのことで掴んだルージュの手。それは、オレにしか出来なかった確かな功績。
それだけは胸を張って言える。こんな無愛想で、口下手な奴でも大精霊にさえ成し遂げられなかったことをやりきってみせた。
ルージュの心を覆っていた氷は涙となって、ルージュの紅い瞳から零れ落ちて……ようやく雪解けの時を迎えることが出来たんだ。
「だから、また隣にいてくれるか……相棒?」
「うん……うん……!」
一度溶け出した雪解け水は止まることを知らず、それでもルージュは確かに頷いて、笑ってみせる。
そんな姉を、泣き虫な姉をオレはふっと笑って、その頰に手を添えて涙を拭った。
夜明けを迎え、眩しい朝日が部屋を照らし、氷は溶けて。そよ風が窓のカーテンを膨らませる光景は、中庭の景色と相反して平和そのものに見えた。
その時……オレは確かに感じた。
『絶命』の力にだって断ち切ることは出来ない。確かに紡いできた────そこにある絆を。
これにて第7章、『幻精鏡界録』第1部完結です!
そして先日、おかげさまでこの作品が1周年を迎えることが出来ました。
まだまだ至らないところも多く、他のユーザー様にお世話になりっぱなしですが、1年という期間を続けてこれました。
これからもよろしくお願いします!




