第75話『決行』の刻・後(3)
「やだ……やだ……やだやだやだやだやだッ‼︎」
走り、駆け抜け、突っ切って。私はあれから一つの答えを求めてミラーアイランド城へと向かっていた。
私と姉さんに関係がないなんて、そんなの……!
嘘だ、虚言だ、何かの間違いだ。きっとそうに決まっている。そうであって欲しかった。
頭の中がぐちゃぐちゃで、最早ここまでどうやって来たのかさえもわからなかった。夜明け前の、誰もいない真っ暗な王都を私一人だけが走っている。
「王女様、なんてっ……!」
昨日、王都で呼ばれた肩書きを投げ捨てる勢いで走る。
あの話が本当なら、嘘じゃなかったら、私だけが騙されていたのなら。そうだとすれば、やはり……
「────ウソツキだ」
走り抜けながら、ぽろりと口から溢れるその言葉。
その何気ない一言が、『私ではない私』から発されたものだということも、今の私は気がつかなかった。
……やがて城に辿り着き、私はやっと足を止める。
息はゼエゼエと荒れ果て、身体はあちこちぶつけて擦りむいて、足はガクガクと震えてどこからどう見てもボロボロの状態。それでも私は目的だけは見据えて身体を支え、痛む身体に鞭打ってなんとか城へと踏み出した。
夜明け前の城は誰もが寝静まり、静寂に包まれていた。しんと静まり返ったエントランスホールに、私の息遣いと靴音だけが大きく響き渡る。
「ねえ、さん……?」
荒れた息をなんとか整え、やっとのことで絞り出したか細い声で、まだ姉である妖精を呼ぶ。こんな夜明け前で起きているかも確証がない。それでも何度も何度も、掠れた声で呼び続ける。
話をしなくちゃいけない。話さなくちゃ……確かめようもないから。
「……あれ、姫様⁉︎ こんな時間にどうかされましたか?」
「あ……」
そんな微かな願いが通じたのだろうか、エントランスの奥にある階段から私の臣下であるエルトさんが来てくれた。
どうやら見回りの時間だったらしい。仕事中なのにも関わらず、私の元へすぐに来てくれた。
「って、お怪我をされてるじゃないですか! すぐに治療を……」
「いいんです……。それより、姉さんは……?」
「え、陛下ですか? でもお怪我が……って、それは後なんですよね。少々お待ちください、すぐにお呼びしてきます」
私の頼みにエルトさんはすぐに頷いてくれた。そして、姉さんを呼びに行こうと元来た道を戻り、階段を駆け上がる。
……私の鼓動はいつまで経っても鳴り止まない。バクバクと音と振動を立てて、今にも胸は破裂してしまいそうで。手も震えが止まること無く、会いたいと自分が願ったことなのにそれが怖い。
怖い、怖い、怖い怖い怖い……。恐怖の感情が自分の胸を埋め尽くして止まらない。ガクガクと身体は震えて、気を抜けばすぐにでも倒れてしまいそうな程に私は追い詰められていた。
「ふあぁ〜……こんな時間にどうしました、ルージュ? 珍しいですね」
「ねえ、さん……」
私の恐怖をまだ知らない姉さんは、寝起きから呑気にあくびをしている。私は声が出せる内に、私が私である内に……早く話をしてしまおうと口を開く。
「姉さんは……知ってたの?」
「え、何をです?」
主語を言わず、何についての質問なのかわからない姉さんは当然ながら首を傾げる。
でも、今の私にはそれが誤魔化しているように思えてしまった。震える声で、それでも怒気を含めて次に紡ぐ言葉を荒げてしまった。
「姉さんは……私が大精霊だって、知ってたの⁉︎」
「……っ⁉︎」
姉さんの表情が驚愕の色に染まる。
それは私の突拍子も無い話に驚いたんじゃない、今まで隠していたことを私が口にしたことに対して驚いている。
「やっぱり……知ってたの……。なら、私はずっと、ずっと……!」
「ル、ルージュ、あなたを騙そうなんて考えていません。私の話を……」
「私をずっと騙してた……ずっとずっと……信じていた……なのに!」
「ルージュ、一度落ち着いて私の話を聞いてください!」
「煩い……煩い、煩い、うるさいッ!」
もう他人でしかない妖精の声は届かない。私はぐちゃぐちゃになった思考の勢いのまま、怒りに任せて手を振り上げる。
そこから狙いも付けず、ただ正面に向かって光弾を飛ばした。
「きゃっ⁉︎」
「へ、陛下っ!」
光弾が足元に着弾し、よろめいたクリスタをエルトさんが咄嗟に支える。そんな悲鳴も、その行動も、今の私には何一つだって届きはしない。
みんな……騙していた。みんな、裏切った。みんなみんな、欺いていた。みんなみんなみんな……私を陥れていた。
だから、全ては。
「みんな……嘘つきだっ‼︎」
全ては嘘。紡がれるのは虚言ばかり。いつか私を陥れるものでしかないから。
だから、私はまた走り出す。全ての『手』を振り払って、何者にも侵されないために……
「ルージュッ……、待って、くださいっ……!」
元姉の言葉さえ、私の耳には入らないままに終わる。全てから目を背け、私は城の廊下を駆け出した。
しばらく逃げて、逃げ続けて、辿り着いた先でしゃがみ込む。逃げても逃げてもずっと付き纏われる、頭の痛みに苛まれていたせいで。
「う、あ、ああ……」
ズキズキと響く、頭の痛み。その痛みは私の頭の中を容赦なくえぐり出し、封じていた記憶を呼び覚ます。
それは表ばかりを着飾った、『名門』の名で全てを隠していた最悪の記憶。私を陥れる笑い声が、私を追い詰める言葉が、私を蔑む視線が、何もかも引きずり出される。
────痛い。
言葉の刃が私に突き刺さって。
────痛い、痛い。
私を蔑む笑い声が辺りに響く。
────痛い、痛い、痛い。
何もかも、罵られ、裏切られて。
────痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ。
……今と、何ら変わらない。
ただ外に焦がれていた。本の中で描かれる、明るい夢のような世界に憧れていた。でも……その希望はいとも簡単に壊された。私を晒す『目』が私の夢をめちゃくちゃにした。
信じていた。ずっと、信じていた。それも全て嘘なら……私はずっと、裏切られていた?
「あ、ああ……あああ……」
裏切られていた。ずっと裏切られていた。
全ては嘘。全ては妄言。外の世界の全ては嘘に塗りたくられていた?
なら……どうするべきなのか。どうしていくべきか。
全ては嘘つきだ。全ては裏切り者だけだから。だから、だから……
────【壊せ】。
……何かが私の中で割れた。ガラスが砕けるような、割れる音が私の中で響くと感情がドロドロと溢れ出す。
その溢れ出す感情を私は抵抗することも無くただただ受け入れる。ドス黒い、異様な感情を飲み干していき、そして……
「ルージュッ!」
「姫様ー!」
クリスタとエルトが義妹を、主君を追いかけて来た。
走り慣れないクリスタも、今は義妹にもう一度話をするために息を荒げ、必死に追いかけて来た。
「ルージュ、あなたを騙すつもりなんてないんです。お願いですから話を聞いて!」
「姫様、僕からもお願いします。陛下はただ姫様を心配なさっているだけなんです!」
「……」
その声を背後に、『私』はふらふらと立ち上がる。背を向けて、顔は見せないままで。
「ルージュ……あなたが信じなくてもいい、でも私はあなたを信じているんです。だからお願いです、もう一度話を……!」
「────わせ」
「ルージュ……?」
不意に『私』の口から溢れた言葉。クリスタはよく聞こえず、首をかしげる。
『私』は腕を上へと伸ばす。何者にも届かぬよう、何者にも掴ませまいと決意した手を、上に掲げて天を仰ぐ。
この手は誰にも掴ませまいと、誰にも侵されまいと。誰にも触れられることすらないように、誰にも汚されないように、だから……
「────【コワセ】」
差し出された手を振り払うべく、『私』は腕を振り下ろす。剣で斬りつけるが如く、素早く振り下ろして。その目には誰の姿も写さず、口は三日月のような弧を描きながら。
瞬間、
「え────」
……赤い飛沫が、辺りに散った。




