第79話 ひとりぼっちのおひめさま(2)
外は怖い。踏み出す勇気が出ない。何があるかわからない。疑問が尽きず、無知故の恐怖心があろうとも……私は諦めきれなかった。この目で見なければわからないことだってある。その一心で。
十三になったのを機会に、私は姉に外に出たいことを伝えた。今までのことがあり、少々反対されたものの……何回か頼む内に一つの提案をされた。
────なら、学校に通ってみるかと。
私は勉強等は従者に教えてもらう他なかった。それか本で知識を仕入れるくらいしか方法がなくて、学校というのも表面的な意味しか知らなかった。
集団で行動を合わせるのも抵抗があったけれど、私は姉の言葉に頷いた。
いつまでも閉じ篭っていては何も変わらない。私自身が姉への劣等感を克服するためにも、学校に行って自分を変えよう。……そう思って。
姉に手続き等を任せた後、私は学校へと赴いた。
身分は隠しながらだけど、同等の地位にある妖精達が通う学校ならばと、姉は国一の名門……『プラエステンティア学園』を私の通学先へと決めた。
初めて見た、城以外の建物と、外の世界。それを自分の目で直接見て、自分の足で歩くことに一人静かに歓喜を覚えた。
こんな明るく、広く、何処までも続く世界はきっと希望に満ち溢れている。そんな感情を胸に、私は学校へと踏み出した。
────その選択が、悪夢となることを知らぬまま。
「……とっとと消えなさい! さもなくばもっと酷い目に遭わせるから!」
「やめて、やめてぇっ……!」
……ここに来て、何度目になるだろう。
私は教室内に響く、腹を蹴られる音、額を引っ叩かれる音、頭を殴られる音、そして……それを浴びせられて泣き叫ぶ音に顔をしかめる。
この学校に来てからしばらくして行われたそれ。貴族階級の妖精が、一般妖精をいたぶる光景と様々な不協和音。
プラエステンティア学園に来てから見せつけられた……高貴さの裏に隠れる闇。貴族階級の妖精は自分の立場をいいことに、その権力に溺れて、踏ん反り返りながら道の真ん中を歩いて、学園で好き勝手をしていた。
泣き叫ぶ妖精の声は貴族の子供には届かない。助けを求める手を伸ばす度にその手は踏まれ、嘲笑われ続ける。そんな勝手を働く貴族達も、それを見逃す教師も、全てが許せなかった。
身分は隠しているけれど、下級貴族を名乗っていた私はまだ標的にされていなかった。
貴族がいたぶるのに飽きた頃を見計らって、私はうずくまる妖精に駆け寄った。
大したことも出来ず、傷の治療をする手立てがない私には、涙を拭えるハンカチを渡すだけで。そんな些細なことなのに……私の行為に、妖精達は喜んでくれた。
疑われたりもしたけれど、私が手を上げないことに安心したのか、色々な言葉を交わしてくれる妖精もいた。
これが友達なのかもしれないと……私は浅はかにも喜んだ。それを、じっと見つめる影がいたことも気づかずに。
それでも私は嬉しかった。何もなかった私が、何も知らなかった私が、やると決めたことでなんとかやってのけていることに。
まだ知らないことは多い。それでも……積み重ねていけばいつかは姉を越えられるのではないかと信じて。
「……う、あ」
────なのにどうして、今は私が蹴られているのだろう。
何度も何度も腹部に衝撃が走り、中のものがこみ上げそうになる。
いたぶられることに心折れた妖精達はいなくなり、いつの間にか矛先は私に向けられて。
何度も、何度も、殴られて蹴られてぶたれていく。そんな痛みはどうとでもなかった。問題は、私の胸を握りつぶすようにジクジクと響く思いが私にのしかかっているモノ。
暗く、冷たく、形のないそれは私の胸の中を侵して、内側をズブズブと染めていく。
何故、こんなことばかりなの?
私が憧れていた外は、私が出たいと望んでいた外は、どうしてこんな────
伸ばした手の先は空虚のみ。それを嘲笑う声と、もどかしそうに私を眺める視線。私の手を掴んでくれる者はどこにもいない。
私は、私は……裏切られていた?
本に綴られていたことは幻想で、現実はこうも汚れていた?
ならずっと私は……欺かれていた?
外は皆……ウラギリモノダッタ?
「あ、ああ……」
────痛い。
言葉の刃が私に突き刺さって。
────痛い、痛い。
私を蔑む笑い声が辺りに響く。
────痛い、痛い、痛い。
何もかも、罵られ、裏切られて。
────痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ。
……姉が危険だと言った意味が、ようやくわかった。
外は何もかも嘘つきだった。本に書かれていたことは私の夢に過ぎなかった。何処までも、何処までも、私を晒す『目』は嘲笑い、罵倒して、傷をつけてくる。
外は汚れきっていた。壊れかけていた。なら……
────いっそ、自分で、コワシテシマエ。
……先に、私の中で何かが壊れた。
瞬間、私は殴りつけてきた手を掴み、その手首を握りつぶす。
そして、ふらふらと立ち上がり、口に弧を描きながら手を振り上げて────
……気がついた時には、何もかもが壊れていた。
学園を覆う美しい外壁も、学園を形作る壁も、彩る花も、空を遮る天井も。何もかも壊れて、焼けただれて、カタチを失っていた。
私を晒す『目』でさえも。嘲る視線は恐怖に転じ、私のことを見てガタガタと震えていて。
────なんだ、こんなにも簡単なことだったのか。
壊してしまえば良かったのか。自分の手で、最初から芽を摘んでしまえば良かったのか。
恐怖する貴族が、動揺する教師が、私を見て恐れおののく。
見下していた『目』が、同情しながらも止めなかった『目』が、私を恐れて震えている。
……なんて、気持ちがいいことだろう。
……こんなにも壊すことが気持ちよかったなんて。
そうして狂い果てた私は異常な感情を、淀んだ感情を受け入れて、呑み込んでいく。
────だって、悪いのは周りだから。
────だって、私の夢を否定したから。
────だって……これは、オマエタチガヤッテイタコトダカラ。
周りは裏切り者ばかり。
全ては嘘。全ては空想。紡がれるのは虚言ばかり。
だから……壊してあげた。
「アハ、ハハハ────」
狂った笑い声を響かせる。
壊れ果て、手元には何も残らない。私を囲むのは恐怖して逃げ出していく者達だけで。
ああ……私は。
────いつまでも、ひとりぼっちだ。




