第76話 絶命の狂気(2)
『────そうだ、それが狂気の正体。お前らが知っている「ルージュ」が絶望して、絶命の人格を受け入れてしまうことで狂気は発現する。そうなってしまったら最後……目に付くものを手当たり次第に刈り尽くすのみだ』
「じゃ、じゃあ……あいつは今……⁉︎」
さっきのルージュの状態を思い出し、オレは事の重大さを思い知る。
いきなり大精霊だということと、血筋の真実を伝えられたことでルージュの精神は大きく揺らいでいることだろう。一番信頼していたクリスタとの関係を否定されたらその絶望は計り知れない。
もし、クリスタがルージュの説得に失敗していたら……ルージュは絶命の力に翻弄されるまま、クリスタにその力を振るうだろう。
「おい、だったら尚更こんなことしている場合じゃないだろ⁉︎ 下手すればクリスタに手をかけられていてもおかしくない!」
『落ち着け。オレだって色々な最悪の事態を想定してきた。だからそのクリスタって奴は身体は傷ついても魂は肉体から離れないように固定してある』
「なっ⁉︎」
予想外の言葉にオレは驚いた。
レシスはクリスタのことは一切知らない筈。顔も知るわけがないのにも関わらず、そこまで手を回していたなんて。
『……オレだって、姿は変わっても姉には変わらないあいつが、狂気に呑まれるところなんざ見たくなかった。それになんの解決策も見出せなかったオレの小さな反抗だ』
「お前……」
レシスは顔を背け、気まずそうにそう言った。
解決策が見出せなかったなりの、必死になって考えついた手段だったのだろう。だがそれは、レシスが手に負えない程のルージュの絶望の深さも表していた。
レシスには、ルージュを絶望から救うことは出来ない。もちろん、半身であるライヤも。この中で唯一、本来の大精霊の力を行使出来るオスクでさえも。
ならば……この中で出来る奴がいたとしたら、それは、
『そう。お前だよ、ルヴェルザ。この中で一番長い付き合いで、一番あいつが信頼している相手であるお前だ』
「オレ、が」
自覚はしていた。あいつの手を掴んでやろうと、そう思っていた。
だが、いざとなると自信がない。大精霊にも手に負えない、大精霊としての力を失った自分に出来ることなんて高が知れる。狂気に身を委ねてしまう程にまで絶望したルージュの心を救ってやれる確証なんてなかった。
『ルーザさん、お願いします。これはルーザさんにしか出来ないことなんです』
「ライヤ、だが……」
『私はルーザさんの凄いところ、いっぱい知ってますよ。妖精なのにどんな敵にも恐れずに立ち向かうところ、無茶だとわかっていても実行するところ、そして……どんな目にあっても諦めないところ』
ライヤが嬉しそうに微笑みながらオレの長所と思ったことを列挙していく。そんなライヤの口から紡ぎ出されるのは、オレを讃えるようなことばかりだ。
『ルーザさんは違うって言っても、私は断言出来ますよ。だって、実際に見せてもらっていたことなんですから』
ライヤは照れ臭そうに、それでも確かに胸を張って言い切った。
その表情は……オレがよく知る、「ルージュ」と変わらない笑顔だった。
「持ち上げすぎだろ。今までだってギリギリだったのに」
『そんなことありません! 私は嘘はつきません!』
「はいはい、そうかよ」
ライヤの言葉にオレはため息をつく。だが、そのおかげでオレにのしかかっていた重荷が僅かながらも軽くなる。
レシス出来ないことだ。もちろんライヤも、この中で唯一本来の大精霊としての力を行使出来るオスクでも。誰にも出来ないんだ。
これはオレにしか出来ない。オレがやらなきゃいけない。一人の友人として……唯一の血縁者、肉親として。
「だから、やる。這いつくばってでもあいつを助けてみせる……!」
オレの覚悟は夜明け前の暗い屋敷に、確かに響き渡る。
ライヤは顔をほころばせ、オスクはやれやれとため息をつきながら、レシスはニヤッと笑って見せて、大精霊3人はそれぞれの反応でオレの覚悟を喜んだ。
『……上等だ。なら、オレもお前に賭ける』
レシスはそう言いながら、オレに向かってパチンと指を鳴らす。
すると、レシスの半透明な指先から光が放たれ、オレの身体を包み込んだ。
「これは?」
『応急処置だが、オレの加護だ。絶命の力をくらっても、魂は断ち切られずにそのまま物理的なダメージとして換算される』
「傷つかないようには出来ないんだな」
『あいつの力が強力すぎるんだ。オレの今の力量だとそれが限界』
レシスの死の大精霊としての力を持ってしても、相殺しきれないことに絶命の力の恐ろしさが思い知らせる。
そんな力を今まで爆発させないでいたルージュの精神力も驚きだが。
『あと……ついでに』
「はあ⁉︎」
レシスは今度はオスクに向かって加護をかける。自分にかけられるとは思っていなかったであろうオスクは椅子から飛び上がる。
「なんで僕にまでかけるんだよ! また面倒事増やす気か⁉︎」
『何言ってんだよ。オレが頼んだのは最後まで、って言っただろ? あいつに吠え面かかせるなら絶命をなんとかしてからだ』
「それをダシに僕をいいように使うな! 終わったら倍で返してやる!」
『もう! 2人とも喧嘩しないでください!』
レシスとオスクの言い争いが勃発し、ライヤがそれを止めようと声を上げる。……いつか見たような光景を目の当たりにして、オレは思わずため息をつく。
オスクと喧嘩するのは記憶があってもなくても変わらないらしい。
「ほら、やるんならさっさと行く! 戻せなくなったら面倒だからな!」
「……ああ」
オスクの投げやり気味の言葉にオレは深く頷く。
ルージュを絶望から救い出してやることは本気だ。失敗すればルージュは絶命の力にされるがまま、手当たり次第に命あるものを全て壊してしまう。
ルージュが己を見失ってしまわないうちに、絶命の被害が広がってしまわないうちに。そんな覚悟を胸に、オレらはルージュが向かった先────ミラーアイランド城へと駆け出した。




